米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

学ぶほど知らないということを知る

2013-11-09 07:59:10 | おもうこと

学ぶほど知らないということを知る・・・

これは、時々高校生にいう言葉です。

たまに中学生にも言います。

何かの本からの引用ではなく、私の実感の言葉です。

おそらく、多くの人がそれぞれの分野で実感しているのではないでしょうか?

先日も宇宙開発の最先端の学者の方が、かなり宇宙のことを解明できてきた。。しかしまだ0・1%(だったと思います・・とにかくびっくりするほど少ない数字)しか解っていないのです。

と。。

実るほど頭が下がる(こうべ垂れる・・だった気もしますが・・)稲穂かな。。

まぁそういうことでしょう。

先日は、ある思春期の子に、

「あなたより私に優れたところがあるとしたら、それは、あなたより“自分は知らない”ことを知っている。。ということだ」

と語りました。

知れば知るほど「奥深さ」を知るのです。

自分の「小ささ」を知ります。

先日もピアノを弾かれる、あるお母様が、「やればやるほど遠ざかる気がします」とおっしゃっていました。

とても正しい感覚だと思います。

うちのご父兄(多くはお母様)の中には、大学で音楽を専攻され、音楽関係のお仕事・・・学校の先生だったりピアノの先生だったりしますが、数多くいらっしゃいます。

この方も、そのお一人で、大学でピアノを専攻され、かなりの難曲もこなし、今でも学び続けている方です。

演奏活動も家庭を犠牲にしない範囲でやっておられますし、ご自分のレッスンも続けていらっしゃいます。

だからこそ出る言葉だと思います。

これでいいということはないので。

ちょっとかじったところで、簡単に物知り顔で語るほど恥ずかしい事はありません。

分かる人には「浅さ」を見抜かれてしまいます。

ちょっとマスメディアに出たとか、なにかで評価され賞をもらったと言って、勘違いしてはだめです。

そんな表層的なことでは、「生きる」は、語れませんし、「芸術」からも、「学問」からも、どんどん遠ざかってゆくでしょう。

「やればやるほど遠ざかる気がします」

というのは、自分が客観的に見えてきている状態なのだと思います。

生きて学ぶことや、子供を育てることは、長い歴史の中で、先人たちが生涯をかけて学び、生み出してきたものを「受け取り」「継承」してゆくのだと思います。

私たちも、長い歴史の中の一粒にすぎません。

それでも日々を楽しんで、学んだり、受け渡したりしてゆければと思います。

本当に何百年前の人の作品に触れると(これは音楽に限らず)、その偉大さや深さに驚きを禁じえません。

私たちは、本当に進歩・進化しているのであろうか??

と、いつも考えさせられてしまいます。

それでも、やはり「学ぶこと」は、喜びだ!と、思います。

人間ってそんな存在なんでしょうね。

今日はカタかったですね。

日々このようなことを考えて生きているんです。

何かヘン??~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする