”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

初詣、初売り、年賀状は廃止すべきではないか?

2010年01月06日 19時37分39秒 | ライフスタイル
私の幼少の頃は、正月三日間は、ほとんどの商店が休業で初売りは4日からというのが普通だった。
したがって、初詣に出たあと母の実家に行くくらいしか出かけるところがなかった。
年越し料理やおせちなどとは縁はなく、「もち」と「みかん」と「なます」しか記憶にしかない。
もちろん我が家(といっても私と母二人だけだが)は貧しかったので、初売りに買い物に行く動機がなかっただけのことかもしれない。
昨今は、元旦から営業つまり年中無休の店も多いのでこうした「初売り」の風習は廃れ、意義もないと思っていたが、別の意味で正月三が日が戻ってきたという感じがある。
それはわが市では大手以外の地元商店は、どうせ店をあけても客は来ないと見限ってか、それとも店を廃業する前兆なのかは定かではないが、静かな幕開けとなった。
さらに、初詣客の参拝数も人口の約1割強が減になるというすさまじさだ。
もっとも、普段は何の信仰心もなく、宗教的修行もなく、僅かの賽銭だけでいわゆる「神頼み」に効果があってたまるかという気持ちも私には強い。
ついでに年賀状も不要だ。本来年賀状は、正月の挨拶に行けない人のところに出すいわば代替措置だから、必要ないのは当然である。
一緒に過ごす家族もないといった人が、現実増えてきているし、近い将来はそういう人だらけに(自分も含めて)なってしまう傾向からも、大晦日も元旦も365日のうちの1日に過ぎなくなっているのだから、ことさら年末年始を意識付ける情報操作は不要とも思う。
もっとよくわからないのは、金融機関の休日が4日間だけなのに、官公庁が6日間も休むということだ。
首都圏では今年も派遣村が話題になった。
行政をサービスと位置づけるなら、本来官公庁は休むべきではない。
しかし、今職を失っている人たちが、新たに職に就けるといった環境は現下では望めそうにもない。
雇用確保の問題には、後日触れることとし、今大事なのは民主党が圧倒的多数をとっているうちに法律を改正し、大晦日と正月三が日は、警察と消防と病院を除く企業は営業してはならないとすべきなのである。もちろん、公共交通機関も全てお休みだ。こうして真の意味での安息日ができる。

・・・・・もちろん、最後の主張は冗談だ。

2010年は「青年」が復帰するかが鍵となる

2010年01月01日 21時24分23秒 | ライフスタイル
「闇が深ければ暁は近い」とよくいわれる。
また、「冬は必ず春となる」との至言もある。
新しい年を迎え、本年は、是非「青年」に復権してもらいたい、成長してもらいたい、躍進してもらたいと思うものである。
「青年」と「若者」とは本来違うものである。
「若者」は「青年」であることのひとつの条件だが、すべてではない。
逆に「青年」は若者だけに限らないということも真である。
私が信ずるところの青年は、
志し高く、自らを律し、滅私奉公の精神で、全ての人々の幸福を願い、平和の理念を持つことを第一条件に
それを具体的行動に移していく人間群のことである。
これらは単なるボランティア団体やNPO法人にはなしえない事業である。
そうした行動が、正当な評価を得る条件が整えば、日本は変わると断言できる。
しかし、大衆が変化を求めて成立した「民主・鳩山政権」は、まさに党首自身が権力の亡者となり、薄汚い政治資金におぼれており、その力はない。
日本の平和の現実が、精緻な日米関係のうえに成り立っていることを軽んじている社民党の福嶋は、夫婦別姓などという日本の家庭観を崩壊させようと枝葉末節にこだわっている。
国民新党の亀井にいたっては、既得権の擁護の代弁者に過ぎない無節操者である。
利益誘導の途をたたれた谷垣自民党は、未だ本来あるべき保守の政治理念を国民に浸透させることができずに喘いでいる。
北朝鮮とのかっての結びつきを公的に釈明しない日本共産党は、働かない人間を養護し、生活保護制度あっせんという暴挙により、日本の財政を破綻させようとしている国賊そのものだ。
「制度では人間の幸福を築くことはできない」というのが私の信条、それに代わるものを宣揚していく青年の台頭を待つしかないが
それはきっと現れると信じてやまないものである。