おはようございます〜
以前(昔)の歌謡曲っていいですねぇ と近頃つらつらと思うのですが、このよう
な話は私らの年代に限ってではなくて両親が私らの頃にはもやっぱり 同じよう
に思っていたようです。私が中学生以前の頃でしたが 親父が 「今の若い奴らは
髪を伸ばして見っともない、 短く刈ったらええのに…」とよくボヤいていました。
ちょうどGS(グループサウンズ)が流行っていた頃ですから、大正生まれの質実
剛健で育った年代からすると あの髪型(長髪)はなんじゃい、けしからん、となったのでしょうね。
私が中学の頃でした。日曜に昼近くまで寝ていたら 、親父が軍隊は良くないけ
ど 規律を正すために一年くらい入隊をさすとエエんや、と言ってました。祖母
からも同じようなことをいわれたことがあったのでよく覚えています。
確かに良いお天気の日に昼近くまで寝ているのは戦前の教育を受けてきた人達
にとって許しがたいことなのでしょう。
それは教育もさることながら 戦争以前は今とは比べ物にならないくらい質素な
暮らしでした。
私の家は 農家で昔はコンバインやトラクターなどの耕作機械などない時代でした。
田を耕(たがや)すという基本的な作業は手作業です。種まき、植え付け、かじ
る、刈る、干す、獲り入れ,脱穀、精米などほとんどが農作業用の農具を補助的
に使いますが基本は手作業です。
今は機械化されていますから田圃は広い方が効率よく作業が出来るので 小さい
田圃を何枚もまとめて大きくしました。それでも外国の農地とは比較にならないようです。
でも元は手作業であったので小さな田圃の方がきめ細かく作業ができたのでしょうか。
あまり広いと はかどらなくてかえってやる気が欠如してしまったのではないでしょうか。
戦前までは田圃を一丁、今で言いますと1ヘクタールも持っていたら結構贅沢
な暮らしが出来たのですね。但し一丁もの広い田圃ではなくて一反の(一丁の10
分の1)田圃を十枚…それより小さな田圃もたくさんありましたが 何せ手作業で
すから捗(はかど)らないのは当たり前でした。
朝から晩まで一日中田圃で作業をして出来たか というとなかなかで 翌日も また
次の日も と毎日毎日 田圃で働くのでした。
その頃の農家は専業がほとんどでした。田圃の作業は兎に角 働かないことには何も始まりませんし終わりません。
ですから 夜は夜星、朝は朝星と言って朝はやくから農作業にかかり夜遅くまで身を粉にして働いたのでした。
それが身に付いている親父や祖母からすると こんな天気の良い日に昼間まで寝
てるとは 勿体(もったい)ないと嘆かれるのも当然のことかもしれません。
この勿体ない とは最近聞かれなくなりましたが、無駄にする事を戒(いまし)め
る 言葉でした。確か十年前ほどに滋賀県の 知事が この 勿体ない をスローガンにし
て保守系の現職を破って当選を果たされました。
勿体ない というのこの当時、新幹線の新しい駅を作る計画がありましたが、今更なぜ新駅なの? 無駄な出費はアカンというのが県民に意識として盛り上がりました。
そのもう少し前の高度経済成長時代には 使い捨て が大いに流行
って 勿体ない なんてなんか古臭いし 貧乏くさいと揶揄(やゆ)されて 死語になっ
てしまったようで それで育った私なんかは 祖母が 朝寝坊をしているのを 勿体
ない と嘆いても 古〜 と嘲笑(せせらわら)っていました。そんなアホな孫をみて祖母の嘆きは収まらなかったでしょうね。
今 思うと 祖母が言う勿体ない とは 朝早く起きたら色々な事が出来る、なにも
田圃をしろと言うのではなくて時間が有効に使えるのに…と思って 勿体ない と
愚痴っぽく出たのでしょうか。
今朝は懐メロの話題のつもりでしたが 横道に逸れて お時間となって仕舞いました。