楽園タヒチ(前半)に続きまして、お客様から旅行後にお寄せ頂いた
写真と共にタヒチのご紹介です。
市場には地元の人も含めて大勢の人が集まり、とても賑やかです。
夜明けと共に始まり、果物、野菜、魚、花などが並びます。
手工芸品のお店では、5つの諸島から集められた特産品彫刻、タヒチ
アンキルト、パレオ、駕籠細工などが手に入ります。
バニラ、工芸品、モノイ(タヒチの伝統的な香油)、楽器と、様々な
品物が並びます。
タヒチファンならずとも、目移りが止まらないはず。
お土産を購入して、旅行が終わってからもタヒチを楽しみましょう。
タヒチを訪れたなら、郷土料理にも挑戦して頂きたいところ。
お勧めは生のマグロと角切りにした野菜をライムとココナッツミルクで
和えたポワソンクリュ。
リゾート外のレストランや屋台などでも、様々な場所でこの郷土料理を
味わうことができます。
お店によっても、微妙にポワソンクリュのアレンジが異なっていたり
しますので、色々なポワソンクリュをお召し上がりになるのもお勧め。
こちらのお客様はポワソンクリュだけでなく、タヒチのパンの美味しさ
にも感動されています。
タヒチで挨拶と言えば、「イアオラナ」
「そこに命がありますように」という意味になり、朝、昼、夜と時間帯を
問わずに、タヒチではイアオラナと挨拶を交わしてみて下さい。
普段は見ず知らずの人と挨拶を交わすこともないでしょうが、タヒチで
は地元の人も観光客も関係なく、イアオラナの挨拶が似合います。
最初は照れ臭いかも知れませんが、恥ずかしがらずに「イアオラナ」
タヒチの人にはおもてなしの精神が根付いており、「マナバ」「マエバ」
という言葉は、「大歓迎します」という意味の挨拶です。
「マナバ」と言ってゲストを歓迎するときには、家のドアだけでなく、
相手に対して心を開くことを意味しています。
こちらも心を開けば、タヒチ滞在がより思い出深いものになるはず。
ポリネシアの単語でありながら、多くの言語に採用されている言葉が
2つあります。
1つ目は、やってはいけないことを意味する「タブー」
2つ目は、タタウが語源となっている「タトゥー」 ご存知の入れ墨。
東南アジアからポリネシアに人が移り住んできた頃に、既にタトゥーが
慣習として存在していたと言われています。
特にマルケサス諸島のタトゥーは、モチーフの豊富さや模様の複雑さに
より、タトゥーが芸術の領域にまで発展したことを感じさせます。
ポリネシア人のアイデンティティとも呼ぶべきタトゥーは、タヒチアン
ダンスと並ぶタヒチを代表する文化の1つと言えます。
1848年にフランス人によって初めてポリネシアに持ち込まれ、主要な
輸出品になったバニラ。
タヒチ産のバニラは香りが豊かで、その品質の高さと希少性から、「至高
のバニラ」と評されることもあります。
化粧品や香水などに使用されることもありますが、やはりバニラが求め
られるのは料理や食品、スイーツ関係です。
バニラの調達が目的で、個人的にタヒチにやってくる一流のパティシエも
大勢いらっしゃるとか。
7月~10月頃に人工的に授粉させ、3月~7月頃が収穫時期です。
収穫してからも手間暇をかけて繊細に熟成させる必要があり、最終的に
茶色になったタヒチアンバニラが、褐色のダイヤモンドとして市場へと
出荷されます。
タヒチと言えばブラックパール。
タヒチの真珠は黒蝶貝から採れます。
黒蝶貝は環礁のラグーンに生息し、直径25cmから35cmほど。
天然ではサンゴに付着して、プランクトンや微生物、ラグーンに浮かぶ
植物を食べて生息しています。
ヨーロッパ人がこの地に到着する前から長くにわたって、ポリネシア人は
黒蝶貝に慣れ親しんでいたと、この島を訪れた人が語っています。
養殖真珠はタヒチの主要な輸出産業でもあり、この業界で約7,000名が
働き、特にツアモツ諸島とガンビエ諸島の発展にとって、不可欠な役割
を果たしてきました。
オーソドックスなネックレスから、ファッション性の高いジュエリーに
いたるまで、タヒチの黒真珠は宝石として無二の存在になっています。
古代タヒチ語の「マアノイ」からその名を取ったモノイ。
モノイオイルは、ポリネシアの伝統を象徴するココナッツとティアレタヒチ
の花をブレンドして生成されます。
タヒチのあらゆる家庭で毎日のように使用されており、お風呂あがりの
赤ちゃんの肌に塗って乾燥から保護します。
サーファーやダイバーは、海に入った後、塩分にさらされた肌が荒れない
ように水分補給をし、陽射しや風から身を守るために使用します。
島々のマーマ(おばあちゃん)たちの手作りモノイは、市場や道路脇の
クラフトショーで直接購入できます。
タヒチの女性が日常的に肌と髪の手入れに使用していることから、彼女
たちの美しさの象徴となってきました。
タヒチ(ポリネシア)の歴史について。
今から3000年~4000年前頃に、東南アジアの民族大移動により、
太平洋にポリネシア人が定住するようになったとされるのが有力説です。
勇敢な海の冒険者たちは、木材と編み込んだ布から出来たカヌーに乗り、
風や天候、夜空に輝く星々を道しるべに東にやってきました。
ここから先のタヒチの歴史にご興味があるという方は、まんぼ~ブログの
フアヒネ島の旅行記にもお立ち寄り頂ければと思います。
このような感じで、2回に分けて楽園タヒチをご紹介してみました。
他にも、ヘイバ祭りやサーフィンのビラボンプロ、ハワイキヌイのカヌー
レースなどなど、タヒチに関する話題は尽きません。
タヒチと言えば、海が綺麗で水上バンガローがあるハネムーンに人気の
旅行先とのイメージが強いと思います。
しかしながら、せっかく何かのご縁で魅力溢れるタヒチを訪れるわけです
から、色々な事にご興味を持って頂ければ、ご出発前に想像していた
以上の楽しみが感じられるはずです。
この数ヵ月の間に、タヒチに関する嬉しいニュースと、悲しいニュースが
立て続けに届いております。
嬉しいニュースは、ライアテア島のタプタプアテアのマラエが世界遺産に
登録されたことです。
マラエは、ポリネシア人の祖先が宗教儀式を行っていたとされる石組の
祭壇であり、精神的なチカラの源であるマナが宿ると信じられています。
フランスの海外県として初の世界文化遺産であり、多くの人がタヒチの
歴史や文化にご興味を持って下さるキッカケになると期待されています。
そして、悲願であったタプタプアテアの世界遺産登録を見届けるように、
太平洋考古学の権威である篠遠喜彦博士は旅立たれました。
探検コスチュームをまとい、迫りくる逆境をものともせず、危ない橋を
幾度も渡り、その生涯を太平洋の考古学研究に捧げられた篠遠先生。
きっと今頃の先生は、楽園考古学の仕上げとして、イタズラ好きの先人
と答え合わせを楽しまれていることでしょう。
夜ごと宴会場では、ジェームズ・クックやポール・ゴーギャンらと共に、
タヒチ談議に花を咲かせているのかも知れません。
やがて、ひときわ輝きを放つ一等星となり、広大なポリネシアを照らし
続けて下さると思います。
見紛うことなき、道しるべとして。
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