まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

天国で再開

2010年10月22日 | Weblog

マーリン・キャロザースさんのまんがを今日明日で仕上げています。
マーリンさんのお父さんが亡くなるシィーンは印象的です。
心臓が停止した後、注射を打たれると突然起き上がり、「もう治療をしないでください。ほら!そこにお迎えが来ている。」と言って息を引き取るのです。
素晴らしい召天ですね。
母が亡くなる日に、祈っていると「凱旋」と言う言葉が心の中に浮かびました。
意識が無くなる前に、信仰告白を再びして洗礼を受けたので、私も安心していましたが、それでも「凱旋」と言う言葉は感動でした。
クリスチャンの死は、この地上の戦いを終えて天に帰るのだから、まさに凱旋ですね。
時々、母に電話しなくてはと、一瞬思う時がありますが、はっとして今は天国にいるのだなーと思い返します。
いつか再び、天国で会える日を楽しみにしています。

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リバイバルの器

2010年10月22日 | Weblog

ロンドンから電車で、ブリストルのレッドランドに行きますが、旅行会社の方に調べていただいたらOFFピークなので、片道25ポンドが35ポンドになると言われました。 

「そんなのありー!」と思わず心の中で叫んでしまいました。
ジョージ・ミュラーが最初に牧会したテインマスまでは、東京名古屋間を新幹線に乗らないで行くのと同じくらい時間がかかるし、電車賃が新幹線以上なので考え中です。 代わりに、ウエスレー兄弟や、ジヨージが影響を受け、ブリストルでリバイバルを起こしたホイットフィールドの学んだオックスフォードに行くかもしれません。
ここは、メソジストの発祥の地になります。
ロンドンには、講壇の貴公子と言われたリバイバルの器スポルジョンのタバナコ教会があります。
また、バスで2時間行ったケンブリッジでは、アメリカから来たムーデーがリバイバルを起こし、そこから何人もの宣教師が生まれました。
その中のひとりであるバックストンが日本に来て、多くの牧師に聖霊の力を教えました。
神のチェーンは、世界中につながっているのです。

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唱歌のルーツは讃美歌。

2010年10月21日 | Weblog

勝海舟の三女逸子の旦那さんになった目賀田種太郎は、日本に西洋音楽を導入するのに尽力した人です。
江戸時代の音楽と言うと小唄や長唄・雅楽のようなものしかなく、五音階しかありませんでした。
クララも日本人の歌のひどさを日記に書いています。
だから、シとファの音階は正確に歌えないとお雇い外国人になったルーサー・ホワイティング・メーソンは言っています。
 彼は、アメリカのボストンの小学校音楽教師の指導者でした。
 日本人に音楽を教えたいと思っていたので、留学していた日本人を見つけると家に連れて行って歌を教えたそうです。
 そこにかかわった3人の日本人の中に、目賀田種太郎がいました。
目賀田の協力で、62歳のメーソンは日本に来ました。
そして、小学校~音大に至るまで、西洋音楽の基礎を作ったのです。
ところが、彼が編纂した小学校唱歌の多くが讃美歌だったので、安田寛さんの「唱歌と十字架」では、そのことを深く追求されています。
若い頃宣教師志望だったメーソンは、日本人の音楽のルーツに讃美歌を植え付けたのです。
「たんたんたぬき・むすんでひらいて・ごんべさんのあかちゃん」などもみな讃美歌で、「故郷」は、クリスチャンの岡野貞一が作りました。
 また、五音階しかない「蛍の光」は、逸子の親友のクララがいつも歌っていた歌でした。
 日本人の音楽のルーツに讃美歌が根付いているわけですから、リバイバルと賛美は切っても切れない関係ですね。

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変なおじさん!

2010年10月21日 | Weblog

昨日大学病院に行く時、電車のシルバーシートに座ると、隣のおじさんが奇妙な方でした。
ある駅に着くと、立って窓の外に向かって手を合わせてお祈りを始めたのですが、それは聞いたことのない言葉でした。
もしかしたら、異言かもしれないと思い心の中で、守りの祈りをしながら耳を澄ましていましたが、良く分かりませんでした。
次の駅でも、同じことをされましたが、この辺は有名な神社仏閣のあるところではありません。
 そのあと、カセットテープを取りだして、子供の頃の思い出を語っていました。エッセイでも書くための吹き込みではないかと思いましたが、自分の世界に浸りきって周りを見ない方だなーと感じ召した。
また、乗り換えのために降りたある駅では、お坊さんがよく立って祈っていますが、昨日は「滝修行募集」の紙をぶら下げていました。
異教徒の方々が、頑張っているので、 私達もうかうかしてられませんね。

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雑草のような・・・。

2010年10月20日 | Weblog

新しい道が半分だけ開通していましたが、知らないうちに昨日全部開通していました。
いままで、かなり遠回りしていましたが、これで少しは、近くなるかな?
ところで、その道の突き当たりにコンビニがあるので、「商売が繁盛しますね。」と言ったら、「とんでもない、この道沿いはみな、新しい道を作るために5年以内に立ち退かないといけない。」と言われて、びっくりしました。
私の母と兄の伯父は、昔、隣同士で土地を買いましたが、母の買った土地は、市の道路になるため安く買い取られてしまいました。
しかし、道路沿いになった伯父の土地は、後に高く売れたのです。隣同士なのに、悲喜こもごもですね。
新しい道の両脇は、昨年まで団地が立っていたところですが、今は、空き地になっています。
そして一面草が生えて拾い野原になっていますが、雑草の生命力と言うのはすごいなーと感じます。
私は、自分のことを雑草のような人生だと思っていますが、私の場合は神様の力によって立っているのです。

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