学ぶほど知らないということを知る・・・
これは、時々高校生にいう言葉です。
たまに中学生にも言います。
何かの本からの引用ではなく、私の実感の言葉です。
おそらく、多くの人がそれぞれの分野で実感しているのではないでしょうか?
先日も宇宙開発の最先端の学者の方が、かなり宇宙のことを解明できてきた。。しかしまだ0・1%(だったと思います・・とにかくびっくりするほど少ない数字)しか解っていないのです。
と。。
実るほど頭が下がる(こうべ垂れる・・だった気もしますが・・)稲穂かな。。
まぁそういうことでしょう。
先日は、ある思春期の子に、
「あなたより私に優れたところがあるとしたら、それは、あなたより“自分は知らない”ことを知っている。。ということだ」
と語りました。
知れば知るほど「奥深さ」を知るのです。
自分の「小ささ」を知ります。
先日もピアノを弾かれる、あるお母様が、「やればやるほど遠ざかる気がします」とおっしゃっていました。
とても正しい感覚だと思います。
うちのご父兄(多くはお母様)の中には、大学で音楽を専攻され、音楽関係のお仕事・・・学校の先生だったりピアノの先生だったりしますが、数多くいらっしゃいます。
この方も、そのお一人で、大学でピアノを専攻され、かなりの難曲もこなし、今でも学び続けている方です。
演奏活動も家庭を犠牲にしない範囲でやっておられますし、ご自分のレッスンも続けていらっしゃいます。
だからこそ出る言葉だと思います。
これでいいということはないので。
ちょっとかじったところで、簡単に物知り顔で語るほど恥ずかしい事はありません。
分かる人には「浅さ」を見抜かれてしまいます。
ちょっとマスメディアに出たとか、なにかで評価され賞をもらったと言って、勘違いしてはだめです。
そんな表層的なことでは、「生きる」は、語れませんし、「芸術」からも、「学問」からも、どんどん遠ざかってゆくでしょう。
「やればやるほど遠ざかる気がします」
というのは、自分が客観的に見えてきている状態なのだと思います。
生きて学ぶことや、子供を育てることは、長い歴史の中で、先人たちが生涯をかけて学び、生み出してきたものを「受け取り」「継承」してゆくのだと思います。
私たちも、長い歴史の中の一粒にすぎません。
それでも日々を楽しんで、学んだり、受け渡したりしてゆければと思います。
本当に何百年前の人の作品に触れると(これは音楽に限らず)、その偉大さや深さに驚きを禁じえません。
私たちは、本当に進歩・進化しているのであろうか??
と、いつも考えさせられてしまいます。
それでも、やはり「学ぶこと」は、喜びだ!と、思います。
人間ってそんな存在なんでしょうね。
今日はカタかったですね。
日々このようなことを考えて生きているんです。
何かヘン??~