心は、似ているところに、
魂も、やはり似ているところに、
まるで磁石に引き寄せられるように寄ってくる。
これを仏教では業(ごう)と言う。
業(ごう)は善業と悪業に分かれている。
お釈迦様も人の死は完全な終わりではない。
人の死後も業は何処までも汝の魂に付き從って行く。
なれば、今から悪業(あくごう)をするな、善業(ぜんごう)を積めよ。
上記の言葉は、私達には当たり前の教えですが、
人間毎日罰当たりの事ばかりしている様に思えてなりません。
私、何も悪いことしておりませんと思うてませんか?
食べ物を食べるということ即ち生き物の命をいただくこと。 殺生ですね。
毎日、洗い物をして水を汚していませんか?
車に乗って空気を汚していませんか?
皆、知らず知らずのうちに悪業(ごう)を積んでいるんですね。
当山の善業(ぜんごう)積みとは、
ご先祖様の悪業(あくごう)を供養によって消滅させ、そして一粒満腹長者(霊界施餓鬼会)により
霊界においてご先祖様自ら善業(ぜんごう)を積んでいただくことです。
南無大師遍照金剛