貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

二本松市観世寺②能の黒塚鬼婆伝説をひもとく!

2024-12-05 13:55:03 | 日記
二本松市観世寺②
 黒塚は、
福島県二本松市(旧安達郡大平村)
にある鬼婆の墓、
及びその鬼婆にまつわる伝説。  
<本殿>
 
 安達ヶ原(阿武隈川東岸の称。
安達太良山東麓)に棲み、
人を喰らっていたという
「安達ヶ原の鬼婆」
として伝えられる。


 黒塚の名は正確には
この鬼婆を葬った塚の名を指すが、
現在では鬼婆自身をも
指すようになったという。
 能の『黒塚』も、
長唄・歌舞伎舞踊の『安達ヶ原』、
歌舞伎・浄瑠璃の『奥州安達原』も
この黒塚の鬼婆伝説に基くもの。

 神亀丙寅の年(726)の頃、
紀州の僧・東光坊祐慶が、
安達ヶ原を旅している途中に
日が暮れ、一軒の岩屋に宿を求める。
 岩屋には一人の老婆が住んでいる。

 祐慶を親切そうに招き入れた
老婆は、薪が足りなくなったので
これから取りに行くと言い、
奥の部屋を絶対に見てはいけないと
祐慶に言いつけ、岩屋から出て行く。
<鬼婆石像>


 しかし、
祐慶は好奇心から戸を開け、
奥の部屋をのぞく。
 そこには人間の白骨死体が
山のように積み上げられていた。
 驚愕した祐慶は、
安達ヶ原で旅人を殺して
血肉を貪り食うという
鬼婆の噂を思い出し、
あの老婆こそが
その鬼婆だと感付き、
岩屋から逃げ出す。
 しばらくして
岩屋に戻って来た老婆は、
祐慶の逃走に気付くと、
恐ろしい鬼婆の姿となり、
猛烈な速さで追いかける。 
 
      
 祐慶のすぐ後ろまで迫る鬼婆。
絶体絶命の中、
祐慶は旅の荷物の中から
如意輪観世音菩薩の像を
取り出して必死に経を唱える。
~つづく。

二本松市: 観 世 寺 拝観料を調達に!安達ヶ原!!!

2024-12-04 14:47:39 | 日記
令和6年12月4日(水)
二本松市: 観 世 寺              
 観世寺は、
別名 奥州安達原黒塚 として、
鬼女伝説の霊場として
名を馳せている。

 観世寺に着いたが、
生憎細かいお金の持ち合わせがなく、
釣り銭で煩わせるのも…
と気遣い、門前から眺めた後、
お釣りに困らないお店を探す。
<拝観料に佇む>

 商店は近くに見当たらず、
五重塔の下の方に親子で楽しめる
「安達ヶ原ふるさと公園」
がある。

 そこまで降りると、
きれいなアミューズメント
みたいな建物がある。

 幼い子どもたちのお土産物が
置いてあり、ちょっと面白そうな
シャボン玉セットを見つける。
近所の子にあげればいいやと
購入。
 お釣りをもらい、
入場料の400円を
気楽に払えるようにする。

~つづく。

二本松市亀谷観音堂②芭蕉の歌と幸田露伴の命名の謂れそして・・・!

2024-12-03 11:56:36 | 日記
令和6年12月3日(火)
二本松市亀谷観音堂②
 いよいよ念じた芭蕉句碑へ。
<観音堂の芭蕉句碑>

「人も見ぬ  
   春や境の  
    うらの梅」
が芭蕉の句。
               
 「境の裏の模様の梅は、
ひっそりと春の訪れを告げて いる。
人が見もしない春
とでもいうべきであろう。」
 と説明板には、解釈されている。
<その説明>

                 
 露伴亭の「露伴」に
何かゆわくがあるのかなと入ったが、
やはりの勘の当たり!
 幸田露伴のペンネーム誕生
の地となった処が、亀谷。
<露伴の碑>

 北海道余市から文学を志し、
明治20年9月20日、
汽車の旅で福島まで来る。
 汽車賃が足りなくなるので、
郡山まで夜半歩き続ける。
飲まず食わずに二本松へ。
<その説明>

 亀谷坂で倒れ込み、
こうもり傘を立てて野宿。
 いつかのたれ死にする時は
こんな状態だろうと歌を口にする。  
「里遠し 
  いざ露と寝ん 
    草まくら」
 と。
 2年後、文壇にデビュー。
 終生、
この地で露と眠りこけたことを
忘れないようにと
「露伴」と命名。
 観音様にも守られたのだろう。
命名のいわれもわかり、
お店で「人参ジュース」をいただく。
<ご詠歌碑>

 千手観世音も御詠歌、 
「そのかみは いくよへぬらん 
かめがいの せんじゅのちかい   
たのもしきかな。」  
と口ずさみ、
この地を後にする。
<願掛けなでなで地蔵>


二本松市: 亀谷(かめがい)観音堂 ①露伴亭と観音堂と・・・!

2024-12-02 11:17:20 | 日記
令和6年12月2日(月)
二本松市: 亀谷(かめがい)観音堂  ①  
 目的地に到着したが、
駐車場が見つからず、
峠を行ったり来たり。
<駐車場探しの道>

 幸田露伴の
露伴亭の駐車場があるので、
取りあえず停車。
<駐車した露伴亭>


 お店の人と話をすると、
「ここに停めて観音堂へどうぞ!」
と勧められる。
 手作りのお店のようだ。
 焼き物などもあちこちにあり、
帰りに楽しむ。

 取りあえず、観音堂へ。
<亀谷観音堂>

 参拝後、芭蕉句碑へ。
~つづく。

郡山市安積山公園③おくのほそ道碑と花かつみを愛で!

2024-12-01 14:53:41 | 日記
令和6年12月1日(日)
 2024年も余す一ヶ月、師走入り!
郡山市安積山公園③

 芭蕉の小径には、
奥の細道の石碑がある。
<おくのほそ道碑>


 曾良が記したものが
刻印されている。 

 芭蕉の小径をいったん下り、
安積山公園の入口を出て、
また戻る。 

 天気にも時候にも恵まれ、
芭蕉の小径を登ると、
気分爽快。
疲れも吹っ飛ぶ。      
 もう一度花かつみの株に
寄り添い、じっくり愛でる。

 満喫後、駐車場へ。 
 土日や休日には、
市民のいい憩いの場所だなあと、
その整備にも感心する。