ニャラムには商店や食堂もあり街の中の道路が舗装されている。
旅館は表に食堂があり、裏手に2階建ての部屋数にすると20室ほどある。
その中の2階にある4人部屋に落ち着く。
部屋の中は4つのベットとテーブルが1台置かれ小さな窓が一つあるだけの
簡素な部屋だ。
これが今晩の宿です。
裏に回るとこんな風になっています。
私達の部屋は、2階の奥から3つ目の部屋です。
一番奥にトイレと洗面所があります。
部屋の中はこんな感じになっています。
天井が低く狭いのですが、誰も文句を言う人はいません。
そういう点では扱いやすい客だと思います。
は~い!すっかりくつろぎモードの3人です。
荷物も落ち着いたので高度順応を早めるために街を散歩します。
この富士山の山頂に匹敵する高度は初めてなので、出来るだけゆっくりと歩く。
ニャラムは弓状に大きくカーブする5~6百メートルほどの通りを中心に開けた街だ。
通りには旅館や食堂があるほかには登山用の防寒着などを売っているお店もある。
そのなかにシャワーと書かれた店がある。
シャワーには気を惹かれたが、それほど汗もかいていないので入らないことにした。
食堂にはテレビがあるが画面写りはひどく、砂嵐のようになっている。
そんなテレビをお客が熱心に見ている。
画面を見るとどうやら卓球を放送している。
通りを一通り歩いてみたが息切れがするわけでもなく
高山病の症状は特に現れていない。
昨晩よく寝られなかったこともあり宿に戻り、少し仮眠することにする。
仮眠から目を覚ますとゲリー達が散歩に行くという。
一緒に行かないかといわれたので起きていくことにする。
外は冷たい風が吹いて寒いのでジャケットを着ていく。
4人で街の両側にあるお店を見ながらブラブラと歩いていると
すぐに街はずれまで来てしまう。
街はずれで辺りを見ると、所々に低灌木が地面に張り付くように
生えているだけで砂と岩石が入り交じった地面がほとんどだ。
目を上の方に転じると岩山が覆い被さるように連なっている。
小さな川に架かった橋があるのでここで記念写真を撮り合う。
ヴィジュヌーと記念写真
宿に帰ってくるとどこからかお祈りの声が聞こえてくる。
それも沢山の人達がお祈りをしているようだ。
私達の部屋の少し手前にある中位の部屋に沢山の人が集まっている。
お祈りの声は約2時間ほど続いていた。
宿の1階からも同じようなお祈りをする声が聞こえている。
この声の人達は違うグループのようだ。
どちらもヒンドゥー教の人達のようだ。
夕方17時頃に雨が降ってくる。
この場所で雨が降るとは思わなかったが、ニャラムはチベットとはいっても
高度も低くネパール寄りなので降るのではないかと思う。
1時間ほどで止む。その後はまた青空が顔を出している。
チベット時間で夜になるのは21時近くなってからだ。
20時では空を見るとまだ青空が広がっている。
したがって、夕食の時間は21:30分頃になる。
今晩の夕食は、カレーが2種類にカリフラワーの炒め物、
デザートにマンゴーが付いている。
夕食の前にスープが運ばれてくるが、今日はトマト味のスープで
ちょっと酸味があり美味しかった。
この食事時間は私の習慣とは違いすぎるので少し参りましたが、
それでもきちんと毎日便通があるので、身体の方は適応しているようです。。
今日一日を見ても朝食は8:00分、昼食が17:00分、夕食が21:30分、
どう考えても食事時間に間が開きすぎていると思うが、
これは日本人の感覚なのでしょうか?
シェルパが食事を運びに来てくれるときなどに日本語で話しかけてくれる。
「大丈夫ですか?」とか、「元気ですか?」などの短いことがですが、
それだけでも嬉しくなるのは、彼らの心遣いだと思うからです。
こんな風に一日が過ぎていくと、日本語で話が出来なくても、
英語で話すことが出来なくでも孤独感がないので、
気持ちの上では普段通りの生活が出来ている。
横になるって静かにしていると軽い頭痛を感じるので、
今晩から高山病の予防薬ダイアモックスを飲んで寝ることにします。
明日の朝は8時に出発するといっているが、果たしてどうなることやら?
旅館は表に食堂があり、裏手に2階建ての部屋数にすると20室ほどある。
その中の2階にある4人部屋に落ち着く。
部屋の中は4つのベットとテーブルが1台置かれ小さな窓が一つあるだけの
簡素な部屋だ。
これが今晩の宿です。
裏に回るとこんな風になっています。
私達の部屋は、2階の奥から3つ目の部屋です。
一番奥にトイレと洗面所があります。
部屋の中はこんな感じになっています。
天井が低く狭いのですが、誰も文句を言う人はいません。
そういう点では扱いやすい客だと思います。
は~い!すっかりくつろぎモードの3人です。
荷物も落ち着いたので高度順応を早めるために街を散歩します。
この富士山の山頂に匹敵する高度は初めてなので、出来るだけゆっくりと歩く。
ニャラムは弓状に大きくカーブする5~6百メートルほどの通りを中心に開けた街だ。
通りには旅館や食堂があるほかには登山用の防寒着などを売っているお店もある。
そのなかにシャワーと書かれた店がある。
シャワーには気を惹かれたが、それほど汗もかいていないので入らないことにした。
食堂にはテレビがあるが画面写りはひどく、砂嵐のようになっている。
そんなテレビをお客が熱心に見ている。
画面を見るとどうやら卓球を放送している。
通りを一通り歩いてみたが息切れがするわけでもなく
高山病の症状は特に現れていない。
昨晩よく寝られなかったこともあり宿に戻り、少し仮眠することにする。
仮眠から目を覚ますとゲリー達が散歩に行くという。
一緒に行かないかといわれたので起きていくことにする。
外は冷たい風が吹いて寒いのでジャケットを着ていく。
4人で街の両側にあるお店を見ながらブラブラと歩いていると
すぐに街はずれまで来てしまう。
街はずれで辺りを見ると、所々に低灌木が地面に張り付くように
生えているだけで砂と岩石が入り交じった地面がほとんどだ。
目を上の方に転じると岩山が覆い被さるように連なっている。
小さな川に架かった橋があるのでここで記念写真を撮り合う。
ヴィジュヌーと記念写真
宿に帰ってくるとどこからかお祈りの声が聞こえてくる。
それも沢山の人達がお祈りをしているようだ。
私達の部屋の少し手前にある中位の部屋に沢山の人が集まっている。
お祈りの声は約2時間ほど続いていた。
宿の1階からも同じようなお祈りをする声が聞こえている。
この声の人達は違うグループのようだ。
どちらもヒンドゥー教の人達のようだ。
夕方17時頃に雨が降ってくる。
この場所で雨が降るとは思わなかったが、ニャラムはチベットとはいっても
高度も低くネパール寄りなので降るのではないかと思う。
1時間ほどで止む。その後はまた青空が顔を出している。
チベット時間で夜になるのは21時近くなってからだ。
20時では空を見るとまだ青空が広がっている。
したがって、夕食の時間は21:30分頃になる。
今晩の夕食は、カレーが2種類にカリフラワーの炒め物、
デザートにマンゴーが付いている。
夕食の前にスープが運ばれてくるが、今日はトマト味のスープで
ちょっと酸味があり美味しかった。
この食事時間は私の習慣とは違いすぎるので少し参りましたが、
それでもきちんと毎日便通があるので、身体の方は適応しているようです。。
今日一日を見ても朝食は8:00分、昼食が17:00分、夕食が21:30分、
どう考えても食事時間に間が開きすぎていると思うが、
これは日本人の感覚なのでしょうか?
シェルパが食事を運びに来てくれるときなどに日本語で話しかけてくれる。
「大丈夫ですか?」とか、「元気ですか?」などの短いことがですが、
それだけでも嬉しくなるのは、彼らの心遣いだと思うからです。
こんな風に一日が過ぎていくと、日本語で話が出来なくても、
英語で話すことが出来なくでも孤独感がないので、
気持ちの上では普段通りの生活が出来ている。
横になるって静かにしていると軽い頭痛を感じるので、
今晩から高山病の予防薬ダイアモックスを飲んで寝ることにします。
明日の朝は8時に出発するといっているが、果たしてどうなることやら?
ダイアモックスは私も飲んでいましたよ。
それでも友人は軽い高山病になって、ラサでダウンしました。
それは、樹木のない岩だらけの光景を目にしたからです。
ラサとニャラムの標高はそれほど違わないと思います。
高山病の症状は個人差があるので1晩くらいでは分かりませんね。
ダイアモックスが効いているのかも、よく分からないというのが正直な感想です。