まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

ほとんどマレ!

2013年08月23日 | Weblog

我が家は、電波がとどきにくいところです。
室内アンテナを付けているのに、1階はほとんど携帯が通じません。
2階でも、すぐに切れてしまいます。
インターネットラジオのブログをUPすることができません。
できるのは、ほとんどマレです。
どうなっているんでしょうかね?
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ビックリ!

2013年08月23日 | Weblog

埼玉は、雷と雨です。
昨日の東京は、大雨だったようですが、埼玉の方はそうでもありませんでした。
でも、今は、激しい雷の連続です。
ひさしぶりの友人から電話がきたら、
おとといの朝、88歳のお姑さんが亡くなっていたそうです。
前日まで、お元気だったので、家族が驚いたそうです。
ちょうど92歳のジョージ・ミュラーがそれと同じような状態で亡くなっていた場面を描いている所だったので本当にビックリです。
写真は、カワウソのお昼寝です。

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雨ニモマケズのモデル

2013年08月23日 | 明治人物伝


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルは、宮沢の友人でクリスチャンの斎藤宗次郎だと言われています。
彼は、お寺の息子でしたが、小学校の教師になりました。
入院していた時、聖書と出会い、1900年(明治33)に洗礼を受けました。
岩手県花巻市で、初めてのクリスチャンでしたが、親から勘当され、町の人たちからは迫害されました。
無教会派の内村鑑三の影響で、非戦論を唱えたため、学校を辞めさせられ、新聞配達をしたのです。
9才の娘は、子供たちから「キリスト教徒の娘」だといじめられ、腹を蹴られたのが原因で腹膜炎を起こして亡くなりました。
それでも、人々を恨むこともなく、新聞配達の帰りには、病人を見舞い励ましたのです。
そして、第一にキリストに仕え、第二に人々に仕える生活を20年もしました。
彼が、東京に行くことになった時、町中の人々が、感謝して見送ったのです。
斎藤は、内村鑑三の弟子になり、内村が亡くなる時は泊まり込んで看病をしました。
宮沢賢治の「冬のスケッチ」という作品の中に、斎藤をもじったと言われる加藤宗二郎という人物が出てくるそうです。
1927年(昭和2)に、90才で、亡くなりました。

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