今日は、今から約2000年前、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かってくださった日を記念した受難日です。
イエス・キリストのキリストというのは、名字ではなく、救い主という意味で、天の父なる神様のたった一人の子でもあるのです。
しかし、ただ十字架に架かられただけではなく、死んで三日目に復活して死を打ち破ってくださいました。
そして、今も生きておられ、天の父なる神様に、私たちの祈りを取り次いでおられるのです。
だから、それを信じ告白した者には、罪が赦され、肉体は死んでも、霊が永遠の命を得て、神様と共に永遠に生きる者としてくださるのです。
これを福音・良きおとずれ・グッド・ニュース・ギリシヤ語ではEvangelionと言い、信じるだけで救われる恵なのです。
今度の日曜日は、そのイエス様が復活された記念日です。
新宿のセンチュリーハイアット東京の地下で、六時から、東京カリスマ聖会がもたれます。
入場無料で、すばらしい賛美も聞けるし、私もいますからお声をかけてくださいね。
ところで、復活を記念してゆりの花が用いられるのはなぜかと言うと、Ⅰコリント15:52「終わりのラッパともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」というところから、人類の復活の時にラッパがなります。
黙示録にもラッパがたくさん出てきますが、イスラエルのラッパは先端が朝顔のようになっていて長い茎があり、ゆりの花に似ているから、復活を記念した日にゆりの花が用いるようになったそうです。
時というのは、ギリシヤ語では、クロノスとカイロスとの二つがあります。
クロノスは、時計で計れる時を現しますが、カイロスは時計で計れない、大切なターニングポイントなどの「とき」を現し、ひらがなで書いたほうが合うと言われてます。
人間は、「この祈りは一体いつ聞かれるのか。」と、時間つまりクロノスを気にしますが、神様は、神の最善のときであるカイロスを定めておられます。
この神のときというのは、人間にしてみると遅いと感じることが多いですが、後で考えると最善であったと分かります。
人間が絶対ピンチに陥ったとき、神の介入があるのです。
神様は、あえて人間の考えている時より遅らせて、ある場合は、崖から落ちるまで追いつめてから、業をなされます。
その時、私たちは人ではなく神にしかできない奇跡を体験するのです。
「神のなさることは、時にかなって美しい。」と伝道者の書3:11にはありますが、神のときは、人にとっても絶対的なタイミングの時でもあるのです。
その時が来るのを待ち望む中でしか、訓練できないこともあるのですね。