命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

天災で始まった今年一年の意味

2024年01月11日 17時43分54秒 | ひと口法話

この度令和六年能登半島地震により

お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、

被災された皆様及び関係者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

現在もなお余震は続き、被災地では寒さも厳しくなり

不安な毎日を送られていることと思います。

また被災者救済のため、日々ご尽力されている方々に深く敬意を表します。

 

今年は元日から震災、

二日には航空機の事故、

三日からも連日大きな火災のニュースが続いています。

 

先日にもお伝えしましたが、

めでたい元旦にこのような災害が起こるというのは、

天からの我々人間の行動を改めるようにお告げでもございます。

 

日本では、

年間約500万トン以上にも及ぶ食品廃棄、

年間約1771万羽にも及ぶ鳥インフルエンザによる殺処分、

人間の利便性を求めすぎた森林伐採、

日々当たり前のように命が奪われています。

 

和上様はよく、

「犬も猫も動物もその辺の木も植物も虫も

魂の本質は同じである」と仰っております。

 

肉や魚や野菜なども元は全て魂が宿った命。

家や家具に使われる木も元は魂が宿った命。

また、道路や住宅地を作るために山を切り崩していますが、

どれだけの命が失われているのでしょうか。

これはほんの一部にしか過ぎません。

 

この一つ一つの尊い命に感謝して祀ったのが、

我々大和民族の神道の始まりです。

我々人間は数え切れないほどの尊い命をいただきながら、

生かされていることを決して忘れてはいけません。

 

こんな時こそ、

もう一度原点を見直さなくてはいけません。

 

2023年9月24日和上様がお聞きした地球の声です。

「もうこれ以上やめて。地球を破壊せんといて。

地球をほじくり返さんといて。人間を増やさんといて。

都市に人を集中させんといて。ゴミを捨てんといて。」

 

被災地の一日も早い復興をお祈りすると共に、

日々の当たり前に敬意の念を持ち感謝を忘れずに

過ごしていきたいと思います。

 

そして、生きているといつどこで何が起きるかわかりません。

このような時、いつもお守りくださっているのは

神様、仏様、そしてご先祖様であることを

忘れないでおきたいですね。

 

合掌

 


新春初鳴釜神示祭を厳修しました

2024年01月08日 20時44分15秒 | 命光秘流鳴釜神示祭

昨日、新春初鳴釜神示祭を執り行いました。

 

 

鳴釜の音は大変清々しく、

大きな音が道場に響き渡っていました。

 

 

祓い幣を使ってお祓いすることで、

心身の浄化、魂の浄化に繋がります。

 

邪気を受けすぎていると、

鳴釜の音が止まり神様が教えてくださいます。

その時は、和上様が神様の代わりにお加持をしてくださり、

皆様スッキリとしたお顔に変わります。

 

また新春という事で、

鳴釜の神様よりお一人お一人

信者様がどのような一年になるのか

丁寧に教えてくださいました。

 

 

今年はお金が入る、

仕事はうまくいくが足を引っ張る者が出てくるので〇〇するように、

現在の家庭の問題は〇〇すると解決するなど、

大変有難いご神示でございました。

 

中にはある信者様が、

「今年結婚する。その為に(方角)の神社にお参りに行ってくるように」と

ご神示をいただくと、

皆様温かい祝福の雰囲気となりました。

 

今年は嬉しいご報告をお聞きする機会が増えそうで、

和上様一同大変楽しみにしております。

 

また、参拝された信者様より

銭洗いのご祈祷のご依頼があり、

皆様の目の前で和上様が

銭洗いの秘法をお授けくださいました。

 

 

銭洗いのご祈祷とは、お金を秘法を用いてお祓いすることで、

きれいなお金となって出ていき仲間を連れて還ってくる

大変喜ばしい祈祷でございます。

 

鳴釜最後には、神様より

「直会(なおらい)はしっかり食べて帰るように」と仰いました。

 

直会とは、神様からの有難いおもてなしをいただけるものであり、

お供え物のお下がりで料理したお食事をいただくことで、

福を取り込み更にご利益をいただくことができます。

 

是非月次祭にお参りの際には、

ゆっくりとお食事をいただいてお帰りくださいませ。

 

合掌


明日は、新春初鳴釜神示祭を厳修いたします

2024年01月06日 17時01分24秒 | 命光秘流鳴釜神示祭

明日11時より

新春初鳴釜神示祭を厳修いたします。

 

 

本年は辰年ですので、良くも悪くも

社会情勢が激しく変動する年となるようです。

 

特にこのような時、

決め事に関して自己判断は難しいですが、

日頃から神様・仏様・ご先祖様の御守護をいただいておりますと、

進んでいい時には

「ひらめき」のサインとして教えていただいたり

逆に進んではいけない時には、

災難に遭わないように足止めをしたりと

お守りくださいます。

 

今年は元日から日本中、

悲しいニュースに溢れています。

 

日頃からの信心が大切であると

天からのお告げでもございます。

 

これから私たち人間の

行動を改めるかどうかが問われています。

 

 

是非当山の鳴釜の神様による

心身のお祓いや魂の浄化をされ

良い一年を過ごされますように・・・

 

皆様のお参りをお待ちしております。

 

合掌


死後、50年たったら 神様?

2024年01月05日 17時25分58秒 | ひと口法話

昔から、亡くなって50年たったら、神様になるとか?

そんな話聞いたことありませんか?

 

死んで50年たったら神様になるので

仏で供養をしなくいてもいいんだとも。

 

神様が聞いたらビックリですね。

いままで、どんな修行をしてきたのか?と問われて

返事ができないのではないでしょうか。

 

死後、50年、まじめに供養をしても

最近では、月参りもしてもらわないので、

年忌法要の時ぐらいしか、

お寺さんにお経をもらうことはないのでは?

 

では、死後何回まともな供養を受けられるのでしょうか。

数えたこと、ございますか?

 

死後50年、まともに供養を受けられても

ようやく、神様のなるための修行がこれから始まるのです。

 

供養でお経さんをもらうのは、修行するための

授業料を払うようなものです。

 

授業料を払ってもらえない故人様は、落ちぶれるしかないのです。

 

亡くなった時は、真っ白な着物を着て、旅立ちます。

 

年数が経ちますと、

しっかりご供養された故人様は、立派な衣を着て来られますが、

まともな供養を受けていない故人様は、

真っ白かった着物は、破れて汚れて乞食のような姿で出て来られるようです。

 

あまりの姿に和上様は、涙がでると…。

 

貴方のご先祖様はどのようなお姿だと思いますか?

 


ご先祖様が、探し当てた命光不動尊でのご供養

2024年01月04日 18時02分23秒 | ご供養

最近は、遠方からのお申込みが増えました。

 

当山を探し当ててご相談を頂くのは、

大抵がご供養を望まれる故人の方が

自分で探して縁ができるように子孫に働きかけられるようでございます。

 

ご供養をお申込みされる施主様ではなく、

ご先祖様なのです。

皆様、20年、30年かかってやっと、

命光不動尊にたどり着かれる方がほとんどです。

 

それまで、何軒かの霊能者とよばれるところをはしごして、

大金を使い果たして、命光不動尊にたどり着く方が多いですね。

 

なぜ、このように遠回りしなければ、ならないのか?

 

それは、その家の業があまりにも深いため、

お金を払い、時間を使ってようやく、業が軽くなってきた時点で、

命光不動尊にたどり着くことができたのです。

 

この長い時間は、無駄な時間ではないのです。

 

故人様は、菩提寺の供養に満足することができず、

当山をご自分で探され、施主様を通じて供養を申し込まれます。

 

故人様は、お寺の構えを見て、供養を申し込まれるのでは有りません。

そこに住んでいる行者(おこないびと)のパワー(霊力)を見て選んでおられるようでございます。

 

当山のご供養は他の寺院と違い、読経だけの供養ではございません。

読経の間に山主の説法が入ります。

 

なぜ、供養が必要なのか、なぜ、お経を読むのか、なぜ、お供えが必要なのか、

なぜ、葬式が必要なのか、なぜ、仏壇やお墓が必要なのかなどを、

供養に同席させている方だけで無く、本日供養を受けに来られた故人様や縁者の霊をはじめ、

各家のご先祖様も説法を喜んでお聞きになり、納得してお帰りになられます。

 

意味が分からずに供養を受けるのと分かって供養を受けるのとでは、

霊格の上り方が違ってくるのです。

 

当山を探し当ててご相談を頂くのは、大抵がご供養を望まれる故人の方が

自分で探して縁ができるように子孫に働きかけられるようでございます。

 

今日、初めてご供養を受けられた故人様は皆様、とてもお喜びで

「私がこの寺を探してきたんです。これでまともに供養をしてもらえます」

とニコニコされ、施主様に感謝をしておられました。

また、山主の説法を喜んでお聞きしていたそうでございます。

 

南無大師遍照金剛