黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

ポンペイ そして ナポリ夢の国

2006年12月05日 | 旅行
スペイン広場のカフェで食べた、昼食ホットサンド。
まあ、大きくて顔くらいはあったね。ビールでおいしくいただきました。
   

あけて、11月21日は、国内で頼んであった”ポンペイ、ナポリ”へ出発。
”みゅう”という旅行会社のバスは、15人のりの小さなバスに11人とこじんまりしたグループだった。
ほかのバスは5~60人くらいで、トイレ順番も大変そうだった。
ガイドさんは、それを見越して早めは早めの出発にしてくれた。

ローマから約3時間でポンペイに着いた。
あいにくの雨ではあったが、大降りにはならなかったのは幸い。

79年に、ヴェスヴィオス火山の噴火による火山灰で、一瞬のうちに埋もれてしまった都市。
18世紀に発掘されるまで、眠り続けていたのでした。
   

都市機能は非常に発達していて、下水道、上水道、車道(馬車)歩道があり、側溝も完備しているのです。
このトンネルは、向かって左(閉鎖されているほう)が歩道で、現在使われているのは車道側です。
   

歩道にはところどころ白い小さな大理石が埋め込まれていました。
それは月の光に照らされて、街灯のような役割をしていたとか。
   

生贄台でしょうとのこと。
   

非常に灌漑について考えられており、高いところから低いところへとの町並みです。
   


お金持ちはいつの世でも同じで、建物に贅を尽くしていたのでしょう。
非常にたくさんのモザイクが見られました。
   
   
そして家の中に噴水があったり、家の壁を漆喰画で埋め尽くしたりと。
   

青色は当時は珍しい色で、ラビスラベリをつかっています。
相当のお金持ちらしい。
手前の丸いのが噴水跡です。
   

玄関に、猛犬注意のモザイクです。   
   

これはすべて発掘されたもので、現在修理中のもたくさんあるとのこと。
大きな金庫が合ったけれど中身は空っぽ。
逃げるときに持っていったのか、盗掘にあったのかわからず。
中にある人型は、火山灰で埋もれたときの状態の人型に、石膏を入れて作ったものです。
   

ん十年前に来たときのことを思い出しながら、ここ変わらないなあと。感慨もひとしおだった。

およそ2時間の見学中、どこかの高校生くらいの男の子が、”こんにちは、おげんきですか?”
と話しかけてきて、”こんにちは”と返すと、仲間と、通じた通じたといっていたのがおかしかった。
子供は本当にどこの国でも変わらないんだと思った。

昼食を、たぶん日本人御用達のレストランで食べ、まあおいしかったからよかったけれど、ナポリの町並みを見学に出発した。

ナポリは、バスの中からだけだったけれど、要所要所を回ってくれ、ガイドさん曰く、10月からナポリはマフィアの抗争中なので非常に危険なのだそうだ。1日に2~3人は、殺されているらしい。
パトカーが走っていったのを見て、誰かまた死んだのかしらといっていた。

そして、サンタルチア港、卵城、遠くにソレントを望み、後ろには、ヴェスヴィオス火山。
オオソーレミヨ。

ナポリを見てから死ね。
いや!まだまだ死ねない。
  

帰りはお決まりの押し売りコース。
トイレただ。ただより高いものはない。
カメオ工場では、見学だけといいながら、とうとう一人が買った。

次はお土産やさん。きれいなパスタがかわいく置いてある。
つい買っちゃた。でも、ほかの人は円でも大丈夫といわれて払っていたけれど、
私は、日本で換金していったので、手数料入れても1ユーロ、155円だった。
現地では158円とか(手数料なし)。そこではなんと、190円換算の日本円を払っていた。なんとボッタクリ状態だ。
日本人のスタッフもいたのに。
旅行だとつい気が大きくなって、お金に無頓着になってしまうんだなあ。
でも、お母さんはいつでも電卓片手に、値段を見ていた。

夜は、ガイドさんの教えてくれたレストランへ。
ホテルの近くだったのでよかった。
ガレッジセールのゴリに似たウエイターがとてもよくしてくれた。
そして、日本語が一言も通じないところでがんばったよ。
二人でアーダコーダといいながらメニューを選び、本当はあれもこれも食べたかったのだけで、いかんせん量が多すぎる。
このチーズのおおきさは?と聞くと手で10CMの大きさを作り、暑さを4CMくらい作ったので食べられない。
あの、スモークサーモンは大皿に山盛り。無理。
結局、お願いして、トマトとモッツアレチーヅのピザにしたがとてもおいしかった。お決まりのビールと、赤のハウスワインで乾杯。
三日目も無事に終了。

あしたは、水の都ベネツィアへ。