山門(赤門)
出典:赤城山 西福寺公式サイト
天候不順の折、続けて西福寺 開山堂に参りました
山門(赤門)から 山門(白門)
まず一つ目の山門(赤門)
赤門の前に立つ、雲蝶作の二つの石碑
右側の火除地蔵は、火災を守り
左側の禁葷酒(きんくんしゅ)と刻まれた石碑は、禅宗の山門に立ち戒めを説くもので
葷とはにんにく、韮類のことをいいます
葷や酒を食した直後に山門に入ることを禁ずるという意味で
山内の清浄を汚してはならないという戒めの言葉です
室町時代後期、1534年に開かれた赤城山西福寺
多くの人をひきつける理由は
本堂の隣に位置する開山堂内外に施された石川雲蝶の彫刻、絵画、漆喰細工です
山門(赤門)
火除地蔵
火除地蔵の台座には狛犬
禁葷酒の台座には牛
赤門、石の仁王像
時代は不明
白門より以前に建立、戦国時代から江戸時代前期にかけての作?
かなり風化しているが、顔の表情は分かる
※何枚も撮ったが、作者不明
山門(白門)
門扉には龍が取り囲むように彫りこまれ、左右に仁王像が安置されていた
(現在、雲蝶作の仁王像は、開山堂内に移設されています)
平成22年に改修工事
山門の仁王像は仏師山本桃楓(長岡市在住)作
石川雲蝶のパンフレット コチラ
☝ のパンフレットをご覧ください
なかでも雲蝶の大作、道元禅師猛虎調伏の図(どうげんぜんじもうこちょうぶくのず)は圧巻です
突如、立ち込めた黒雲の合間から龍が現れ、トラに襲いかかる!
そんな迫力のあるシーンが彫り込まれています
天井彫刻以外にも、物語性豊かな欄間の彫刻や漆喰鏝絵なども見応えがあります
開山堂正面の向拝にある彫刻
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開山堂
平成11年に雪から建物を守るための覆い屋根が出来ました
開山堂入口
本堂
本堂内入って直ぐの間に、VTRを見ながら石川雲蝶作の襖絵など解説
1857年に完成した「開山堂」は
当時の住職だった大龍和尚が曹洞宗の開祖・道元禅師の世界を表現するよう
江戸彫石川流の彫物師・石川雲蝶に依頼したもの
大廊下の床板には瓢箪や小槌、木の葉などの形をした埋め木(うめき)細工
床板の傷や節穴などを修理する際に使われた職人技です
(アップリケのように埋め込まれているのを探すのも面白かった)
雲蝶が仕事の合間に施した
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約160年以上の板の間
石川雲蝶
1814(文化11)年、江戸の雑司が谷(現東京都豊島区)に生まれた石川雲蝶。
本名は、石川安兵衛と言いました。
江戸彫りの一流派・石川流の本流門人であり、20代ですでに彫物師として名を馳せていたと言われています。
雲蝶が越後入りしたのは30代の前半。
越後三条(現三条市)の金物商で、法華宗総本山・本成寺の世話役だった内山又蔵との出会いに端を発します。
ちなみに「良い酒とノミを終生与える」ということが、越後へ来ることを決めた条件とか。
越後三条を拠点に、近隣で創作活動を開始した雲蝶は、後に内山氏の世話で三条の酒井家に婿入り。
名実ともに“越後の人”となりました。ひとたびノミを握れば神業的な作品を手掛けた雲蝶。
その妙技から生み出される木彫りや石彫、絵師を思わせる見事な絵画まで、
息をのむ数々の作品はまさに“越後のミケランジェロ”と称えられるにふさわしいと言えます。
明治の中頃に三条の住まいをはじめ、菩提寺の本成寺が火災に見舞われ、彼の素顔を記す資料も焼失。
謎に包まれた雲蝶ですが、またそれも彼の作品を鑑賞する上で、想像力をかきたてる要素となっています。
(「越後のミケランジェロ石川雲蝶」(新潟県観光協会)より)
本堂から白いクリンソウが見えたので、裏庭へ
庭から雪囲いした開山堂が良く見えます
雨は本降りに、、、
駐車場に戻った頃、大型バスが入ってきた
お先に拝観できてホッ
幕末の名匠、 雲蝶の世界が今ここに蘇る
見応えある素晴らしい作品群でした
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