大いなる力
令和2年8月27日(木)
堂内に入ると、30数名の方が参拝し、
法要を待つのか、説話を待つのか、
席に着いておられる。
皆無言。
静寂は、荘厳さを伴う・・・。
そして、私の穢れ、疲れた魂をも
洗ってくれるようだ。
大都会には、こういう所が必ずある。
予期せぬひとつの楽しみ。
築地本願寺は、
江戸時代の1617年に、
西本願寺の別院として浅草御門南の
横山町(現在の日本橋横山町、東日本橋)
に建立。
「江戸海岸御坊」「浜町御坊」と
呼ばれる。
しかし明暦の大火(振袖火事)により
本堂を焼失。
その後、江戸幕府による区画整理のため
旧地への再建が許されず。
その代替地として八丁堀沖の海上が
下付される。
そこで、佃島(現:中央区佃)の門徒が
中心となり、本堂再建のために海を
埋め立てて土地を築き
(この埋め立て工事が地名築地の由来)、
1679年に再建。
「築地御坊」と呼ばれるようになる。
なお、この時の本堂は西南
(現在の築地市場)を向いて建てられ、
場外市場のあたりが門前町となっている。
1923年9月1日の関東大震災では、
地震による倒壊は免れたが、直後の火災
により再び伽藍を焼失。
現在の本堂は1934年の竣工。
古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、
当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と
親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・
伊東忠太による設計。
当時の宗教施設としては珍しい鉄筋
コンクリート造。
大理石彫刻がふんだんに用いられ、
そのスタイルは現在においても
斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔
となる。
本堂は重要文化財に指定されている。
境内には、九條武子の歌碑
「おおいなる もののちからに
ひかれゆく
わがあしあとの おぼつかなしや」
が築地本願寺を形容している。
築地本願寺のイチョウは見事。
はばたいているようだ!!!!