何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

織りなす光

2021-06-22 21:20:20 | 詩はあいまいな哲学
曲のタイトルは「まだ死なないで」であったが
交差する光が白い糸で人を縫い照らし包んでいる映像だったから。

人は何時か死ぬけれど過去も未来も、
自分にとって風景のような誰もが誰かを家にしたり勲章にして
色んな人生を同時に背負って生きてもいる。
ピトゥンさん(body slam ボーカル)は常夏のタイ全土を走りぬいた
命を削ってアピールしている芸術的な存在で
人気者だからこそ更に努力することが出来て叶えてこれたこと。
一緒に走る~~と我儘(励ましたり心配したり)な人続出して、
ワッショイ!状態。
そこに影も光もで深さと優しさを織り込めよう。

多くの病人も笑顔に、内気な人が応援して叫んで、
暇な人、やりがいを求める人には仕事を与えた。
お年寄りも若者と同じく「ありがとうありがとう」と反射のような微笑み
感動を与えている。

己の内に秘蔵する幼年時代の夢想の続きが
向こう見ずな所業を自らを不滅で不壊だと想像させる。
一観念を何度も探り、あらゆる仕方で揺さぶって
ユートピア的な地獄を織る。
人を軽蔑しようとさえ考えさえもしない怪物どもや悪漢どもが
善人と同様に世界の構築要素だからである。

凡てのものは蝶番の上に建てられ、活動は通路を狙っている。
土地と人間、家と人間、仕事と人間、交易と人間との紐帯は
生活の折り目を成し、人が選択しようとする瞬間、
選択は既に行われている。
否、世界は我々が登場するまで待っているのではない。
常に世界に居て、瞬間から瞬間に流れ
選択の自由の扉を発見したと告白され
それは奔放な臭いがし過ぎる気分と一種の感情があるだけだからである。

期待している音は意外な音と同様.僕らの生命の根源まで震わせる/アラン

人間にとって一番の贅沢は人間関係/サンデクチュベリ

微笑みは誰もが持てる贅沢品/美子

ไม่แก่ตาย feat.JOEYBOY - bodyslam「Official MV」
2019-07-07 18:48:26の再編
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思考としての笑顔

2021-06-22 17:55:22 | 詩はあいまいな哲学
考えるということは印象を克服する策略を巡らすことで
お笑い芸人がジャニーズのカバーをして
イケメンになりきりつつ、男性が女性的な歌を謳うのも、
自由な発想からの理解には信じている以上の力添えを引き出せることだろう。

「常に人格を、汝に於いても他人に於いても
決して手段としてではなく、目的としてみ看做(みな)せ」/カント

我々を律しようと試みる普遍的法則の原理に
美しい尊重の格率が不確実性へ及ぼそうとしている。

人間らしさは事実でなくとも、人間の使命に応えつつある義務であって
幾通りもの当人を超えて己自身を考えられていることになる。

蒸し暑い部屋の中で雪が降っているのを想像したり
仕草の一つ一つに内的で貴重な自由から出発させ、
そして笑顔の私へと戻った。

【歌ってみた】愛のかたまり− KinKi Kids covered by EXIT
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炎それ自身

2021-06-22 12:24:53 | 詩はあいまいな哲学
「詩人は自分の感情を、個性を表現するのである」
という常識に対して異論を提出したのがT・S・エリオットである。

「芸術の発達は脱個性化の過程に他ならない。
不断の自己犠牲であり、不断の個性の消滅で、
自己より価値あるものの創造に追従させるものだ」という。

欧米ではこの考え方は斬新であったけれども
日本の文芸ではさして珍しいものではない。
主観がぎらぎら表面に出た作品は小さな個性しか生まず格を下げる。
抽象的に、比喩的に真理を表出する方法を洗練させた
その端的な例が俳句である。
俳人の主観は花鳥風月に仮託されて間接にしか現さない。

様々な素材が自然に結び合い、新たに生ませ許す場を提供し、
優れた句の主観は受動的に働く時である。

発想が扱うものは周知、陳腐なものであっても、
それらを結びつける妙策、知識、事象が生まれ
結合の効果として面白くなり、
酵素法もカクテル法も
頭の中で自由な化合が起こる状態を準備することに他ならない。

小さな自己を抑制して来た結果、大きな驚きを見せてくれる。
私も世界も、あらゆる物質は空っぽの空虚なもので出来ている。

物質の構成元素、原子はとても小さく、
質量の大部分を占める核はさらにその10万分の1の大きさに過ぎず、
典型的な原子は外側に電子(-)の雲を持っていて
それに等しい核の中の陽子(+)の数と状態によって
科学的な性質を決めている。

電子は電子を跳ね返す、陽子は陽子を排斥する。
となるとどうして核は一体であり得るのか。
それは電力でも、引力でもない
距離が近い時にだけ働くもう一つの力
電気的な反発力を持たず引き付ける中性子の力=核力である。

同じ徴の電気は互いに強く反発する。
自分たちと同じものを嫌い合う現象で
あたかもこの世は隠者と人間嫌いとで満ち満ちているかのようである。
中性子は隠者で、孤独を求めながらも
不愛想な連中と鎖で繋がれ皆に差別なく声をかけ
反発力も引き合う力をも克服し優しさ(限界はあるが)を振りまいている。

炎は化学元素ではできていない。存在ではない?
高温の為に核の周りの電子の一部がはぎとられてプラズマとなり、
それが噴出するのが火である。
温度が数千度にもなる時、粒子は極めて大きな速度で飛び回るので
原子の電気的反発力も働く暇がない。
人為的な問題でも、現実の模写でも、それらは何処から来るのか。
自然発生的な崩壊を個性、毒性を芸術として鑑賞するなら
答えを導くように問題が出されるはずで。
内面から尊重しうるなら燃えろファイヤーー!

ยุติ-ธรรม - TaitosmitH | Official MV |
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