おはようございます^^
昨日の続きです。江戸時代末期の本陣(高級旅館)に泊まった新選組が 忘れ物 (煙管 キセル)をしてそれを本陣がお忘れ物として
問い合わせがあった時のために大切に残しておいたものが今頃 ?発見されました。このことは半月ばかり前の新聞に載っていました。
歴史好きの私は 近いことだしこのお盆休みに行こうかと考えていました。 こんなことに興味のない人にとって せっかくの休みにわざわざ
滋賀くんだりまで行くのか ?と思われるでしょうが…幕末に活躍した新選組が残した煙管これを何としても見てみたい !と思うのが
マニアックの人情かと思います。新選組といえば 昨日紹介しました 司馬遼太郎氏の 燃えよ剣がヒットして一大ブームになりました。
それまでの新選組といえば、鞍馬天狗などでも出てきましたが 全くの悪役でした。と言いますのが江戸時代から明治維新を経て新しい明治という
近代社会になりましたが、勝てば官軍負ければ賊軍のとおり新選組はその江戸幕府側に属して近代化を目指していた倒幕側の志士を剣切って切って切り捲ったのです。
有名なのは1864年7月の池田屋事件です。京にあった池田屋に勤皇の志士30数名がこれからの作戦会議をしていたところに新選組が討って入り
激闘の末9名斬殺20数名を捕縛して一躍新選組の名を挙げたのです。又この池田屋事件で主だった志士が殺されたため明治維新が数年遅れたともいわれた
くらいの大事件でした。まぁ講釈はこれくらいにしますが歴史の中でも幕末からのものは、比較的年月が浅いためか足跡がたくさん遺っています。
たとえば新選組の本部として使っていた壬生の屯所は やっぱり当時のままの建物があります。その中の柱に刀傷がありまして…160年くらい前のものですから
かなり磨耗していますが 当時の新選組の局長だった芹沢鴨を暗殺した時の刀傷なのです。マニアなら絶対に見たいでしょうし この柱のこの傷が
芹沢鴨を斬殺した時のものか…とファンでしたらそれは感慨深く触るでしょうねぇ…
そんな遺物と同じようなものが今回の 忘れ物の煙管(キセル・たばこを吸う時の器具)でした。当時たばこは細かく刻んでいてそれを真鍮の先に
詰めて火を付けて吸引していました。構造としてたばこを詰めているところと吸い口は真鍮(しんちゅう)でできていてその真ん中を細い竹でつないでいました。
余談ですが今でも電車で一区間の乗車券だけで長い区間を乗る不正乗車をキセル乗車と言いますが、剣や銃弾の痕跡と違って たばこの器具でしかもそれが
忘れ物(笑)なんて…討幕派が震え上がった あの新選組の忘れ物・・実に庶民的で親近感を抱くじゃぁないですか^^
大福帳…最近時代劇が希少になりましたから聞きはじめの人もいらっしゃるでしょうが、要は出納長・台帳みたいなものでその1ページが展示をされていました。
この時代ですから もちろん筆で書いてありますが 読めました(笑) ほかにもいろいろ江戸時代の書類を見たことがありますが、これほどはっきりと読めたのは
はじめてでしたね。
昨日紹介をしましたが、お泊りが土方歳三 様…以下省略しますがこれは宿屋の方が書きつけたようで 直筆だったらなぁとちょっぴり思いましたが、これはこれ。
そして 肝心のお忘れ物の方は 書付が煙管入れ、それを入れる袋につけてありました「新選組様五月九日御宿 壱番間ニ御失念物」こちらは書付がよれていましたから
読めませんでしたが、失念とは今でも使う言葉だけに すごいなぁと私はなんでも感心をしてしまいまして いつの間にか幕末の余韻に酔っていたかも知れません。
もう一つ この新選組幹部4名の名前のあとに 「右上下三拾弐人弐百五拾文 宛御払 外弐拾四蝋燭 弐拾丁払 此足賄五貫三百文」
これも何とか読め(推測も有り)ました^^右上下…全部でかな…32名 250文をこちらに払ってくれた。ほかに24ロウソクを20本で払ってくれた。
それと足賄い代を5貫300文 これって今でもあご足代って言いますよねぇ(笑) 草鞋代と食費だと思うんですが… でも この幕末の物価を調べてみますと32名も
泊まってこんな支払いじゃぁ話にならないかと…当時の一般的な旅籠に一般の旅行者が一泊しますと一泊二食が定番で 5000円くらいが相場でした。
この新選組が泊まったのは一般の旅籠じゃぁなくて草津宿では指折りの本陣という大名かお公家様専用のお泊り処なのですよ。
それが たったの250文…数千円、5貫…数万円 ロウソクはわかりませんけど 32名も泊まって朝晩の飯も食って、酒も飲んだでしょうし、いったいどうなっているのかな?
と思いませんか(笑) これは推測と言いますかおそらくそうだったのでしょうが、この 本陣の経営というのは 名誉職 の要素が強かったようで、普通の旅館の経営みたいに
誰でもが出来ることではなかったようです。
また 本陣をするにあたって 厳しい規則があって財力や名主以上など厳しい要件があったようです。しかも 公儀(幕府)や朝廷の公用の場合は費用はすべて自前持ち。
ここを経営していた 田中七左衛門は本業は材木屋で草津宿の庄屋でもありました。泊まった前年に池田屋事件で一躍有名になり飛ぶ鳥を落とす勢いだった新選組も
そんなことで宿泊費用は負担はなし 些少ながら…と出したのは今なら チップということでしょうか^^
現代と似たようなこともありますし、公儀公用には無料提供なんて今ではとても考えられませんが、士農工商の身分制度にドカッと胡坐をかいていた時代ですから…
そうなんだと納得もしました。
しかし 夕食後に新選組幹部四人が車座になってたばこをくゆらせて近江八景に話の花が咲いていたのでしょうかね(笑)