今や、北海道の玄関口でも何でもなくなってしまった衰退の函館駅周辺。
駅から大門に向かって進むと左側に柳小路と呼ばれるかつての歓楽街のなれの果ての通りがある。
数年前、不審火による火事(地上げのための放火との噂も)により多くが空き地になり駐車場として使われている。
通りを入ると右側4軒目に「王さん」という大衆中華の店があった。
あったというのは、つい最近の2010年5月10日をもって、諸般の事情により閉店したのだ。
函館において、ラーメン店の閉店は最近特に多くなっている。
しかし、「王さん」の閉店は、ある意味象徴的なこの町の行く末を暗示しているといえよう。
創業昭和21年(1946)であるが、その源流は戦前の昭和12年(1937)に創業した中華料理の専門店「陶陶亭」にある。
この陶陶亭の料理人であった人たちが、独立して開いた店が、いわゆる現在の函館塩ラーメンを形成したといっても過言でないからだ。
こうした流れをくむ店は、私の知る限り「紅蘭」-閉店、「鳳蘭」、「汪さん」、「星龍軒」などがあげられ、「王さん」はその筆頭格であったといってよい。
今、列記した店は、これまた函館のラーメンを象徴する「出口製麺製の麺」を使用する店でもあり、もし今後閉店したら、まさに函館塩ラーメンは、その原型を失い、伝統が消え去るという点から、象徴的な出来事として位置づけたいのだ。
「王さん」のラーメンは、まさにあっさり過ぎるくらいのスープと柔らかめの麺であり、その他あんかけ風の味噌ラーメンや函館風柔らかい焼きそば、あっさり味のチャーハンなどここでしか味わえない逸品が多かった。
私の最終実食日は本年の1月7日塩ラーメンが最後となった。長い間ありがとうございましたとの感謝を申し上げたい。
さて、象徴的というのは、函館駅前周辺衰退に拍車をかける大きな一歩という意味・・・・このことについては後日書き留めたいと思う。
なお、蛇足だが「ザンギ」は陶陶亭が発祥の店で、それを忠実に受け継いできたのも「王さん」であったことを付記したい。
王さんについては次のページを参照のこと。
http://jovanniblog.blog114.fc2.com/blog-entry-29.html
駅から大門に向かって進むと左側に柳小路と呼ばれるかつての歓楽街のなれの果ての通りがある。
数年前、不審火による火事(地上げのための放火との噂も)により多くが空き地になり駐車場として使われている。
通りを入ると右側4軒目に「王さん」という大衆中華の店があった。
あったというのは、つい最近の2010年5月10日をもって、諸般の事情により閉店したのだ。
函館において、ラーメン店の閉店は最近特に多くなっている。
しかし、「王さん」の閉店は、ある意味象徴的なこの町の行く末を暗示しているといえよう。
創業昭和21年(1946)であるが、その源流は戦前の昭和12年(1937)に創業した中華料理の専門店「陶陶亭」にある。
この陶陶亭の料理人であった人たちが、独立して開いた店が、いわゆる現在の函館塩ラーメンを形成したといっても過言でないからだ。
こうした流れをくむ店は、私の知る限り「紅蘭」-閉店、「鳳蘭」、「汪さん」、「星龍軒」などがあげられ、「王さん」はその筆頭格であったといってよい。
今、列記した店は、これまた函館のラーメンを象徴する「出口製麺製の麺」を使用する店でもあり、もし今後閉店したら、まさに函館塩ラーメンは、その原型を失い、伝統が消え去るという点から、象徴的な出来事として位置づけたいのだ。
「王さん」のラーメンは、まさにあっさり過ぎるくらいのスープと柔らかめの麺であり、その他あんかけ風の味噌ラーメンや函館風柔らかい焼きそば、あっさり味のチャーハンなどここでしか味わえない逸品が多かった。
私の最終実食日は本年の1月7日塩ラーメンが最後となった。長い間ありがとうございましたとの感謝を申し上げたい。
さて、象徴的というのは、函館駅前周辺衰退に拍車をかける大きな一歩という意味・・・・このことについては後日書き留めたいと思う。
なお、蛇足だが「ザンギ」は陶陶亭が発祥の店で、それを忠実に受け継いできたのも「王さん」であったことを付記したい。
王さんについては次のページを参照のこと。
http://jovanniblog.blog114.fc2.com/blog-entry-29.html
「汪さん」です。(`・ω・´)b
>店名が間違ってますよ…(ω・ )ゝ... への返信
いえいえ、この記事の店は柳通りの「王さん」です。ご指摘の「汪さん」は仲通りの店です。
王さんは、汪さんに先立って閉店しました。