”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

函館市内にも山岡家ができたが・・・・

2010年08月26日 23時23分36秒 | 外食ラーメン
ラーメンの全国チェーン店である山岡家が,函館市内にも8月17日に函館鍛治店が開店した。
これまでは,上磯店(北斗市)に頼らざるを得なかったので,期待を膨らませて本日実食したのだが,残念ながら少々がっかりした。
立地的に中央分離帯があるため右折で駐車場に入ることは無理,左折でもカーブを曲がりきった直後にあるため行きすぎてしまいそうになり実に入りにくい。
店舗自体もなんとなく,レイアウト的にごちゃごちゃしており,どこに座ったらいいのか迷ってしまう。
券売機は,最新のタッチパネル方式だが,年配者には実に使いにくい。(まぁ年配者の行く店でもないだろうが)
さて,肝心のラーメンだが,山岡家といえば醤油というわけでデフォルトの醤油ラーメン(590円)を注文した。

見てのとおり,かなりシンプル,チャーシューもなければ,メンマもない。いくら590円でもこれでは満足はできないだろう。
あとは,追加トッピングをしてくださいといったところだろうが,それなら他店の方がマシというもんだ。
それと,厨房での翌日のシフトを確認する会話がかなり耳障りだった。
日頃,あまり批判を表に出さない私だが,さすがにこれはパスである。
要するに味以前の問題だからだ。

初めて交響曲を生で聴いたのは・・・

2010年08月25日 23時13分15秒 | 想い出
ボクが初めて,生のシンフォニー・オーケストラを聴いたのは,昭和46年9月14日,函館市民会館においてで,中学校2年生の時である。
当時,同じく音楽好きのF君に誘われて行ったのだが,演奏者は,小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団。
この公演は,札幌の北海道厚生年金会館落成記念の一連であり,STVの主催。
演奏曲目は,前半はモーツァルトの「フィガロの結恨」序曲,小澤自身のナレーションでプロコフィエフの「ピーターと狼」,そして後半はベルリオーズの「幻想交響曲」であった。
日本フィルは,この後新日本フィルと分裂をするのだが,このときの演奏は分裂前の充実した時期で,聴けたことがラッキーだなと今もって思っている。
さて,今でこそマエストロとして確固たる地位を築いている小澤だが,当時はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督にありながら,必ずしも正当な評価は日本国内において得られていなかったと思う。
いわゆるあるべき峻厳な相貌とは無縁で,保守的クラシックファンには受け容れられなかったのであろう。
舞台袖から急ぎ足で登場し,指揮台に飛び乗る仕草や,指揮そのものも自由奔放な姿に映り,かえって気むずかしさからは衆愚の存在だったのだろう。
曲の出来そのものの良し悪しは中学生のボクには到底理解できなかったが,第4楽章,第5楽章は大変興奮したことを覚えている。
生きた音楽がここにある。・・・とその時は感じた。曲そのものも好きになり,直後にクリュイタンス指揮のフィルハーモニア管弦楽団のLPレコードを購入したものの,実演の感動とはかなりかけ離れたものだった。
以来,幻想交響曲はボクのお気に入りの曲で現在CDも14種くらいあります。
でも,今のお気に入りは,小澤とは正反対の演奏と思えるピエール・ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団のもの。
普通は,ベートーヴェンの「運命」あたりから入るところが,ベルリオーズというところがボクの偏屈趣味に拍車をかけることになる。
ちなみに,この曲の主人公とされる若き芸術家は,まさにボク自身の投影である。

1杯の月見そば

2010年08月23日 23時10分47秒 | 想い出
昨日はそばを話題にしたが,ついでに思い出話を披瀝したい。
一昔前,「一杯のかけそば」という美談が一世を風靡したことがあった。
人には誰にでも,節目節目に思い出の食事があることが多い。
で,僕の場合は「かけそば」ならぬ「月見そば」。
母方の祖母が脳梗塞で倒れ入院したのはおよそ40年前だったと思うが,入院したところが中島町の共愛会病院,そこに確かひとりで見舞いにいったことがある。
その日は,祖父(正しくは養祖父なのだが,血がつながっていなかったことはそのころは知らなかった)も見舞っており,帰りは一緒に病院を出て,堀川町電停まで歩いてきたのだが,その時電停近くの長寿庵に入って,初めて二人きりで食べたのが月見そばだった。
祖父とは後にも先にもその1回だけの食事だったが,妙に忘れられない。
実は,月見そばは生玉子が崩れると,汁を全部飲まないともったいない気がする。(実に卑しい話だ)
しかし,まだ子供だった僕には飲み干すことができずに残してしまったことが,祖父に申し訳ないという悔いとなって今日に至っているのだろう。
その後,成長して月見そばを食べる時は汁を全部飲み干すことへの義務感に支配されてしょうがない。
さらに,歳を重ね現在に至るのであるが,今度は高血圧のせいで,あまり汁を飲めないようになるとやはり月見そばはなかなかチョイスできない代物となった。
別に美談でも何でもない・・・・・函館弁でいわゆる「ほいど」の話,一杯の月見そばでした。

函館にあるのに「東京庵」・・・私のお気に入りのそば店

2010年08月22日 09時24分45秒 | 外食そば・やきそば
私のプロフィールに「そば好き」とあるが,そば店の話題が一向に書かれていないのが疑問と思われる人も多いと思う。
誤解を避けるためにあえて言い訳をさせてもらうが,私は「そばファン」であるが,「そばマニア」ではない。
したがって,いろいろなお店を食べ歩くわけではなく,今年実食したのは,今日時点で60食,そのうち半分の31食が「東京庵」であるということで,ほとんど他のお店には行かないので実食記を書けないからだ。
東京庵は,函館の西部地区・函館山ロープウェイ下の南部坂に昭和11年開業した老舗だ。
開業当初、東京から職人を呼び寄せ、“函館に江戸前そばのお店を開きたい”その思いから「東京庵」と命名したと伝え聞く。
この店を利用するのは,気軽に入れる大衆店であること,店主が蘊蓄を吐くことがないこと,自宅から近いこと,そして他の店とはちょっと違う趣があることである。


上の写真は,「ざる+玉子」ではなく,「とろろそば」というメニュー,写真が見にくいかもしれないが,小鉢の中は生玉子ととろろである。
これに,タレを自分で調合していただくのだが,これがなかなか食べやすく,とろろも多量のタレのため完食できないことはない。
他店なら,普通は丼にそばととろろと生玉子が入れてあり,そこにタレをぶっかける方式だが,これだと「とろろ」を全てのタレとともに飲み干さなくてはならなくなり,完食はある意味危険だ。

他に冷やしたぬきも変わっている。普通は上記のようにぶっかけ式なのだが,ここの冷やしたぬきは,温たぬきがそのまま冷たい代物。
つまり,器の大量のタレではではなく,冷たいツユが入っているのだ。
他店のような冷やしたぬきをご所望とあれば,さらにもやしとワカメとかつを節が入った豪華版「冷やしそば」を注文すればよい。

天ざるも,そば用のタレと天ぷら用の天つゆが両方ついてきて,そばタレが脂っこくならない工夫もある。

カレーそばも普通は鶏ベースだろうが,ここでは豚ベースである。

各種のご飯セットものも用意されており,バラエティに富むのにもかかわらず,ちゃんと手打ちそばまである。
そして,何よりも各種のラーメンも食べられるのも,家族連れにはうれしいことだ。
ことに塩ラーメンは,下手なラーメン店よりずっと函館塩らしい趣である。

というわけで趣味性の濃いそば店ではなく,僕自身もそんな店は嫌いだからこの店がお気に入りなのだ。
なお,ちょっと残念なのは「禁煙」ではないこと。まぁ,あまりそこを強く求めて商売が傾かれればこちらも困るので許すことにしよう。

僕の本籍地は,函館市松風町・・・でも,一度も住んだことはない

2010年08月21日 23時06分26秒 | 想い出
北島三郎の代表的なヒット曲はもちろん函館の女(ひと),その2番の歌詞には,「灯りさざめく 松風町は・・・」とある。
この曲が発売されたのは1965年,僕が小学校2年生の時だ。
高度経済成長まっただ中の活気のある時代で,およそ,健全なものも不健全なものも全てを包含して,日用品,グルメ,酒,女,歌すべての娯楽が一杯詰まった街だった。
実は,僕の本籍地はこの松風町であるのだが,いろいろ諸事情があって,一度も暮らしたことのない,住んだことのない町である。
大体僕ぐらいの年代だと,函館の中心は紛れもなく,大門・松風町だったと誰もが思うところのだ。
しかし,いまやシャッター通りを通り越して,建物すら無くなってしまい,空き地が目立つ。
「灯りさざめく」どころか,「暗闇にご用心」といったところだ。
今年は,やや観光が盛り返しているが,観光客の方々が思い描いてくる函館のイメージとはちょっと違和感があるかもしれない。
もちろん,今や観光の中心は西部・ウォーターフロント地区だから,夜の函館なんてどうでもいいだろうし,活性化なんて地元の人間だって懐疑的だ。
その原因のひとつが,僕の本籍地が松風町だということに関係がある。
松風町の興隆がピークに達した当時,店舗はあるが,居住空間はなく,郊外に家をもつ経営者が多かったこと。
仮に建物が自分のものであっても,借地が多いこと。
そうしたことが,常にスクラップ・アンド・ビルドの障害になってきたことだ。
それでも,大門・松風町での商売から離れることに抵抗を持っている人がいるから,細々でもかろうじて続いてる商業地区なのだ。
しかし,そうしたこの地にこだわりのない世代の消滅とともに,消え去るうんめいなのかもしれない。
新幹線開通後は函館駅だってどうなるかわからない。
その時を見据えて,「灯りの消えた松風町は・・・・」というフレーズを入れて,函館の男(ひと)という詩を創ろうかと密かに考えている。・・・・・・・・もちろん冗談。