当山では、百年たったご先祖様でも
霊界施餓鬼一粒萬福法要でご供養を申し込まれます。
50年以上たってこうやって子孫が法要をしてくれることなど
現在では有り得ない話となりました。
廃仏毀釈までは両部神道で、お寺と神社は同じ敷地内で営まれておりました。
死後50年で年忌弔い上げのあとは
神社で神様としてお祀りされていました。
しかし、明治維新後、明治政府の神仏分離令の悪政で
廃仏毀釈の悪風が一般的な日本の祭祀の仕方となった。
以降は死後50年経ったら弔い上げと称して
故人様の供養はしなくてもいいという考え方が常識となってしまいました。
現在では、菩提寺さんのほうでも
50年経てばご先祖様が神様になられたということで
供養の必要はないということになっております。
そのような中でも、このようにしっかり先祖供養をされるますと
ご先祖様からの功徳を受け続けることができます。
子孫に何かあったら必ず大事にならないように手助けをしてくださいます。
どの故人様も、努々このような供養をしてもらえるとは思っておられず大変驚かれます。
また、霊界にお帰りになる際は
立派な乗り物で送って頂けるそうなのですが、その乗り物へ乗る時も
「本当にこのようなもの(立派な)に乗ってよろしいのですか」と
大変恐縮されて乗りこまれたようです。
亡くなられた人は、生前どんなに自分の人生に
汚点があろうと、死んでからでは如何にも出来ないのです。
その汚点は、必ず業として残ります。
そしてその業は、子孫にとって大きなマイナス点として影響を及ぼすのです。
その業を消滅できるのは、生きている我々の役目。
そのためには、故人の供養しかないでのです。
その業をはかす最高の供養は、霊界施餓鬼一粒萬福法要です。
霊界施餓鬼一粒萬福法要では、
故人様が霊界で施しをするという大事な役目を仰せ付かり、
業をはかしやすくなるのです。
供養は、する側、される側のどちらも功徳やご利益をいただけるのです。
それは、本当に困ったときに結果をして現れてきます。