ある人の信者様の話です。
病気の叔母の面倒を独身の叔父がしており、昨年の9月にその叔母がなくなったそうです。
婚家とは疎遠だった叔母の葬儀は、弟である叔父が喪主となり、
兄弟の親戚だけで葬儀を行ったそうです。
そして49日の法要を最後に、お寺さんのお経をもらうことはしないといったそうです。
それを聞いて信者様は、
ちゃんと供養を…と言ったそうですが、
叔父は「(叔母が)自分で何とかするでしょう。」という返事。
その後、叔父とは会うことがなかったそうです。
故人は何もできません。
だから残された者がしっかり供養をしなければいけないのです。
そして一年が経ち、
今年の初盆は、お寺さんのお経はもらったという電話があったそうです。
「9月6日に一周忌の法要し、永代供養にするので、
もう会えないから最後のお別れに来てください。」という話されたそうです。
信者様は、この日は用事もありお断りしたそうです。
会えば当然、喧嘩になるからです。
永代供養をするからもう会えないという話がおかしいし、
供養らしい供養をすることなく、たった一年で供養はお終いということでしょうか?
80(歳)にもなって何を考えているのでしょうか。
呆れるばかりです。
このような考えのする人が本当に多くなりました。
ご本尊様も嘆いておられます。
このような考えの人は、死んでも霊界に行けないと聞きます。
きっと、死んでから後悔することでしょう
こんな筈ではなかったと…。
南無大師遍照金剛