黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

キューバへ行ってきた。     vol 3

2018年05月07日 | 思い出
ほとんど英語のわからない白タクのおじさんと、ドキドキしながら値段交渉。

ゲバラの、第一邸宅までいくら?と聞くと10CUC。

お願いいします。

途中のカバーニャ要塞。聞いても、言われてもわからないスペイン語。で説明してくれた。


軍隊の駐屯地のような場所で、当時冷戦中のソ連のミグ戦闘機と、撃墜した機銃だと言われたような気がした。

写真撮影がだめみたいで、そっと近寄り素早く写真撮れと言われたような気がした。


巨大なキリストの像が目印のようなもので、


その向かい側に、cheと書かれた白いきれいな建物、ゲバラの第一邸宅がありました。

入口に入場料を払うボックスがあり、お姉さんがくわえたばこで切符を切ってくれた。肺はその辺へポイポイ。


寝室。


小さな小部屋。


当時使っていた、タイプライターや、ラジオにカメラ。


多分、拷問に使われていたようなもの。中にいたお姉さんは結構親切で、いろいろ説明してくれた。スペイン語交じりの英語で。入場者誰もいず。


この後、ホテル・アンボス・ムンドスへ行きたいと交渉し、10CUC。

此処も見ろと、カテドラルで降ろしてくれた。


中には入らなかったけれど、真ん中に公園があって、子供たちが遠足?見学会?のように、たくさんいた。


馬車も活躍していて。


2連結のバス。乗りたかったけれど、乗れなかった。乗り方がわからない。(笑)

車の場所に戻ってきたらおじさんがいない。探すこと十数分。おじさんが向こうから走ってきた。

キューバは、警察がうるさくて駐車違反撮られるので向こうに止めてきたと言って、友人のリュック持ってきてくれた。

そしてホテルはこの先だから歩いていけると、親切な人だ。


ここが、ホテル・アンボス・ムンドス。ヘミングウェイが、常宿としていたホテルで、有料で部屋を見学させていた。


エレベーターは、当時のままで、エレベーターボーイが横の部屋にいて、乗降客が来るたび一回一回、運転してくれた。


ヘミングウェイが、当時来ていた洋服。行く前にヘミングウェイに関する本を何冊か読んでいったのだけれど、

ロバート・キャパと親交があって、よく一緒に行動していたらしい。。


ベットには当時の雑誌等が置かれていて、彼は腰痛で立ったまま執筆した。

とか言われているが、読んだ本で、娘の話として、痔だったために立ったまま書いていたとのこと。


この階には宿泊できないけれど、普通に宿泊できるホテルです。古いのですが雰囲気は十分。


遅めのお昼をここで。


サンドイッチとビールで。ほとんどのカフェやレストランではこのようなバンドが演奏している。

もちろん、自分たちのCD販売と、チップの請求に来ます各テーブルごとに。CDは、約1000円位です。

通りすがりのおばあさんは、音楽に合わせて踊っちゃいます。


ホテルに帰って一休み、これが7時くらいかな?十分に明るい。


と、ここで結婚式がアメリカ人らしくて、英語で誓いの言葉を言っていた。立会人というか牧師さんは女性で、スペイン語で話していた。


まあ、この子がかわいい。天使の羽をつけていたの。すてきなドレスだけれど、夕方は風が強くて寒そうだった。



結婚式のふるまい酒、ダイキリを頂きました。

この場所にいて、結婚式が始まる前からいた人すべてに、注文を聞いて好きな飲み物をふるまってくれました。


夕食はここで。普通の民家みたいでどうやって行って良いかわからなくて、うろうろしていたら扉が開き、そこはエレベータ。

最上階にレストランが、全くわからなかった。予約制と言われたが席が空いていたので入れてもらえた。


料理の写真も撮ったのだけれど行方不明、スペイン語全然わからないので、ビーフの赤ワインにとサラダ、リゾット、ビールにワイン。

日本のあづき混ぜご飯のようだった。


                                  続く









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