私の幼少の頃は、正月三日間は、ほとんどの商店が休業で初売りは4日からというのが普通だった。
したがって、初詣に出たあと母の実家に行くくらいしか出かけるところがなかった。
年越し料理やおせちなどとは縁はなく、「もち」と「みかん」と「なます」しか記憶にしかない。
もちろん我が家(といっても私と母二人だけだが)は貧しかったので、初売りに買い物に行く動機がなかっただけのことかもしれない。
昨今は、元旦から営業つまり年中無休の店も多いのでこうした「初売り」の風習は廃れ、意義もないと思っていたが、別の意味で正月三が日が戻ってきたという感じがある。
それはわが市では大手以外の地元商店は、どうせ店をあけても客は来ないと見限ってか、それとも店を廃業する前兆なのかは定かではないが、静かな幕開けとなった。
さらに、初詣客の参拝数も人口の約1割強が減になるというすさまじさだ。
もっとも、普段は何の信仰心もなく、宗教的修行もなく、僅かの賽銭だけでいわゆる「神頼み」に効果があってたまるかという気持ちも私には強い。
ついでに年賀状も不要だ。本来年賀状は、正月の挨拶に行けない人のところに出すいわば代替措置だから、必要ないのは当然である。
一緒に過ごす家族もないといった人が、現実増えてきているし、近い将来はそういう人だらけに(自分も含めて)なってしまう傾向からも、大晦日も元旦も365日のうちの1日に過ぎなくなっているのだから、ことさら年末年始を意識付ける情報操作は不要とも思う。
もっとよくわからないのは、金融機関の休日が4日間だけなのに、官公庁が6日間も休むということだ。
首都圏では今年も派遣村が話題になった。
行政をサービスと位置づけるなら、本来官公庁は休むべきではない。
しかし、今職を失っている人たちが、新たに職に就けるといった環境は現下では望めそうにもない。
雇用確保の問題には、後日触れることとし、今大事なのは民主党が圧倒的多数をとっているうちに法律を改正し、大晦日と正月三が日は、警察と消防と病院を除く企業は営業してはならないとすべきなのである。もちろん、公共交通機関も全てお休みだ。こうして真の意味での安息日ができる。
・・・・・もちろん、最後の主張は冗談だ。
したがって、初詣に出たあと母の実家に行くくらいしか出かけるところがなかった。
年越し料理やおせちなどとは縁はなく、「もち」と「みかん」と「なます」しか記憶にしかない。
もちろん我が家(といっても私と母二人だけだが)は貧しかったので、初売りに買い物に行く動機がなかっただけのことかもしれない。
昨今は、元旦から営業つまり年中無休の店も多いのでこうした「初売り」の風習は廃れ、意義もないと思っていたが、別の意味で正月三が日が戻ってきたという感じがある。
それはわが市では大手以外の地元商店は、どうせ店をあけても客は来ないと見限ってか、それとも店を廃業する前兆なのかは定かではないが、静かな幕開けとなった。
さらに、初詣客の参拝数も人口の約1割強が減になるというすさまじさだ。
もっとも、普段は何の信仰心もなく、宗教的修行もなく、僅かの賽銭だけでいわゆる「神頼み」に効果があってたまるかという気持ちも私には強い。
ついでに年賀状も不要だ。本来年賀状は、正月の挨拶に行けない人のところに出すいわば代替措置だから、必要ないのは当然である。
一緒に過ごす家族もないといった人が、現実増えてきているし、近い将来はそういう人だらけに(自分も含めて)なってしまう傾向からも、大晦日も元旦も365日のうちの1日に過ぎなくなっているのだから、ことさら年末年始を意識付ける情報操作は不要とも思う。
もっとよくわからないのは、金融機関の休日が4日間だけなのに、官公庁が6日間も休むということだ。
首都圏では今年も派遣村が話題になった。
行政をサービスと位置づけるなら、本来官公庁は休むべきではない。
しかし、今職を失っている人たちが、新たに職に就けるといった環境は現下では望めそうにもない。
雇用確保の問題には、後日触れることとし、今大事なのは民主党が圧倒的多数をとっているうちに法律を改正し、大晦日と正月三が日は、警察と消防と病院を除く企業は営業してはならないとすべきなのである。もちろん、公共交通機関も全てお休みだ。こうして真の意味での安息日ができる。
・・・・・もちろん、最後の主張は冗談だ。