ボールロストをこわがるな
ハリルはポゼッションにまったくこだわらない。逆に本田はポゼッション志向が強い。おもしろい対比だが、結局どちらが正しいか結論を出すことなどできない。ことは正邪でなく、スタイルの違いにすぎないからだ。哲学の違いに結論は出ない。それでもただひとつ、言えることはある。
それは結局、サッカーはどこかで勝負しなければ始まらない、ということだ。
パスサッカーが好きな日本人は、とかくポゼッションにこだわりがちだ。ゴールすることでなく「パスをつなぐこと」が自己目的化してしまう。だがポゼッション率を極端に重視し、勝負を避けてばかりいては勝てる試合も勝てない。
例えばちょっと寄せられ苦しくなっただけで「バックパスしようか?」との思いが頭をもたげる。だが例え安全策を取りバックパスしても、パスの受け手が敵に寄せられていたらピンチを招く。あるいはバックパスの受け手が不十分な体勢だったら結局ボールを失う。しかも、より低いゾーンでのボールロストという「より悪い形」で。
それなら前にいる自分が少しでも有利な体勢のうちに勝負したほうがいい。逃げのパスをせず勝負に出る局面も作らなければ、相手との競り合いに勝てない。
パスに逃げる思考がかすめても自分で行くこと。そこでの思い切りが最後はサッカーの勝敗を決める。
ハリルはポゼッションにまったくこだわらない。逆に本田はポゼッション志向が強い。おもしろい対比だが、結局どちらが正しいか結論を出すことなどできない。ことは正邪でなく、スタイルの違いにすぎないからだ。哲学の違いに結論は出ない。それでもただひとつ、言えることはある。
それは結局、サッカーはどこかで勝負しなければ始まらない、ということだ。
パスサッカーが好きな日本人は、とかくポゼッションにこだわりがちだ。ゴールすることでなく「パスをつなぐこと」が自己目的化してしまう。だがポゼッション率を極端に重視し、勝負を避けてばかりいては勝てる試合も勝てない。
例えばちょっと寄せられ苦しくなっただけで「バックパスしようか?」との思いが頭をもたげる。だが例え安全策を取りバックパスしても、パスの受け手が敵に寄せられていたらピンチを招く。あるいはバックパスの受け手が不十分な体勢だったら結局ボールを失う。しかも、より低いゾーンでのボールロストという「より悪い形」で。
それなら前にいる自分が少しでも有利な体勢のうちに勝負したほうがいい。逃げのパスをせず勝負に出る局面も作らなければ、相手との競り合いに勝てない。
パスに逃げる思考がかすめても自分で行くこと。そこでの思い切りが最後はサッカーの勝敗を決める。