何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

虚構性に支えられて

2021-06-06 17:58:57 | 詩はあいまいな哲学
日本人は名誉心に訴え、
その手段を状況の要請に従って手にすることもあれば
放棄することも、進路を変更し新たな方向を目指すことも出来る。
目指す方向は秩序と名誉の克服である。

日本人は変わることを道徳の問題だと思っていない?
その点で定義、原則を追求する欧米人と異なっている。
直接触れることの出来ない素材を整理した結果
把握された虚構性の角度に違いがある。

定義とはそもそも、ある言葉に結合している教える人の体験と
教えられる人が出来るだけ近似の体験が出来るように
誘導することなので「糸とは何か」を体験的に知っている人に
「糸という言葉」の定義確認をする意味がない。

本来的に名詞よりも動詞や形容詞の方が定義しやすく(実念論)
絶対性の中に取り込まれ客観的な定義が可能である。
しかし名詞は多面的、多価値的な存在であって定義されにくい(唯名論)。

絶対性という縦糸、選択一時性という横糸が織りなす出会い
網目、陰影、色彩、厚み、肌触りetc...

クリス・ハート - 糸
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人と種の狭間で

2021-06-06 14:52:57 | 詩はあいまいな哲学
軽蔑とはどういうことか。
思考は言語に大きく支配されており
言語は思考を形作る主要な作者の一人とさえ言える。

作者も読者も自動作用に任せるようにしては思考できず、
詩が取らせる距離によって私たちの思考の自由度は抑えられ
「装置としての詩」は拘束を伴うが
ヴァレリーは詩作に於いてまさにこの不自由さにこそ可能性を見出す。

種として登場人物の体から読者の体への装置の在り様は
関心の移行として密接な相互関係であるものの
存在論的には異なる位相に属しており、相互距離を測ることはできない。

抽象化した存在が読者に「内的な行為」を要請する。
運動機能を備えたその実体を開発するのが目的である。
身体の参加(賛歌)を必要とする一連の営みから
読者がその行為を遠ざけてしまうような場合、
行為からみた作品の在り様が
意義のないものと捉えられていたことである。

ゴールデンボンバー「アモーレ」MV

芸風も色々ありますね。趣味とか話の合う相手なら掛け替えないはず。
ジェンダー問題も老後関連問題も「誰かの為」に生きれたら
それだけで随分違う。声をかける、頼れる、支えたくなる
生き恥晒せる相手が居る・居ないって大問題です!
独りでも楽しいことあるけど、自分の中でケンカしちゃう。
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