植物を育てるように、子供たちを育ててゆきたい。
光をあて、水をやり、栄養を与える。
与えすぎて根腐れすることだってある。
光の当て具合も様々で、植物の種類によって異なる。
生育具合も、咲きごろ見ごろも違う。
促成栽培や、温室育ちでは、次の世代を生み出す、強い植物には育たない。
食べるだけ、鑑賞するだけならまだいいが、たくましくは育たない。
しょせん温室育ちの促成栽培。
大人はそれをよく見て、いいところで水をやり、栄養をやり、光をあて、じっと見守るしかない。
その事に徹する。
植物は、やがて花を咲かせ実をつけ、次の世代を生み出してゆく。
そういう、露地物の力強い植物を育てなければ。。
子供を愛するならば、答えを教えてはいけない。
あえて考えさせる。
あえて困った場面を作る。
手出しをした方が簡単だ。
一見親切そうに見える。
「やってあげる」ほうが。。
でも、そうじゃない。
下手くそでも、時間がかかっても、一生懸命に子供がやることを見守ってあげること。
「答」ではなく「思考回路」を育てる。
感覚を育て、直観力を育て、洞察力を育てる。
体と向き合い、自身と向き合い、作曲家の思考回路に向き合い、時空を超えて会話する。
人生って何ですか?生きるって何ですか?
という根源的な問いかけを、子供たちは、無意識のうちに、違う言葉でいつも発している。
ともに悩み、寄り添う。
大人だって、完璧な答えなんて見つかっていない。
見つけるために、学び、働き、、つまり生きているんだとさえいえる。
そういうことを伝えなくちゃならないんだと思う。
成人君主じゃなくていい。。
「生きている」・・・って生々しいことだから。。