1836年(天保7)ジョージ・ミュラーは、31歳で、孤児院を始めました。
その影響を受けた石井十次は、1887年(明治20)22歳で、孤児院を始めました。
また、二人の影響を受けいた金子尚雄は、1892年(明治25)で、孤児院を始めました。
みんな若いですね。
これらの人々は、信仰によって神の働きに従事したのです。
写真は、今は大学になっているジョージの孤児院です。
川越には、発泡スチロールでできた、動物のアートがいたるところにあります。
これは、平安末期から鎌倉時代頃に描かれたと言う国宝・鳥獣戯画の一場面です。
すごいですね。
でも、どの作品もリアル過ぎて、個人的には、もう少しかわいい方が好きですが・・ごめんなさい。
先ほどかすかに、揺れているかなと思ったら、やはり地震でした。
大きな地震が来ないように祈らなければなりません。
明治24年(1891年)、愛知県と岐阜県にまたがる所でマグニチュード8.4の濃尾震災があり、7300人が亡くなりました。
この時、東洋救世軍が名古屋に事務所を置き、93人を収容して名古屋震災孤児院を作りました。
石井十次は、岡山孤児院に130名の孤児たちがいましたが、名古屋震災孤児院から40名をを引き取りました。
数ヵ月後には、名古屋震災孤児院が閉じられたので、全員を引き取り228名になりました。
職員は、14名でしたが、石井十次は若干28歳でした。まだ、孤児院に対する関心が薄い時代でしたから、「ヤソが、大勢の乞食を集めて、一体何をしょうとしているのだ。」と、陰口をたたかれたこともありました。
食べる物がないと言うところをたくさん通りましたが、神さまが多くの人々を動かされ、助けが与えられ続けたのです。
ジョージ・ミュラーと同じで、祈りが土台ですね。
写真は、ジョージが最初に孤児院を作ったウィルソン通りです。