「私たちは瓜二つの双子であった」
涙は治療の徴であるが故に病気の徴である。
一人が浴槽で溺れたが、それがあいつなのか、私なのか
私は知らない。
「私は知らない」という文言は常に戻り、常に克服される。
情動の動きはじわじわと命を縛り、締め上げ、停止させるが
そこからの解放の涙の中には
重大なものが現れたが為の崇高なものがあり衝撃がある。
「私は私だ」と私が理解する仕組みを真面目さで押し通すことは出来ない。
喜劇は悲劇の反省であり倫理であって、矛盾と軽蔑がなければ
ギリギリの感情を克服されたと明るみに出す時間と高みが必要だ。
矛盾と軽蔑が有る時、無い時、そこで生まれる率直さは笑い。
喜劇の持つ偉大な平等、凄まじい威光が示される。
その美味しい笑顔頂きました♪ ご馳走様です♪
ゴールデンボンバー「夜明けの待人」