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☆京の冬の旅 * 知恩院(山亭庭園・勢至堂・一枚起請文・御廟・大鐘楼・友禅苑)

2022-03-02 | ♥京都・奈良の旅

大鐘楼 知恩院の大晦日の除夜の鐘です

 

 

☟マップの上部

勢至堂客殿の山亭・千姫のお墓・勢至堂へと順に参りました

知恩院の境内・伽藍は、華頂山の斜面に辺り、段々と上りながら、下ります

 

 

 

山亭

勢至堂の客殿、霊元天皇の第13皇女 吉子内親王の宮殿を御下付、移築された山亭庭園

山亭庭園は江戸末の様式を残しており、北西角に三尊石(阿弥陀三尊)を配するとともに

京の町並みが一望出来る名園、遠景を意識的に庭の一部として利用

 

 

 

撮影日は2月18日

白梅がそろそろ開花期を迎える頃

 

 

 

手前の庭を無限の空間に拡大する優雅閑寂な書院庭園となっています

素晴らしいです☆ ぜひここへおこしやす

 

 

 

 

 

裏出口より、歴代の住職さまのお墓や墓地となります

進んでいくと、徳川二代将軍秀忠の長女千姫のお墓でした

 

※二代将軍 徳川秀忠の長女千姫(1598-1664)

幼くして、豊臣秀吉の息子 秀頼の元へ嫁ぎますが、大坂の陣により徳川家の元へ保護されました

その後、姫路城主 本田忠政の嫡男 忠刻のもとへ再嫁しますが

忠刻らの病死により、弟の三代将軍 徳川家光の元へ戻ります

千姫は出家して天樹院と号し、江戸の竹橋御殿で余生を過ごしたといわれています(享年70歳)

 

 

その奥に濡髪大明神

「濡髪」という名前は御影堂ができたために住家を追われたキツネが

童子に化けていた時に髪が濡れていたことに由来

もともとは火災除けの神様としてお祀りされていました

 

 

 

 

勢至堂(せいしどう) 重要文化財

勢至堂の地は、法然上人がお念仏のみ教えを広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地

堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源がここにあります

ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に移されたため

それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(重文)をご本尊としておまつりしています

これが勢至堂といわれる由縁です

また、上人ご終焉の本地の堂ということで、本地堂(ほんじどう)ともいわれています

知恩院境内の中でも、ひときわ静穏な空気に包まれた、お念仏発祥の地にふさわしい聖地です

 

 

 

 

元祖大師御遺訓

宗祖(元祖)法然上人御遺訓 一枚起請文

 

 

元祖大師御遺訓

※出典:わかり易く浄土宗から  コチラ

私が説く念仏は 中国や日本の多くの学者たちがお説きになっている

心をこらして仏さまのお姿を見奉ろうとする観念の念仏ではありません

また学問をして 念仏の意味を理解してとなえる念仏でもありません

ただ極楽浄土に往生するためには 南無阿弥陀仏と声に出してとなえることによって

必ず往生するのだと確信して念仏をとなえる以外 何も子細はありません

ただし 三心といわれる心の持ち方 四修といわれる態度は 南無阿弥陀仏と口にとなえれば

必ず往生できると思ううちにおのずからそなわるのです

もし かりに私がこのほかにさらに奥深いことを知っているというようなことがあるならば

 お釈迦さま阿弥陀さまの慈悲の心からはずれ 本願による救いからもれてしまうでしょう

念仏を信じる人は たとえお釈迦さまの教えをよく学んでいても 

自分は経典の一文さえわからないおろかな者と受けとめて 

知識のない者と同じように智者ぶったふるまいをしないで 

ただひたすらに念仏をするべきです

 以上に申し上げたことは私の教えとして誤りがないという証(あかし)のために両手印を押します

浄土宗の信仰心の持ち方とその実践についてはこの一枚の紙に記したことに尽きます

私(源空/法然上人)が思うところは これ以外にありません

私の死後 誤った考えが何も出ないように 思うところを記しました

建暦二年(一二一二)一月二十三日    源空花押(法然上人の署名と印)

 

 

 

御廟 京都府有形文化財、内部非公開

法然上人のご遺骨をご奉安する廟堂

方三間の宝形造本瓦葺で、周囲には唐門のある玉垣がめぐらされています

法然上人は建暦2年(1212)、この地にあった大谷の禅房でご入滅されましたが、

その後、門弟たちによって廟堂が建てられ、ご遺骨がご奉安されました

現在の御廟は、慶長18年(1613)常陸国土浦藩主 松平伊豆守信一の寄進を得て改築されたものです

廟堂の蟇股(かえるまた)には

「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に鶴」「桜に鳥」「孔雀に牡丹」など

桃山様式の華麗な彫刻が施されており、法然上人のご生涯を偲ぶにふさわしい静粛さと格調のある建物です

 

 

出典:知恩院HP

 

 

拝殿

御廟の手前には、法然上人の御廟にお参りするための拝殿です

宝永7年(1710)に建て添えられた檜皮葺のお堂で、法然上人を間近に拝することができます

 

 

 

お花が手向けられていました

 

 

下りの塀沿いの階段から、たわわな柑橘が

 

 

 

 

 

上から下って来ました

 

 

普通はこちらから登っていくみたいです

ここで法然上人に、初ご対面

 

 

納骨堂

 

 

大鐘楼 重要文化財

鐘楼は延宝6年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたもの

釣鐘は高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70t

京都・方広寺、奈良・東大寺と並ぶ大鐘として知られています

 

 

 

この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘だけです

とりわけ除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、京都の冬の風物詩となっています

 

 

 

大鐘楼の場所から少し上がると、円山公園の山頂部で

早咲きの紅梅がボツボツ開花していました

では下ります

 

 

 

宝仏殿

 

 

宝仏殿、屋根正面にお尻を挙げた獅子を発見!

これは建物が火事になると口から水を吐きだして消してくれるという伝説があることから?

屋根の上に乗せられ、鬼瓦と同様に守り神として大切にされてきました(多分)

 

阿吽になっています

 

 

霊塔(多宝塔)

 

 

境内の売店で、お線香、清水焼の香炉を購入

 

 

友禅苑

池泉庭園の補陀落池の中央にある観音菩薩像は、彫刻家・高村光雲の作品



 

 

池泉庭園の上流には京都の有名実業家の一人だった大沢徳太郎の別邸にあった茶室「華麓庵」や

知恩院第86世中村康隆猊下の白寿を記念し移築された茶室「白寿庵」なども

いずれも裏千家ゆかりのお茶室で、その周辺の茶庭にも風情があります

 

 

 

 

 

 

 

 

「白寿庵」

 

 

友禅染の生みの親、江戸時代中期の絵師 宮崎友禅斎

 

 


広さは約4千坪(12,000㎡)

東山の清流を配した池泉式庭園と、枯山水の庭(鹿谷苑)と

上下二段に分かれ、昭和の名園といわれています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三門 横を通て

 

 

 

八坂神社内を通過、、、

 

 

 

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2 コメント

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さすが京都ですね❕ (yamaguti2520)
2022-03-02 21:04:14
素晴らしいとしか言いようがありません。JRのコピーですが、京都に行こう~そこに何かが❕春の目覚めが京都にはあるJR~
オジンが作ったコピーです笑ってくださいね❕
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Re:さすが京都ですね❕ (みさ々)
2022-03-03 09:41:14
オジンさん、おはようございます。
「そうだ 京都、行こう」のキャッチフレーズでおなじみのJR東海の観光キャンペーンですね。
2022年の冬は“京都で身も心もととのえる旅”を展開していました。
素晴らしいです♡、今は本来の静かな京都に出会います。
次は桜咲く京都から春の特別拝観が始まります。

>京都に行こう~そこに何かが❕春の目覚めが京都にはあるJR~
☆☆☆です(パチパチパチ)
いつもありがとうございます。
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