寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

あの時代…

2011年01月25日 10時24分12秒 | 日記
私の子供の頃ですから昭和40代ですがあのころは全くデブはいませんでした。
『なんだよ!いきなり喧嘩売ってるのか』 とお怒りの方すみませんね(笑)
今回のお題から書き始めはこうしかなかったのです。 何が言いたいかと申しますと昔は(四十年前)国民はみんなが粗食でした。 粗食より食べ物がなかったと言うべきかも知れません。
本当ですよ(笑)食べ物に好みはありましたが、リクエストが叶うことは夢のまた夢でした。… 昭和四十年代のお話ですね(笑)
『ああ懐かしい』『へぇ~』どちらにしてもあの時代 を知っておくのは無駄ではないと私は思います。
当時の我が家のごちそうは、いえ!我が家どころか日本国中がご馳走に飢えていたあの頃のご馳走と言えば三位ハンバーグ!二位トンカツ!一位すき焼♪でした。(私見ですよ…)
ところが私より五才年上の兄貴によりますと、そんなのは夢空言だったと申します(笑)
すき焼はなるほどそうだったけどトンカツやハンバーグは手の届かない架空のものでした。
さすれば年に数回でも叶えられるものはと言いますと、まずきつねうどん!カレーライス!でした。
………これはまず日本中で異論を挟む人はいないでしょう(笑) 因みにこれは昭和三十年代の話です。
そして今でも覚えているのが、味噌汁です。
味噌汁自体現代の食卓に上がるか際どくなりつちありますが(笑)当時味噌汁の味付けは煮干しでした。 もちろん味噌は使いますが(笑)
まず水に煮干しを浸します。三十分ほどしてダシが出た頃を見計らって野菜などの具を入れます。煮立ったら味噌を入れます…完成です。
これが現代なら煮干しに変わり調味料を入れますね。 今、昔風の味付けをしている家庭は皆無じゃあないでしょうか(笑)
それで話戻りますが、邪魔臭がりの母が作るとあの煮干しが残っているのでした。
多分煮干しはダシを取るための物ですから取り出さないといけないと思うのですが(笑)
兎に角私はあの煮干しが大嫌いでした。なぜか判りませんが味噌汁を飲み干すと椀の底に煮干しの残骸を発見した途端今までの美味な食事がぶち壊された気分になりました。 私は母に猛烈に抗議しますが、のれんに腕押し状態で終わります。
後年社会に出た時味噌汁の件を話しますと、まずみんな笑い出しますが、好き嫌いは別にしても全員が煮干しの味噌汁のお世話になっていました。
ところでその味噌汁ですが、うちでは朝飯に味噌汁が定番でしたが、よく話を聞いてみると晩飯に味噌汁の家庭がありました。どう違うかと言いますと、晩飯に新しく味噌汁を作って朝は昨晩の味噌汁を温め直しているのです。
つまりこ忙(せわ)しい朝は昨晩の味噌汁で間に合わすのでした。
ここから読めるのは多分母親も働いているのではないかということです。 一方うちの母は外に働きに出ていませんから、お昼に味噌汁を温め直してたべたのでしょうか。
当時、私たちの農村にも専業主婦が働きに出る風潮が流行り出してきたころです…
当時、高度経済成長になり農村地区にもいろいろな工場が進出した時期でした。
それ以前は言わば自給自足に近い暮らしでした。
衣・食・住について振り返ってみるとよく判ります。私たち子供のころ、新しい服とはまず正月に新調します。あとは…う~んないですよ(笑) あとは兄貴のお下がりですね(笑)…でその下は又お下がりのお下がりです。じゃあ長男長女は?となりの家からのお下がりをいただくのであります。
今は死語になりました一張羅…この時代には誰かが新調した服を着ていたら羨望も込めて『おっ!一張羅だ』と囃立てたものです(笑)。。。
コメント
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