中尊寺というのはこの山全体の総称であり
「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です
本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました
町営中尊寺第一駐車場から、参道入り口月見坂へ
中尊寺は標高130mほどの東西に長い丘陵に位置しているため
表参道から金色堂前まで、月見坂を道なりに上って行きます
江戸時代に伊達藩によって植樹されたは杉は樹齢300~400年
今にも雨が降りそうな表参道は
杉の老木に覆われ荘厳さとヒンヤリ感が漂っていた
撮影日 2021.7.13
左側は弁慶堂
東物見台
視界が開け、束稲山・北上川・衣川を眺望できる場所
古の俳人芭蕉翁をはじめ多くの旅人がここで足を止め
眼下に広がるその光景を眺めたのでしょうか
地蔵堂
薬師堂
改築されたようで新しいです
本尊の薬師如来、日光・月光菩薩と十二神将(じゅうにしんしょう)を安置し
和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っています
正月4日には中尊寺一山(いっさん)の僧侶によって修正会(しゅしょうえ)が行われます
観音堂
本坊表門
本堂の正面に建つ表門は、薬医門とよばれる形式の門です
伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられています
本堂
本尊:釈迦如来
像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像
中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を
鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい続いています
出典:中尊寺HPより
不動堂
峯薬師堂
(目にご利益があるお堂)
境内の別峯に建っていたが度重なる野火にあい、1689年に現在地に移された
讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている「丈六の薬師如来」は、もとはこの堂の本尊でした
※ 初めて見る擬宝珠 ☟
峯薬師堂に入る左側の池、モリアオガエルの生息地
池に張り出した木の枝に泡にくるまれた卵塊を作っていた
池の周りにもたくさんの泡巣
何度かモリアオガエルの生息地には行ったが、見たのは初めて
モリアオガエルの白い泡巣 ☟
そして今にも雨が降りそうな条件に
モリアオガエルの鳴き声がにぎやか、、、
☟標本のフォト
オオバジャノヒゲの花
大日堂
金色堂が見えてきました
金色堂について こちらです
極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって
往時の工芸技術が集約された御堂です
金色堂内部図 ☟
阿弥陀如来像、観音・勢至菩薩像、地蔵菩薩像など計33体もの
金色の仏像が安置され、これもまた他に例を見ない構成
奥州藤原氏三代により花が開いた平泉仏教文化の中でも別格の威容を誇る
☟
出典:上2点(まっぷる岩手)
俳人:松尾芭蕉像
旧覆堂
金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられた
と伝えられる5間4方の堂で、古い記録には「鞘堂」とも記されています
「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味がある
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、
薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです
(中には入れました)
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ
何度かの増改築を経て、現在の建物は室町時代に建てられたと考えられています(重文)
釈迦堂
弁財天堂
大長寿院
左折は、、
能楽堂・白山神社方向
帰路、雨に降られ
本堂の前で雨宿り
振り返って
中尊寺の「月見坂」の入り口
【世界遺産】
平泉の黄金文化を象徴する、金色堂で知られる中尊寺
奥州藤原氏の初代・清衡によって造営されたが
時代の流れの中で多くの建物が焼失しました
光輝く金色堂だけが、今も往時の繁栄ぶりを伝えています
参考資料:中尊寺公式サイト
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