まんぼ~旅行記 フアヒネ島(3) マイタイラピタビレッジ / ポリネシアのポンペイ

2016年11月09日 | フアヒネ

いやいや、詳しすぎるマスターのお陰でラピタ人に関する知識が急激
に増したように思います。

途中からまったく記憶がありませんけど。

さっ、今回はマイタイラピタビレッジの客室のご紹介です。

客室は全部で3タイプあり、それぞれがリゾートの敷地内にある池を
囲むように配置されています。

こちらはガーデンバンガローです。



マイタイラピタビレッジの客室は、どれも天井が高くスッキリとした
インテリアが特徴的です。

室内にはポリネシアの歴史が感じられるように、ラピタ人の航海に
関係する道具のレプリカが飾られています。

レセプションやミュージアムに飾られている絵画は、ハワイ出身の
ボビーさんというアーティストの作品で、各部屋にも作品が飾られて
います。



客室設備は、デスク、セーフティーボックス、コーヒー&紅茶セット、
テレビ、トイレ、エアコン、各種タオルにアメニティグッズです。

モダンなインテリアの中にポリネシアのテイストを散りばめています。



特別に豪華ではありませんが、客室だけを見ても3つ星ホテルという
扱いが妥当なのかはよくわかりません。

何でも星を付ければ良いというものでもないと思います。
特にこのようなホテルには。

テラスの周囲を手入れされた植物が囲み、適度にプライバシーも配慮
され、ガーデンバンガローでも十分だと思いました。



タヒチあるあるの1つ。
資料でWi‐Fiが可能となっていても、実際には繋がりませんでした。

静かにのんびりと雰囲気を楽しむには、むしろ繋がらない方が良いの
かも知れません。

プレミアムガーデンバンガローは、ガーデンバンガローをスイートに
したお部屋です。

続きまして、私が宿泊したプレミアムレイクバンガローのご紹介です。

ガーデンバンガローよりも少し広いです。



プレミアムレイクバンガローの定員は大人3名と子供1名まで。
ファミリーのお客様には嬉しい定員です。

ソファが1台のベッドになり、更にその下からベッドがスライドする
タイプを採用しています。





ソファの脇には何気に釣り針のデザインが。

ここまで細部にまでこだわるとは凄い。
マニアには堪らない演出です。



バスルームは明らかにガーデンバンガローよりも広くなり、ここだけは
ラグジュアリーな印象になります。

先程のガーデンバンガローと同様に、どのお部屋のシンクもカヌーの
ような形をしています。

これはウメテというポリネシア伝統の入れ物がモチーフになっており、
現在のボウルのようなものでした。





アメニティはシャンプー、コンディショナー、シャワージェル、石鹸と
シンプルです。 これでも十分でしょう。

タオル類はハンドタオルやバスタオルなどをご用意しています。



お部屋のご紹介はこれくらいで十分と思いつつ、もう少しだけお付き
合い頂ければと思います。

セーフティボックスやティーセットの写真も撮影しましたので、折角
ですからご紹介しておきます。





空き巣じゃあるまいし、引き出しを物色するような行為は私の趣味に
合わないのですが、これも仕事なので慣れました。

どこに何が入っているかわかりませんからね。
取りあえずは一通り見てみないと。

ガラガラ…。



ふと壁に視線を向ければ、パトゥが飾られています。
パトゥは昔の人が戦の時に使用していた武器です。

木やクジラの骨を削りだしてパトゥを作っていたのだとか。

パトゥで敵対する部族をバシバシやっていたのでしょう。
現在のタヒチからは想像もつかない世界です。



屋根のあたりにはラピタ土器の模様になっている箇所があります。

外からの光が室内に降り注ぐと、天井の近くにある板にはその模様が
綺麗に浮かび上がります。

間違いなくオシャレ。



テレビはリモコン操作により台の中から上昇してくるタイプです。

そうとは知らずに私は台の上に携帯電話や水を置き、リモコンを触り
ながら室内を徘徊していると背後で物音が。 

上昇してきたテレビによって携帯電話と水が床に落ちてしまい、救出
があと少し遅れれば携帯がアウトになるところ。

このような小さなハプニングがありました。
この台の上には何も置かないことをお勧めします。



テラスもガーデンバンガローよりも少し広く、目の前には池の景色が
広がっています。

弓なりのベッドは、タヒチ語で椅子を意味するパラヒラアというものを
イメージしており、マイタイホテルのロゴにもなっています。

室内の椅子やテレビの前の台も同じデザインです。
パラヒラアは昔の人の権力の象徴でもありました。





1回目の記事で、マイタイラピタビレッジの前身がバリハイホテルで
あったというお話に触れました。

このあたりは元々湿地帯で池が多く、バリハイホテルの建設時に池の
中から沢山の遺物が発掘されました。

ホテルの建設に必要な盛り土をブルドーザーで掘っている時にパトゥ
が発掘され、その後もザックザック。



一番凄かったのは、ラピタ人のカヌーの残骸です。

長さが7m、幅が50cmもあるカヌーの側板が2枚。
更に12mのマストや4mにもなる舵取り用の櫂までが発掘されました。

この残骸によりラピタ人の航海は伝説ではなく考古学的に立証される
ことになり、それまではヨーロッパ人の絵画でしか知ることの出来な
かったカヌーの大きさも解明されました。

カヌーの残骸だけでなく住居の柱も発掘されたことで、このあたりは
元々集落であったものが数百年前に津波で埋まった遺跡であると考え
られています。

まさに、ポリネシアのポンペイと呼ぶに相応しい場所です。




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まんぼ~旅行記 フアヒネ島(2) ラピタ人のお話

2016年11月02日 | フアヒネ

ラピタ人の事を知りたいだなんて何年振りかな。 腕がなるわい。

ワタシもこのホテルに勤めるスタッフとして、ラピタ人に関する知識を
多少は持ち合わせております。

オホンっ!

それでは、日本からの旅人のリクエストにお応えして、私セルジュが
ラピタ人のお話を少しだけ。

太平洋の北をハワイ、西をニュージーランド、東をイースター島として
3点を結んだトライアングルがポリネシアになり、この範囲には少なく
とも1000以上の島が存在しています。

これらの島は数千㎞も離れているにも関わらず、使っている言語や文化
等に似ている部分があることから、ポリネシアのルーツは同じであると
考えることが出来ます。



簡単なところで、「家」はハワイではハレ、タヒチではファレ。
ほとんど一緒です。

イースター島のモアイが鎮座するアフと呼ばれる祭壇がタヒチのマラエに
似ていることもそうでしょう。

ニュージーランドの有名なハカは、マルケサス諸島の力強いダンスに
似たところがあります。

メラネシアではありますが、フィジーでは家のことをブレと呼び、こちらも
戦いの前に自らを鼓舞するようなダンスがあります。



元々は誰も住んでいなかったポリネシアに現在は沢山の人が住んでいる
わけですが、ポリネシア人の先祖はいったいどこからやってきたのか。

諸説ある中で、今から3000年以上前に台湾やビスマルク諸島から航海を
経てポリネシアにやってきた説が有力です。

このような人たちの事をラピタ人と呼び、ラピタ人が使っていた土器は
ラピタ土器と呼ばれ、当ホテルの名前にもなっています。



ラピタ人は多くの謎を残しています。

突然現れて人類史上類のない大航海を行ったラピタ人ですが、その昔に
現在のような船や航海術があったはずもありません。

吹けばひっくり返るようなカヌーに乗り、夜空に輝く星々を道しるべに
大冒険を行ったときけば、それだけで気が遠くなります。

そもそも、危険を犯してまでそのような大航海を行う必要があったのか。

各地での部族間の争いにより、必要にかられて次の島を目指したのか。
それとも自らの意思で航海を続けたのか。



ラピタ人が暮らしていた土地には、長い歳月で見れば平穏な時もあれば
部族間で争いが起きたこともあったと考えることができ、航海には周到
な準備を行っていたことが伺えます。

このような事から、その土地を追われるようにして航海を行ったのでは
なく、平穏な時期に自らの意思で航海を行ったと考えることが出来ます。

いったい何のために? という疑問は残りますが。

この広い海を自分達の庭のような感覚に捉えていたのか…。

人が宇宙を目指すように、自らの航海術で大海に挑戦したかったのか…。



ラピタ人の足取りについては、ビスマルク諸島からマルケサス諸島へ。

マルケサス諸島からイースター島へ、更にはソシエテ諸島やハワイ諸島、
最後にニュージーランドへ派生したとされます。

イースター島だけは南米に近いことから、ポリネシアから文化が入った
とされるポリネシア説の他に、南米から文化が入ったとされる南米説を
唱える人もいました。



今のところはイースター島もポリネシア説が有力です。

ただし、南米からの文化がゼロではなく、イースター島にはポリネシアと
南米の両方から文化が入ってきたと考えることが出来ます。

モアイのアフはマラエに似ているように見えるものの、アフ・ビナプの
精巧な石組みはインカ帝国の石組みに似ています。

インカ帝国のような精巧な石組みは、マラエには見られません。

南米からイースター島に入ってきた文化は少数派であったため、やがて
ポリネシアの文化に吸収される形で衰退したのでは。



ラピタ人は、航海の時にはラピタ土器もカヌーに乗せていました。

航海に欠かせなかったと思われるラピタ土器は、なぜかタヒチを最後に
作られなくなってしまいました。

これについても、土器を作る粘土が取れなくなったとされる説があれば、
タヒチで芋がとれたことを理由とする説もあります。

ラピタ土器は米を運ぶために必要であったのでは…。

ラピタ人が到達したタヒチでは米が取れないかわりに芋がとれたため、
土器を作る必要もなくなってしまったのでは…。

2500年程前にはラピタ人の足跡は途絶えており、謎は深まるばかり。



ラピタ人やポリネシアのルーツに関するお話をしましたが、どれが絶対
に正しいということは言い切れず、何れも推測の域を出ないのです。

また、今後世界のどこかで何かが発掘されることにより、現在は有力と
されている説も全て見直しになることもありえます。

さっ、肩慣らしはこれくらいにして、今から本格的に激熱なラピタ人の
お話に進みたいと思います。

本気を出しちゃうぞ。 どこまでワタシについてこれるかな。

昔の人はアメリカやアラスカからやってくる渡り鳥を見て……。
……東ポリネシアには紀元前850年までに既に人が到着していた。

黒蝶貝の釣り針…。  …ヘイエルダール…。 

zzzzz…。 zzzzzzzz…。




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まんぼ~旅行記 フアヒネ島(1) マイタイラピタビレッジ / マラエ

2016年10月27日 | フアヒネ

「篠遠先生の楽園考古学が、いつか太平洋全域の人びとを結ぶ絆と
ならんことを。 荒俣宏 」

ハァ~…。

深いため息と共に、知り合いに勧められた1冊の本を読み終えました。
こんなにも凄い人がいたのか。 篠遠喜彦博士。

これを読むと肩身が狭くなります。

古い本ではありますが、ポリネシアのルーツや歴史、イースター島に
ご興味のある方にお勧めの1冊です。



思い返してみると、フアヒネ島には足を運んだことがありません。

私はいても立ってもいられず、篠遠先生が遺跡の復原に長年携わった
フアヒネ島に向かったのでありました。

パペーテからフアヒネ島まではタヒチ国内線で40分程。

ボラボラ島やタハア島に行く時に、いつも国内線の窓から眺めていた
未踏の島に到着です。



ボラボラ島やモーレア島とは違い、はたまたランギロアやティケハウとも
似つかない独特の雰囲気。

空港の前から風光明媚な景色が広がり、周回道路に出て車で走ること
10分でマイタイラピタビレッジに到着しました。

2000年に閉鎖されたバリハイホテルの跡地に建設されたタヒチ初の
カルチュアルホテルは、蓮の池を囲むように建っています。







入り口を進んだ先がレセプションエリアになっています。

昼間だというのにとても静かで、自分以外のゲストは泊まっていない
のではと思われるほど。

ここがアクティビティデスクも兼ねていますので、アクティビティの
お申込みもこちらにご相談下さい。



レセプションは24時間対応しています。

誰もいない時は机の上のトエレを棒で鳴らすと、後ろにあるスタッフ
ルームから出て来てくれます。

まさに誰もいませんので棒でトエレを叩くことにしました。
コンコン♪ シーン・…。

少し大きな声で、「イアオラナ~」
こちらの方が早いというものです。





チェックインを済ませれば早速リゾートの見学です。
先程も少し触れましたように、こちらはカルチュアルホテルです。

ポリネシアの美しい自然と文化を世界にアピールするとのスローガン
により、5年程前に開業しました。

円形のゆったりしたプールはビーチに面しています。



ホテルを開業したのは、アメリカから30年前にタヒチに移住してきた
陶芸アーティストのピーター・オーウェン氏です。

オーウェン氏は観光化が進んだタヒチ島や有名なボラボラ島ではなく、
古き良きタヒチの風情が感じられるフアヒネ島を建設地に選びました。

リゾートの建設には地元産や廃材の再利用を優先し、太陽光エネルギー
で電力の半分を賄うエコシステムを採用しています。

カヤックやライフジャケットのレンタルは無料で行っています。





早速こちらの目玉をご紹介しましょう。
マイタイラピタビレッジには1500年前のマラエが復原されています。

マラエとは石を重ねた遺跡になり、イースター島のモアイが鎮座する
アフと呼ばれる祭壇に類似するものです。

まんぼ~ノートによりますと、昔のタヒチにはあちらこちらに部族が
あり、各部族は独自にマラエを建設しました。

大きな村はより大きく、より沢山のマラエを村に作ったとされます。
このあたりもモアイに通じるところがあるのかも知れません。



マラエは様々な宗教儀式に用いられたとされ、それぞれのマラエには
神が祀られていたとされます。

マラエは石組みだけの印象がありますが、こちらに復原されたマラエ
にはフォークのようなものが刺さっています。

フォークのようなものをウヌと呼び、戦の前には戦用のウヌをマラエ
に刺し、漁業の成功を願う時には漁業用のウヌを。

作物の豊作を願う時には豊作用のウヌを刺して村人が祈りを捧げてい
たとされています。 

そのような視点から考えれば、復原された下の写真のマエラには沢山
のウヌが刺さっており、デフォルメが過ぎるのかも知れません。



マラエは村を映すシンボルであると同時に、酋長のチカラの大きさを
示す意味にも繋がっていたと考えられます。

「山には神様が宿る」と言われるように、山の裾野や中腹にマラエを
建設することが出来たということは、それだけ神に近づくことを許さ
れたという特別な意味にもなります。

フアヒネ島やモーレア島に残されている色々なマラエを見学してみる
と、それぞれの祭壇の形状が異なっています。

これらの形状にも何かしらの意味があったはずだと言われていますが、
このあたりは謎に包まれたまま。

マラエのある場所には何かしら星の位置が影響しているのではないか
とも言われています。

こちらはもう1つの復原されたマラエです。
ボーボーの草がなければもっと雰囲気が出るのにな。





話題をマラエからリゾートのご紹介に戻します。

レストランが1件、バーが1件というシンプルなリゾートで、3食共に
こちらでお召し上がり下さい。

ゲストの混み具合によっては食事がビュッフェになる事もありますし、
アラカルトスタイルになることもあります。

リゾート内にある菜園や果樹園で採れたばかりのフレッシュな食材が
人気で、フレンチとポリネシアのフュージョン料理を提供しています。

簡単なリゾートのご紹介はこんなところです。



午後の国内線で到着してあっという間に夕方になり、フアヒネ島での
1日目が終わろうとしています。

もう少し勉強してから滞在した方が楽しめるのでは。
私がここに来るには少し早いのかも知れません。

そう思うところがありつつも、もうフアヒネ島に来てしまいました。

私の頭の中では歴史の話がパズルのようになっていますし、知らない
事も多いので、これらを整理する機会にしようと思います。



ということでマスター。
ベタで申し訳ないですけど、マイタイを一杯下さい。

それから、ラピタ人とやらに興味がありますので、何かご存知であれば
教えて頂けませんか?

ニッコリ微笑んだマスターのセルジュさんが、ポリネシア人のルーツで
あるラピタ人についてお話をして下さることになりました。






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