このアズサストリートで、すばらしいリバイバル(信仰復興)が起きたのです。
プログラムは無くて、すべてが神さまの導きの中でなされていました。
ある証言では、彼がまだ子供の時、カトリックだったお母さんに連れられ教会行きました。
入ったとたん、全身鳥肌が立ち様な神さまの臨在に触れたそうです。
普通子どもは、たいてい廊下で走り回っていますが、そこではみんな静かに神さまに触れられていたそうです。
みんな手を天に向けて祈り、少年もひとりでに両手が上がったそうです。
回りを見ると、赤ちゃんまでもが両手を上げていました。
大人たちは泣きだし、少年は全身の毛が逆立つように感じになりました。
会堂は、静かで、祈りに満ちていたそうです。
ある時、10歳のキャサリンが階段の上から、新しく入ってきた男に向かって異言で語り出しました。
すると、その男は、「私はユダヤ人でここでの話を聞いて、悪いところだけ集めて記事にしょうと誰にも内緒で来たのです。
しかし、会堂に入るとこの少女がへブル語で話しだし、自分な名前から職業からしょうとしたことや私生活の秘密まで話し、悔い改めるようにと言ったのです。」と言い、泣きだしたのです。
パーハムがヒューストンに開いた学校に黒人のウィリアム.J.シーモアという学生がいました。
彼のお父さんは、元奴隷で、シーモアは片方の目の視力がありませんでした。
そのシーモアが、ロサンゼルスにやってきたのです。
小さな黒人の教会で、シーモアは、数日語ることとなりましたが、初日のメッセージを聞いた長老たちはびっくりして翌日教会の入り口を閉じてしまいました。
そこの教会員で、ボニーブレア通りに家を持っていたラス・アスベリーが自宅で集会を開くようにと行ってくれました。
そこで、1906年4月に3日間、集会が開かれましたが、話を聞いているうちに人々は、聖霊のバプテスマを受け異言で語り、笑いだしたり大声で歌う者まで現れたのです。
初代教会時代、使徒たちが経験したと同じ現象が再現されたのです。
うわさを聞きつけた人々が集まり、シーモアは、バルコニーに立って外の人々にメッセージを語りました。
あまりに人々があふれたので、ボニーブレアハウスは、壊れてしまいました。
そこで、アズサストリートにあった元馬小屋で、火事で半分焼けた所を修理して教会としたのです。
1900年の大晦日、学生のアグネスが、「使徒の働き」では、聖霊のバプテスマのために祈る時、相手の上に両手を置いて祈っていたと言うことに気が付きました。
聖霊のバプテスマ(洗礼)とは、聖霊に満たされる最初の現象のことです。
そこで躊躇するパーハムに、自分のために手を置いて祈ってくれとパーハムに言いました。
午後の7時に、ためらいながら、パーハムが、アグネスのために手を置いて祈ると、彼女の口から今まで聞いたこともない音節が聞こえてきたのです。
異言は、外国語の場合もありますが、解き明かさないと理解できなことばもあるのです。
その後、みんなで聖霊のバプテスマが与えられるように祈りました。
1901年1月3日(この日は、私の誕生日です)に、各教派に属する牧師12人が聖霊のバプテスマを受けて異言で語り出しました。
ところが、彼らのメッセージは、いろんな所で、拒否されたのです。
地元の牧師や新聞からは叩かれ、みなちりじりになり、パーハムは食べることにも困ってしまいました。
学校は閉鎖され、みんな散り散りになってしまいました。
1903年、パーハムは、ミズリー州の保養地エルドラド・スプリングにやってきてました。
この温泉ではあらゆる病に聞くと言うので、多くの病人たちが集まっていました。
そこで、パーハムは、小屋を借り、メッセージをしたあと、病人のために無料で祈ったのです。
そこで、何度も目の手術をしていやされなかったアーサー夫人のために祈ると、目がいやされたのです。
彼女は、カンザス州ガレナの自宅にパーハムたちを招き集会を開きました。
間もなく、家はいっぱいになり、隣の空き地にテントを張り、その後近くの古い倉庫を借りて教会にしました。
3ヵ月で、1000人の人々がいやされたのですが、パーハムは、再び学校を開くためにテキサス州ヒューストンに移ったのです。
1900年、メソジストの青年牧師パーハムは、自分の力の無さを思い、何とかしなけれなばならないと感じていました。
聖書に出てくる使徒たちの働きの秘訣を知るために、10月から、聖書学校を開き、自分は理事兼学生となり聖書の学びを始めたのです。
数人の学生が集まり、授業料は無く、各々の能力に合わせて実費を負担していました。
間もなく、カンサス州のトペカの大きな家を借りました。
そこは建てかけの途中、お金が無くなったので、1階は彫刻のあるどっしりとした家でしたが、2階は安普請の建物で「ストーンの阿呆邸」と呼ばれていました。
そこで、パーハムたちは共同生活をしながら聖書を学んでいました。
ある時、パーハムが旅行に行っている間、新約聖書の「使徒の働きを」学んでおくようにと、指示を出しておいたのです。
その中に「バプテスマ(洗礼)を受けた」という記事が5回と「異言を話す」という現象がでてきました。
最初は、イエス様が復活されてから、「エルサレムにとどまって祈っていなさい。もう間もなく聖霊のバプテスマ(洗礼)を受けるからです。」と言い残し、再び帰ってくると約策されて天に昇られました。
その後、弟子たちは、イエス様に言われたようにエルサレムで祈っていた時、聖霊が降り、他国のことば(異言)で語り出したと言うところです。
この時は、お祭りだったので、エルサレムにはいろんな国にいたユダヤ人が帰ってきていました。
また、ローマの兵隊たちもいたし、近隣諸国の外国人もいたのです。
その人々に、弟子たちは、今まで一度も学んだことのないいろいろな国の言葉で語り出したのです。
人々は、びっくりしました。
神さまに関して、田舎出身の無学な人々から、突然、自分たちの国の言葉が語られたからです。
そして、男だけで3000人がこの時、神様を信じました。
これから始まって、聖霊を受けた後、占い師がびっくりするような神さまの素晴らしい業が起きたことが出てきます。
ローマ人のコルネリオたちが聖霊に満たされた後、異言で語り出したという記事もあります。
学生たちは、聖霊の満たしである聖霊のバプテスマと異言が鍵であることを見つけたのです。
パーハムが帰って来てから、聖霊のバプテスマを受けることができるように祈りだしました。
異言を語ることをふくめて何が起きるかを期待したのです。