何でもない日々

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無為は究極

2023-07-19 14:05:40 | 詩はあいまいな哲学
日常性は時間的概念で、相関している環境は空間的に、
美的特性を分析したり芸術への関心を深める
スターへの憧れが至る処に主題として偏在し、
自然と見做す習性が浸透するようで文化の大衆化に依って
生まれながら、英雄のように行いを標榜にするかのごときでない。

「生まれる」という視座を巡って忘己の仕事は作意の跡が消え、
主体的に「作られた」ものではなく、多く生まれた者と呼べ
虚飾なき「何者なのか」
自分とは違う在り方、他の働きの通路になる結果としては。

詩人に取り言葉は考えた記号以上の力の顕現であるように、。
何かに委ねた「美」は何かを生む力として無意識の影がさし
自分でも思いがけない軽い心持ちで居ながら、自他を呼応する現象として
行い続けるというより多く生まれるように働くことになる。

เฉียงเหนือเฟส : เสื้อกั๊ก - TAITOSMITH
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