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☆初秋雲ノ平の休日*「最後の山賊」

2017-09-16 | ♠ 北アルプス周辺

 

<体調絶不調>の前回投稿で、ご心配お掛け致し支えて下さいました皆様どうもありがとうございました

お陰様で、「低体温症」は山荘スタッフの迅速な対応で、難なく時間と睡眠で治癒できました

「腰部脊柱管狭窄症」は、その後また問題が発生し、今は治療中ですが、これも日々良くなっています

 

水晶岳山行キャンセルは、家族で相談してすぐ決まりました

若いRだけでも勧めたのですが、「今回は3人で登る事に意味がある」とかうれしい事を言って・・・(+_+)

安心して一人登山に行ける力をつけているRは、スライド上映で「水晶岳」に目を輝かしていましたし

 

 

9月8日早朝も雨の音で目が覚めた

 2階のベランダ方向(正面)

 

 

 

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「最後の山賊」 

北アルプスの山奥に親しみを込めて「最後の山賊」と呼ばれる人がいた

北アルプス最奥部にある三俣山荘の主人、故伊藤正一さん

航空機エンジンの開発者でありながら、終戦を機に北アルプス最奥の地、黒部に踏み入り

山賊とともに黒部に生き、黒部の大自然を見守り続けてきた

この記事をご覧になった方もいると思いますが、早稲田大学ジャーナリズムウエブマガジン「SPORK」より転載

2010年9月16日 取材・執筆 紙野武広

 

 (7年前、ご存命中だった伊藤正一氏のインタビュー記事)

 

 -初めて雲ノ平に入ったのはいつごろですか。

「前々からこの黒部源流域に興味があった私は、1946年に三俣小屋と水晶小屋の権利を買い取り、1948年に初めて雲ノ平に足を踏み入れました。

その時は、そのあまりの自然の美しさに仰天しましたよ。『とんでもないものを発見したぞ』と思いましたね。

それからは、この雲ノ平の素晴らしさを多くの人にとにかく伝えたいという思いでここまでやってきました」

 「日本庭園やアルプス庭園など、いろんな呼び名をつけたのも多くの人々に親しんでもらいたかったからです。

だが、まず何をするにしても道が必要でした。

当時、雲ノ平へは烏帽子小屋か槍ヶ岳を経由して登るルートしかなく、最低でも2日かかった。

そこで、新たな道を自ら開拓することにしたんです。それが伊藤新道です」

 伊藤新道は雲ノ平へ最短で向かうルートとして、1956年に伊藤さんが自費で開通させた。

信濃大町側の湯俣から湯俣川を遡上して三俣山荘に通じている。

かつては登山者の間でも人気ルートであったが、度重なる岩壁の崩落などにより現在は使われていない。

 

 

  -伊藤新道を開通させるのに何年ぐらいかかりましたか。

「周囲の山を調査するだけで7年、完成には10年余りかかりましたね。

ケモノ道すらほとんどない状態だったので、毎日シラミつぶしに歩き回り、鉈(なた)でハイマツを切り進めて道を徐々につけていきました。

1956年に開通させてからようやく雲ノ平に山荘を作り始めることができたのです」

 

 

  -雲ノ平山荘の建設で、一番苦労したことは何ですか。

 「やはり資材の運搬ですね。伊藤新道ができたとはいえ、あのころは今のようにヘリコプターなどなかった時代ですから、

資材の運搬はすべてボッカたちがやっていました。資材の運搬だけに3年、完成に5年もかかりました。

資材は平均で重さ50〜60キロ、120キロもする発電機を背負って行くこともあった。

履物はわらじか地下足袋で雨具もない。それにボッカたちの食料が一番の問題だった。

食料を運ぶだけでも荷物がいっぱいになるので、ボッカたちの食料を運ぶためだけの新たなボッカを雇わなければならなかった」

  長野、岐阜、富山の三県の境をなす三俣蓮華岳を中心に広がる黒部川の源流域だ。

北アルプスの切り立った山々に囲まれ、地形が非常に険しく、川の流れも激しい。

 

 

  -当時の黒部源流領域はどんな様子でしたか。

 「今とは全然違いますよ。動物がそこら中にいましたからね。

ハイ松の中を歩けば50メートルに一度ぐらいはクマの赤子の鳴き声が聞こえ、三俣小屋のあたりはイワナくさいほどでした。

ウサギは簡単な仕掛けだけで毎朝5〜6匹、最高は23匹捕れたこともありました。それにカワウソまでいましたからね」

 カワウソ(ニホンカワウソ)はかつて、日本全国に広く棲息していたが、1979年以降目撃例がなく、絶滅したとも言われている。

人にイタズラをするという伝承が各地である。

 

 

  -本当にカワウソがいたのですか。

  「そうです。当時、山の中で『オーイ、オーイ』と聞こえても、それはバケモノだから返事してはいけないという噂(うわさ)があったんです。

でも、あれはカワウソの遠吠(ぼ)えだったように私は思うんです。彼らは騒いだり、じゃれたりするのが好きな性格ですから。

それに、私は実際にイワナのいない硫黄の沢をカワウソが軽快に渡るのを目撃したことがあります。

このことをカワウソの専門家に話したところ、それは移動中のカワウソに間違いないと言ってくれました」

 

 

  -今はカワウソを見ることはできないのですか。

  「今はもう見ないですね。私がカワウソを見なくなったのは、1969年の北アルプスが大荒れした年です。

その年ちょうど黒部ダムが満水になり、鉄砲水がダムを越えてしまったのです。高瀬ダムの建設が着手されたのもこの年です。

この年を境に黒部に異変が起きたのは明らかです。カワウソが黒部から消えたのも、このことと無縁ではないと思います」

 

 

  -今後の抱負を語って下さい。

 「戦時中、私は陸軍航空研究所でジェットエンジンの開発に携わっていました。

そして戦後、私が山に入りもう64年がたち、その間に航空機の性能は確かに上昇しました。

しかし、まだジェットエンジンの根本部分はまったく進歩していないと私は思っているのです。

だから、私はこれからその研究に全力を注ぎたいと思っています。具体的な内容はまだ言えません」

 

 

  -新しくなった雲ノ平山荘について、今後どのようになってほしいですか。

   「この景観を壊さずに自然とうまく共存して欲しいです。

ここを訪れた人には、それぞれに何か感じていってもらいたいです。

あとはすべて息子に任せていますから心配ありません」

 

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 当日の宿泊者は2組

その内ソロの方は烏帽子岳から雨の中辿りついたそうで、「今日は高天原なのでゆっくりします」と言って10時ごろ出た

 早朝の雨はすっかりあがり、爽やかな高原の陽射しを取り戻していた

私たちは連泊なのでドアのついた個室を用意して頂き、「寝正月」のような気の楽さ

朝食後、横になっていると知らぬ間に2時間くらい午前睡し、、、

 

 

 

 

階段にかかっていた版画

二朗さんの奥さんの友人の作品、山から手がで、太陽・月・山々と雲海

ピンボケが残念(@_@。

 

2階の相部屋、私たちは通路左側の部屋でした

 

 受付ロビーの前を通り、正面はトイレ、左は食堂

 

午前睡から目覚めた時、食堂からボブ・ディランの歌声が聴こえ、、、

私を助けてくれた<スナフキン>イメージのスタッフ、●田さん?と思った(*´▽`*)

 

これはおおいに受け~、

二朗さんの趣味のスピーカー音響効果でライヴに聴こえ(^^♪

ボブ・ディランは久し振りだったが、黒部の山荘に鳴り響く曲にピッタリでした

 

 

 

 

 

 お世話になった乾燥室

 

 

 

雨のあと、じわじわと草原の草紅葉が秋の気配色に変わってきた

 

 

(手前) 祖母岳の先は黒部五郎岳

 

 

雲にかかっている三俣蓮華岳、左尾根を下って三俣山荘

 

 

ハイマツにホシガラスが飛び交って

 

 

正面の山は祖父岳、陽当たりの良いデッキは、山旅人の一時乾燥場所

 

 

 昼ご飯は、トマトパスタ・ラーメン・台湾風チキンライス・チョコケーキetc

        

 

ハクサンイチゲが夜空に映えて☆

 

 

 黒部五郎岳(標高2,840m)(2016年死ぬ思いで登頂)

 

 

 双六岳からゆったりした高原状をなして、北の三俣蓮華岳(標高2,841m)へと続く

(2014年、新穂高から死ぬ思いで踏破)

 

 

 雲ノ平山荘

 

 

 ガラガラドアを開けると、木の香りがプ~ン

 

 

祖母岳(ばあだけ) 

一帯はアルプス庭園と呼ばれている

 

 

森林限界のハイマツ帯に、真っ赤な<ベニバナイチゴ>が愛らしかった

ベンチに寝そべり、贅沢な時間を過ごす

 

 

(左)祖父岳 (右) 三俣蓮華岳

 

 

 イワイチョウの黄葉

 

 

 雷岩?

 

 

水晶岳  (黒岳) 標高2,986m

 

 

 

 

 ヘリ便

 

 

 

 

 スイス庭園へ向かう途中の水晶岳

 

 

水晶池

 

 

 高天原山荘 

近くの高天原温泉はコチラを参照

 

 

 

薬師岳 黒部川 赤牛岳 (右)水晶岳へ

 

 

静かに陽が沈みつつ

 

 

 

 

 「日の入り」 アラスカ庭園方向に陽が沈み

雲ノ平の静寂な夜空、キラキラ輝く星空を眺められた事はいつまでも忘れないでしょう~☆

 

 

「日の出」あと朝のお月さま 

 

 

 

 夕食時は新しい宿泊者と、薬師沢からの直登談義に楽しい時間が共有でき、、、

夕飯名物:温かい石狩鍋、(連泊者はトンカツ付きと宿泊代500円引き

 

お豆、コブの煮つけ?(忘れました)とかとても美味しかったです

 

 こうしてゆったりした贅沢な時間を過ごし

あまりの心地よさに山旅の終着地として充分満たされ癒されて、明日は下山です

 

 文中親しみを込めて名前は略称させて頂きました

 

つづく

 

 


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4 コメント

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素敵な写真で (mino)
2017-09-21 00:10:11
みさ々さん こんばんは
私には行けそうにもない山なので
素敵な写真で、山に行った気分を味わえました
低体温症も回復されて、何よりでしたね
山小屋も素敵ですね
返信する
怪我の功名 (niceshotpete)
2017-09-21 06:36:16
大変な思いをされましたが、その怪我の功名というか、素敵な休日を過ごされましたね。
爽やかな高原で日がな一日のんびり過ごす。なんという贅沢な時間。慌ただしい日帰り登山ばかりの私には羨ましい限りです。
私の脊柱管狭窄症は鳴りを潜めてくれてますが、無理は禁物という教訓もいただきました。
返信する
Re:素敵な写真で (みさ々)
2017-09-21 16:01:02
minoさん、こんにちは~
ありがとうございます。
私も家族が一緒でないと登れない山です。
山旅は今まで人生の中で出会ったことのないたくさんの感動があり、行く予定を立てた家族に感謝しています。

低体温は自分では自覚できず、、、体力消耗の限界に近い状態は自覚できました。
雲ノ平山荘のスタッフには本当に感謝しています。
みんなの笑顔がとても素敵でした(*´▽`*)

お世話して下さった看護師さんにあいさつせず帰ったようで心残りです☆
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Re:怪我の功名 ( みさ々)
2017-09-21 16:28:42
niceshotpeteさん、こんにちは~
今思えば、雲上の楽園で日がな一日のんびり過ごす事が出来たのは「怪我の功名」でしょうか。
「腰部脊柱管狭窄症」は冷えと長時間の座り姿勢が一番ダメージがありますね。

私も腰痛は随分<なりを潜めていた>のですが、尻もちで激痛が加速しました。
今はリハビリと時々の痛み止め薬を服用していますが、気分がすぐれず体調がよくありません。
歩く事は問題ないので軽量ザックで腰周りを冷やさないようにね。
腰巻ベルトは格好悪い?
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