何でもない日々

優しさの素は幸せ
幸せの素は楽しい
楽しく生きる人は優しい

笑いは涙を支えてる

2021-07-25 19:30:51 | 詩はあいまいな哲学
「私たちは瓜二つの双子であった」
涙は治療の徴であるが故に病気の徴である。

一人が浴槽で溺れたが、それがあいつなのか、私なのか
私は知らない。
「私は知らない」という文言は常に戻り、常に克服される。

情動の動きはじわじわと命を縛り、締め上げ、停止させるが
そこからの解放の涙の中には
重大なものが現れたが為の崇高なものがあり衝撃がある。

「私は私だ」と私が理解する仕組みを真面目さで押し通すことは出来ない。
喜劇は悲劇の反省であり倫理であって、矛盾と軽蔑がなければ
ギリギリの感情を克服されたと明るみに出す時間と高みが必要だ。

矛盾と軽蔑が有る時、無い時、そこで生まれる率直さは笑い。
喜劇の持つ偉大な平等、凄まじい威光が示される。

その美味しい笑顔頂きました♪ ご馳走様です♪

ゴールデンボンバー「夜明けの待人」
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バーチャルライブ

2021-07-25 18:39:12 | 詩はあいまいな哲学
今や旅行や娯楽の為に移動をしなくても
家の中で疑似体験が可能となった。
人間的共有の喜びに理想の住処を求めることや
移動すること自体と社交と群れる喜びもある。

が、下らない礼儀や衣服の心配を無視できる。
出逢いがなければ主客対立が起こらない。
時間と空間とお金を大いに節約できるという利点がある。

GMM Virtual Concert: COCKTAIL
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