人間というものは、必ず何らかの縁によって生かされているのです。
自分の播いた種は自分で刈り取らねば、ならないのである。
しかし、多くの人は、悪い因縁の種を残したまま、人生を終わらせている。
いい種も、悪い種も、必ず発芽して、実になるの時期を待っている。
しかし、いい種は、なかなか実にならないが、
悪い種は、ほおっておいても実になりやすいものである。
随分前の話ですが、山主が供養中に霊視しておりました。、
ご先祖様が、一生懸命に草を抜いてる姿が見えました。
「何をしているのですか?」と山主が、お聞きしますと、ご先祖様は。
「これ(草)は、我が家の悪い因縁の草で、抜いております」と言われました。
草と言うものは、抜いても抜いても無くなる事はありませんが、
少なくすることは出来ます。
釈尊は次のように、説かれています。
これあれば、これあり。
これなければ、これなし。
先祖から伝わるものの中、悪業は、
子孫の善業の供養に因らずば、解消できぬと、
言っておられます。
南無大師遍照金剛大師