27日 暮れの忙しい時期に、貞観の祖父の七十六年回忌の祥月命日の法要をして頂きました。
ちょうど忙しい時期なので、ほとんどまともな供養をしてもらっていないとの事です。
命日は、あの世の誕生日のようなものなんですって、
山主 がいつも言ってますが、人間には大事な日が三日あるそうです。
第一は、誕生日 第二は命日、第三は、新誕生日(生まれ変わる日)なんですって、
ですから真祥月命日に法要をしないと意味がないんだそうです。
76年経っても全然供養が足りてないと、言われました。
顔も見た事もないおじいちゃんですが、100回忌まで供養出来たら嬉しいですね。
ご本尊さまより
「 供養を出来る者も幸せ・供養をしてもらう者も幸せ どちらも幸せよのぅ 結構 結構 」
山主さまは、
「本堂中に、雲海の如く焼香の煙がたなびき、その上に、
貞観の祖父が合掌しているお姿を見たが、貞観、見えたか」と聞かれましたが、
お経をあげるのに一生懸命でしたので、見る事が出来ませんでした。残念でした。