ここ数日、涼しくて助かります。
昨日高円寺では、蝉がしきりに鳴いていたので、秋の訪れを感じました。
今日はお休みの日ですが、いろいろ資料を造ったりしています。
ネットで、顔写真を見つけるのが大変ですが、見つけた時はうれしい物です。
ところで、マーリン・キャロザースさんのメッセージを聞きながら仕事をしていましたが、多くの恵みをいただきました。
私たちが、思い煩いや、恐れや、問題を自分で握っていると、自分がかわいそうと言う思いになって来ます。
それを人に話し、同情をかうともっと自分がかわいそうと言う思いが強くなり、霊性が弱くなります。
そこにサタンが付け込むのです。だから、すべての問題や恐れなどを神様にゆだねることが必要です。
しかし、あんまり長くその感情や問題を握っていると、それが当たり前になり手放すことができません。
まして、相手に問題がある時はなおさらです。
しかし、それを自分の手から離す決心をし、告白をして神様にゆだねることが重要です。
そして、いつも神様ご自身を喜ぶ時に、力が与えられサタンが逃げていくという内容でした。
「クララの明治日記」の中で再来日した1882(明治15)年11月このようなことが書いてあります。
「勝夫人はあいかわらず快活で、二人の「おばあさん」とともに、こおろぎのように生き生きしておられる。
疋田夫人(勝海舟の長女)と内田夫人(次女)はお子さんたちといっしょに洗礼を受けておられた。
日曜日の夜の祈祷会では、内田夫人がオルガンをとても上手に弾いたので本当に驚いたし、うれしかった。」1883年1月「・・・梅太郎(三男)は今月中に出発することになっている。彼は善良な信心深い少年であり人生の唯一の目的は日本人のためにの宣教師になることなので、そのために長崎の神学校にはいり、英語ができるようになったら、アメリカに行くつもりである。
それなのにみんなは反対で、わたしたちもここにいて父上(勝海舟)の意向に従いなさいと勧めているが、梅太郎は堅く決心して「人我に従わんと欲せば己を捨て、おのが十字架を負いて我に従え。」(マタイ16:24)と言い給うたキリストの言葉通りにしたいと言っている。
これこそキリストが自分に負わせようとなさる十字架であると梅太郎は考えている。
かわいそうに、彼は間違っているのではないかと思う。」
梅太郎は、結局、勝海舟の世話になり、伝道者としてキリスト教の教育に携わっていた木村熊二の所で勉強しますが、本来の怠けぐせがあるため牧師にはなれませんでした。後にクララと結婚しますが、生活能力がないため離婚されてしまいますが、再婚した方との間にできた孫が女医として大活躍されます。
その本はまだ読んでいないので、読んでから書きますね。
それでも明治時代、梅太郎にそんな情熱があったと言うことは、素晴らしいことだと思いました。