ボルツァーノは標高262m、人口は10万2千人
イサルコ川に沿って広がる町は、イタリアと北ヨーロッパを結ぶ交易の中心として発展
現在は、ワイン用ブドウ栽培が盛んで、イタリアの果実の大生産地となっている
また、イタリア語とドイツ語が使われ、住民の70%はイタリア語、約30%はドイツ語
数%の住民はラディーノ語(ドロミテ山塊地方の方言)を話す
「ドロミテ街道」コルティナ・ダンペッツォからボルツァーノまで来ました
トレンティ-ノ=アルト・アディジュ州の州都であるボルツァーノは、オーストリアとの国境に近く
街並みや人々の言葉、レストランの料理などにチロル色が濃く感じられる
おもちゃ屋さん前の広場
レゴで遊んでいるのでしょうか? ピノキオの木製人形はよく見られました
ポルティチ通り(Via dei portici)
東西に抜けて走るアーケードは町の商業の中心で、主要なものはそろっている
ワンコに目が・・・
ボルツァーノ県立考古学博物館 (Museo archeologico provinciale di Bolzano)
5300年前に死亡し、そのまま氷河に閉じ込められて冷凍ミイラになったアイスマンを展示
受付を済ませ荷物はロッカーに(有料)、取り出す時お金は戻ってきます
【経緯】
1991年9月19日、アルプス登山のルートから外れた場所を歩いていた
ニュルンベルクからの観光客、ヘルムートとエリカのジモン夫妻は溶けた雪の下からミイラ化した遺体を発見した
当初それは通常の遭難者の遺体として処理されていたが
彼の周囲から見つかった物品が現代では見慣れない物だったため
司法解剖の前にインスブルック大学の考古学者に見せたところ
これらはヨーロッパの青銅器時代前期の物であることが判明した
【特徴 】
2012年に初めて実施された解凍調査の結果、瞳、髪の色は茶色、肌の色は白色、身長160cm、体重50kg
骨からのデータにより年齢47才前後、筋肉質な体型だと解明された
血液型はO型、乳糖不耐症の因子を持ち牛乳が苦手だった可能性が高い
(そもそも、古代人の多くは乳糖不耐症の因子を持っており、ヨーロッパにおいて乳製品の飲食が広まったのは古代ローマ時代以降である)
腰椎すべり症を患っており、腰痛持ちであった事が考えられる
背後や脚に刺青の跡があり、オーストリアのドルファー博士の調査ではその位置は胃腧、三焦腧、腎腧、崑崙など
腰痛に効果のある現代のツボの位置と一致しておりつぼ治療をした痕と推測されている
これは5300年前にヨーロッパのアルプス山脈付近に高度な医療技術があったことを示唆している
ソース元Wikipedia 興味のある方はどうぞこちら
当時食べていた植物
<サヤエンドウ>
<イタリアンパセリ>
<シシウドのよう?>
アイスマン考古博物館から出ると小雨が降っていた
雨宿りに屋台のホットドッグ屋へ
大きなコッペパンにケチャップ・マスタード(希望)をぬり温め_
はみ出すくらいのソーセジを挟んで出来上がり、、
半分も食べられなかったもし、、おじさん!
町の路地には市場が連なって、ブラブラ
また商店街のアーケード通りに戻り・・
MAMMUTとSPORTLERで買う予定だったトレッキングポールとHEADBANDを買って
そして広場に戻って、、ニコちゃんを振り回す
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夾竹桃とオリーブは意味あってイタリアのシンボルだと勝手に思っている
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石畳なのでよく見ると、植木は樽に近い鉢に植えられています
ゴミ収集車、、ホーキの図柄で分かり易い
ボルツァーノのヴァルター広場
中世ドイツの詩人「ヴァルター像」の周りは、地元民より異国の集団
ドゥオモ ディ ボルツァーノ(Duomo di Bolzano)
第一次世界大戦終了時までオーストリア領だったことが、この教会の建築様式に反映されています
屋根の模様や時計塔などは他のイタリア地区ではなかなか見られない様式
ヨーロッパでよく見かける、長い「連節バス」
テントの休憩所、雨宿りには最適、お花もきれいでした
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可愛いイラストは ○○○ポンプ?
険しい山にそびえ建つ「ロンコロ城」のポスター
サレンティーナ渓谷(Val sarentina)への道を2.5km歩く
1237年に建てられたが、19世紀に再建された
内部には14~15世紀の騎士物語のフレスコ画が残る
「コンコン」と石打が響き渡り、石畳の修理中でした
次はオーストリア「インスブルック」へ <海外旅行>に投稿します
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