寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

新選組の忘れ物・・

2019年08月15日 20時55分55秒 | 笑い

  おはようございます^^

昨日の続きです。江戸時代末期の本陣(高級旅館)に泊まった新選組が 忘れ物 (煙管 キセル)をしてそれを本陣がお忘れ物として

問い合わせがあった時のために大切に残しておいたものが今頃 ?発見されました。このことは半月ばかり前の新聞に載っていました。

 歴史好きの私は 近いことだしこのお盆休みに行こうかと考えていました。 こんなことに興味のない人にとって せっかくの休みにわざわざ

滋賀くんだりまで行くのか ?と思われるでしょうが…幕末に活躍した新選組が残した煙管これを何としても見てみたい !と思うのが

マニアックの人情かと思います。新選組といえば 昨日紹介しました 司馬遼太郎氏の 燃えよ剣がヒットして一大ブームになりました。

それまでの新選組といえば、鞍馬天狗などでも出てきましたが 全くの悪役でした。と言いますのが江戸時代から明治維新を経て新しい明治という

近代社会になりましたが、勝てば官軍負ければ賊軍のとおり新選組はその江戸幕府側に属して近代化を目指していた倒幕側の志士を剣切って切って切り捲ったのです。

有名なのは1864年7月の池田屋事件です。京にあった池田屋に勤皇の志士30数名がこれからの作戦会議をしていたところに新選組が討って入り

激闘の末9名斬殺20数名を捕縛して一躍新選組の名を挙げたのです。又この池田屋事件で主だった志士が殺されたため明治維新が数年遅れたともいわれた

くらいの大事件でした。まぁ講釈はこれくらいにしますが歴史の中でも幕末からのものは、比較的年月が浅いためか足跡がたくさん遺っています。

たとえば新選組の本部として使っていた壬生の屯所は やっぱり当時のままの建物があります。その中の柱に刀傷がありまして…160年くらい前のものですから

かなり磨耗していますが 当時の新選組の局長だった芹沢鴨を暗殺した時の刀傷なのです。マニアなら絶対に見たいでしょうし この柱のこの傷が

芹沢鴨を斬殺した時のものか…とファンでしたらそれは感慨深く触るでしょうねぇ…

そんな遺物と同じようなものが今回の 忘れ物の煙管(キセル・たばこを吸う時の器具)でした。当時たばこは細かく刻んでいてそれを真鍮の先に

詰めて火を付けて吸引していました。構造としてたばこを詰めているところと吸い口は真鍮(しんちゅう)でできていてその真ん中を細い竹でつないでいました。

余談ですが今でも電車で一区間の乗車券だけで長い区間を乗る不正乗車をキセル乗車と言いますが、剣や銃弾の痕跡と違って たばこの器具でしかもそれが

忘れ物(笑)なんて…討幕派が震え上がった あの新選組の忘れ物・・実に庶民的で親近感を抱くじゃぁないですか^^

 大福帳…最近時代劇が希少になりましたから聞きはじめの人もいらっしゃるでしょうが、要は出納長・台帳みたいなものでその1ページが展示をされていました。

この時代ですから もちろん筆で書いてありますが 読めました(笑) ほかにもいろいろ江戸時代の書類を見たことがありますが、これほどはっきりと読めたのは

はじめてでしたね。

昨日紹介をしましたが、お泊りが土方歳三 様…以下省略しますがこれは宿屋の方が書きつけたようで 直筆だったらなぁとちょっぴり思いましたが、これはこれ。

そして 肝心のお忘れ物の方は 書付が煙管入れ、それを入れる袋につけてありました「新選組様五月九日御宿 壱番間ニ御失念物」こちらは書付がよれていましたから

読めませんでしたが、失念とは今でも使う言葉だけに すごいなぁと私はなんでも感心をしてしまいまして いつの間にか幕末の余韻に酔っていたかも知れません。

もう一つ この新選組幹部4名の名前のあとに 「右上下三拾弐人弐百五拾文 宛御払 外弐拾四蝋燭 弐拾丁払  此足賄五貫三百文」

これも何とか読め(推測も有り)ました^^右上下…全部でかな…32名 250文をこちらに払ってくれた。ほかに24ロウソクを20本で払ってくれた。

それと足賄い代を5貫300文  これって今でもあご足代って言いますよねぇ(笑)  草鞋代と食費だと思うんですが… でも この幕末の物価を調べてみますと32名も

泊まってこんな支払いじゃぁ話にならないかと…当時の一般的な旅籠に一般の旅行者が一泊しますと一泊二食が定番で 5000円くらいが相場でした。

 この新選組が泊まったのは一般の旅籠じゃぁなくて草津宿では指折りの本陣という大名かお公家様専用のお泊り処なのですよ。

それが たったの250文…数千円、5貫…数万円 ロウソクはわかりませんけど 32名も泊まって朝晩の飯も食って、酒も飲んだでしょうし、いったいどうなっているのかな?

と思いませんか(笑) これは推測と言いますかおそらくそうだったのでしょうが、この 本陣の経営というのは 名誉職 の要素が強かったようで、普通の旅館の経営みたいに

誰でもが出来ることではなかったようです。

また 本陣をするにあたって 厳しい規則があって財力や名主以上など厳しい要件があったようです。しかも 公儀(幕府)や朝廷の公用の場合は費用はすべて自前持ち。

ここを経営していた 田中七左衛門は本業は材木屋で草津宿の庄屋でもありました。泊まった前年に池田屋事件で一躍有名になり飛ぶ鳥を落とす勢いだった新選組も

そんなことで宿泊費用は負担はなし 些少ながら…と出したのは今なら チップということでしょうか^^

現代と似たようなこともありますし、公儀公用には無料提供なんて今ではとても考えられませんが、士農工商の身分制度にドカッと胡坐をかいていた時代ですから…

そうなんだと納得もしました。

しかし 夕食後に新選組幹部四人が車座になってたばこをくゆらせて近江八景に話の花が咲いていたのでしょうかね(笑)

 

 

 

 

 

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ちょっと見てきました^^

2019年08月15日 08時40分00秒 | 笑い

  おはようございます(^^)

今週はお休みをいただいています。それで たまには気分転換にと思いまして、草津市の

草津宿街道交流館に行ってきました。 だいたい私はブログを始めるにあたって旅行

記や食べ歩きにならないようにと思っていました。それは、始めるときに他の人のブロ

グを見て 同じような写真や紹介文があちらこちらと載っていたからです。

確かに写真を貼って綺麗やったね、美味しかったよ…と紹介をすれば自作の旅行記になりますね。

それはそれで楽しいだろうし見ている人も そうなんだ〜と暇つぶしがてらに訪問されるかもしれません。

ただこれには短所があって(特に短所と言うのはどうかも…)ブログの日にちが空いてしまう事ですね。

これは仕方のないことで、そう毎日毎日旅行に行ったり食べに出かけたり出来るはずもないし

たぶんブログの更新が1週間から2週間になるのは仕方ないでしょうね。

私はブログを始めるにあたって 毎日書く事をノルマにしました。気分が乗らなかったりすれば 一行でもいいか!

と独り善がりになりましたが、兎に角毎日書く。ただし会社勤めに合わせて週休2日で行こう!と決めました。

この方法が私に合っていたのかもう10年も続いていまして無事是名馬 と言われるように又継続は力なり を

実践することで自己満足の世界に浸ることが出来ています。

さて 話を本題に戻しましょう。この 草津市は昔の東海道と中山道 ふたつの街道の合流点でありまして

いわゆる交通の要所ですね。今でもジェイアールのびわこ線(中山道)と草津線(東海道)が通っていますし

名神高速と新名神が交わっていまして、交通の要所は今も昔も変わらない昔の人の知恵はすごいなぁ

と改めて確信をしました。

今回この草津宿街道交流館を訪れたのは 新聞に出ていましたので皆さんもご存じ方がいらっしゃるでしょうが、

新選組がこの草津宿に泊まったおりに煙管を忘れていたのを宿の方が お忘れ物 として預かっていたのが

今回の調査で発見されたのです。煙管とは たばこを吸う時の器具ですね。それをうっかり忘れて立ち去った…

だけなら ほぉ~となるだけでしょうが、この忘れ物の主が新選組 。宿帳には 土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎

、藤堂平助 と記されていました。この四名は新選組のファンでしたら 絶対知っている名前なのですね。

忘れた人物はこの中の誰かまではさすがにわかりませんし、これが歴史的な価値があるのか と問われれば

民俗的なものの参考資料となるでしょうが、そう大げさなものではないかも知れません。

でも 新選組のマニアからするとこれはもう 垂涎の的。司馬遼太郎(新選組血風録や燃えよ剣などで新選組ブームを起こした作家)

さんがご存命でしたらどんな感想を持たれたでしょうか。

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