こんにちは
今日は本のお話にお付き合いください
現在、何冊か同時進行で読んでいる本の中の一冊が、河合隼雄先生・・・の「河合隼雄の“こころ”」教えることは寄り添うこと
という、最後に綴られた本です。
オビには、不世出の臨床心理学者が最後に綴った“おとなのこころとこどものこころ”とあります。
とても分かり易く読みやすく書いてあります。
殆どの項目が、4ページぐらいにまとめられ、興味あるところから読み進められるようになっています。
これは、「こころの子育て」も同じ工夫がされていて、じっくり読む時間がない・・・というお父さんお母さんや、学校の先生方でも、少しずつ読めるようになっています。
この中で、とても共感することの中から・・・
少し引用・・・
「読解力」の弱い子供が多いことが、問題として指摘されている。算数でも計算は相当に良くできるのだが、実際場面での応用問題を出すと、問題をよく読んで状況が分かると、簡単な計算ですぐわかるはずなのに、答えの出し方が分からず、間違ってしまう。或いは、漢字は読むことも書くこともできて、文章を読ませるとしっかり読むのだが、それが全体として何を言おうとしていたのか、などと問うと、さっぱり答えられないのである。
最近、私もよく・・・
四角の解答欄の中に答えは入れられても、それが何なのかわかっていないのでは?
ということを言ったり書いたりするのですが、これも同じ意味。。
何分の何拍子?
書いてあるので答えられます。。だけど。。
「じゃあ、数えながら弾いてみて」
「1,2,3と小節に書き込んでみて」
・・・
???
なんとなく素敵な感じで弾かれていても、??な演奏・・・
こうだ☆と言える答えにたどり着けるまでには、何かしらの過程があり、ちょっと頭を悩ます時間が必要。
そこを飛ばして、なるべく早く答えを得ようとすることは、大切な何かを置き去りにしている可能性がありますよね。
考えを深めてゆくこと。。
きっとこれは子供自身が悪いんじゃなくて、大人がそういうことを普段求めていないんだと思います。
「読解力」を身につけるには、「時間をかける」ことが必要なのだが、「素早く反応する」ことに慣らされすぎていないだろうか・・・と。
子供たちのゲームにも、「ぱっ、ぱっ」とやって正答が見つかる、というのが多い。
つまり、考えていることに時間をかけるよりは、早く反応して、当たるまでやればよい。ということに慣らされすぎてしまうと、書かれています。
ゲームに関しては、「操作する」という態度が強くなり、「関係性」が生まれないことが指摘されています。
鬼ごっこやかくれんぼ、トランプや将棋などは、必ず人間関係があります。
マニュアルに沿ってやればうまくいくということにも、多くの問題が生じてくると思います。
型どおりの範囲なら、人間関係もある程度マニュアルも通用するが、自分の思い通りに「操作できる」と思い始めると、思い通りに「操作」出来なくなり、パニックを起こし、「こんなもの潰してしまえ」というような、短絡的行動に結びつく恐れがあるのではないかと。。
これは非常に怖いこと・・恐ろしい事件を引き起こしかねないのではないかと。。
実際こういう事件を起こしてしまう多くの若者・・(ばかりではありませんが…)の短絡的思考の傾向は、多くの問題をはらんでいるということ。。
子供たちが触れるものにも、全体と関係なく、パッと興味を引く場面が多く見受けられます。
瞬間的には面白いなどという映像を見せ続けられることが、子供の脳や心の発達にどれほどの影響を与えているのか、考察してみる必要がある…と考えられます。
ゲームやテレビについて書きましたが、教育全体にも、「ぱっ、ぱっ」と、素早く反応することが強調されているのかも知れません。
「思い通りに操作する」ことは出来ず「我慢する」ことも時には必要。。
何でも聞いてあげれば、「やさしい」感じはしますが、それは子供の心にいい影響ばかり与えません。
少しずつ「思い通り」にはならない、ということを伝え、それに対する事の出来るしなやかな「心」を育てなけらばならない、と感じています。
下手でも、時間かかっても、「あえて」子供自身がやってみること。
子供たちは意外にも、喜んでやってくれます。
「受け身」にしてしまうのは、大人の、一見「親切」そうな対応。
出来る事は、何でも、時間の許す範囲で、子供にやってもらいましょう。
日常の何気ないことから、多くのことを子供は学び、「生きる力」を身につけてゆくと思います。
よろしかったら、是非この本を手に取ってみてください。
今日は本のお話にお付き合いください
現在、何冊か同時進行で読んでいる本の中の一冊が、河合隼雄先生・・・の「河合隼雄の“こころ”」教えることは寄り添うこと
という、最後に綴られた本です。
オビには、不世出の臨床心理学者が最後に綴った“おとなのこころとこどものこころ”とあります。
とても分かり易く読みやすく書いてあります。
殆どの項目が、4ページぐらいにまとめられ、興味あるところから読み進められるようになっています。
これは、「こころの子育て」も同じ工夫がされていて、じっくり読む時間がない・・・というお父さんお母さんや、学校の先生方でも、少しずつ読めるようになっています。
この中で、とても共感することの中から・・・
少し引用・・・
「読解力」の弱い子供が多いことが、問題として指摘されている。算数でも計算は相当に良くできるのだが、実際場面での応用問題を出すと、問題をよく読んで状況が分かると、簡単な計算ですぐわかるはずなのに、答えの出し方が分からず、間違ってしまう。或いは、漢字は読むことも書くこともできて、文章を読ませるとしっかり読むのだが、それが全体として何を言おうとしていたのか、などと問うと、さっぱり答えられないのである。
最近、私もよく・・・
四角の解答欄の中に答えは入れられても、それが何なのかわかっていないのでは?
ということを言ったり書いたりするのですが、これも同じ意味。。
何分の何拍子?
書いてあるので答えられます。。だけど。。
「じゃあ、数えながら弾いてみて」
「1,2,3と小節に書き込んでみて」
・・・
???
なんとなく素敵な感じで弾かれていても、??な演奏・・・
こうだ☆と言える答えにたどり着けるまでには、何かしらの過程があり、ちょっと頭を悩ます時間が必要。
そこを飛ばして、なるべく早く答えを得ようとすることは、大切な何かを置き去りにしている可能性がありますよね。
考えを深めてゆくこと。。
きっとこれは子供自身が悪いんじゃなくて、大人がそういうことを普段求めていないんだと思います。
「読解力」を身につけるには、「時間をかける」ことが必要なのだが、「素早く反応する」ことに慣らされすぎていないだろうか・・・と。
子供たちのゲームにも、「ぱっ、ぱっ」とやって正答が見つかる、というのが多い。
つまり、考えていることに時間をかけるよりは、早く反応して、当たるまでやればよい。ということに慣らされすぎてしまうと、書かれています。
ゲームに関しては、「操作する」という態度が強くなり、「関係性」が生まれないことが指摘されています。
鬼ごっこやかくれんぼ、トランプや将棋などは、必ず人間関係があります。
マニュアルに沿ってやればうまくいくということにも、多くの問題が生じてくると思います。
型どおりの範囲なら、人間関係もある程度マニュアルも通用するが、自分の思い通りに「操作できる」と思い始めると、思い通りに「操作」出来なくなり、パニックを起こし、「こんなもの潰してしまえ」というような、短絡的行動に結びつく恐れがあるのではないかと。。
これは非常に怖いこと・・恐ろしい事件を引き起こしかねないのではないかと。。
実際こういう事件を起こしてしまう多くの若者・・(ばかりではありませんが…)の短絡的思考の傾向は、多くの問題をはらんでいるということ。。
子供たちが触れるものにも、全体と関係なく、パッと興味を引く場面が多く見受けられます。
瞬間的には面白いなどという映像を見せ続けられることが、子供の脳や心の発達にどれほどの影響を与えているのか、考察してみる必要がある…と考えられます。
ゲームやテレビについて書きましたが、教育全体にも、「ぱっ、ぱっ」と、素早く反応することが強調されているのかも知れません。
「思い通りに操作する」ことは出来ず「我慢する」ことも時には必要。。
何でも聞いてあげれば、「やさしい」感じはしますが、それは子供の心にいい影響ばかり与えません。
少しずつ「思い通り」にはならない、ということを伝え、それに対する事の出来るしなやかな「心」を育てなけらばならない、と感じています。
下手でも、時間かかっても、「あえて」子供自身がやってみること。
子供たちは意外にも、喜んでやってくれます。
「受け身」にしてしまうのは、大人の、一見「親切」そうな対応。
出来る事は、何でも、時間の許す範囲で、子供にやってもらいましょう。
日常の何気ないことから、多くのことを子供は学び、「生きる力」を身につけてゆくと思います。
よろしかったら、是非この本を手に取ってみてください。
非常に読みやすいので、どうぞお手に取ってみてください。
何かの本に、佐野洋子さんが、「おてんとうさまの光をいっぱい吸い込んだ座布団みたいな人だった」と、亡き河合隼雄先生を偲んで語っていらっしゃいました。
その、佐野洋子さんも今は亡き人・・ですが。
村上春樹の文の中に「我々は少なくとも、鎮魂すべきものをいくつか、心の中に抱えている」ということを書いていたけど、曲に向かうとき、少なくともそれは重要なことの一つだと考えています。