井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

山女と登る定山渓天狗岳!

2018-09-30 07:52:31 | 札幌近郊の山
 今年の春から一緒に山に登っている秀岳荘スタッフ女性のスキルアップのため、定山渓天狗岳に登ってきました。
前日まで雨でしたがやっとその雨も止み、何とか登山できそうな天気でしたので出かけてきました。

 7月9日

 いつものように白井川沿いの道路を豊羽鉱山跡に向かって走ります。
すると通行止めの標識があり、道路が封鎖されています。
これでは白井川上流にある天狗小屋まで行くことができません。
やむなく引き返し、白井川の下流側の橋を渡り登山口を目指すことにしました。

 しかし、こちらの林道も右手の小沢からの土砂が流入しており、そこから先へは進めない状況となっています。
    

    
     反対側から見た写真です。

 しかたがないので車をここに止めて出発準備をします。

 7:30分、まずは林道歩きです。
ほどなく林道ゲートを通過します。
するとその先で林道がスパリと流されているではありませんか。
    
     幅3mほど、深さ2mほどの土砂が流されています。

 ここは上流側の沢の中に入り笹藪を歩いて迂回します。
 沢水はほんの少し流れているだけです。
 こんな小さな流れでも増水すると大きな力を持つ恐ろしさを実感させられました。

 7:20分、やっと、登山口に到着です。
    

 いつもは上流側の天狗小屋からこの登山口まで歩いていましたが、30分ほどかかっていました。
今回は下流側から歩いたのですが、20分で登山口に着きました。
地図上では同じ距離に見えましたが、下流側から歩く方が近いとは、目から鱗でした。
これからは、下流側から登山口へ向かうことにします。

 登山口からは左手に沢を見ながら歩きます。
沢沿いの登山道は沢音がして癒されます。

 8:30分、最初の難所に到着です。
ここは沢がS字状になっており、しかも滝となって流れています。
以前は、左岸(上流に向かって右側)を登っていたのですが、数年前の増水により左岸にあった草付きの斜面が流されてしまいツルツルの岸壁が顔を出しているのです。

    
   
    
    この写真のように昔から使っていた右岸の急斜面を登ります。

 この斜面を登り、いったん沢に降ります。    
    
    この沢に下る斜面は岩が露出しており岩肌が滑りますので要注意です。
    沢を注意して渡ると次の鎖場を登ります。
 そして、左岸の登りもなかなかの急斜面です。
    
     この最初の難所を超えるとホッと一息付けます。

    

    

 高山植物のお花の少ない定天ですが、お花を見ると癒されます。
私はまだ見たことがありませんが、この山には「アツモリソウ」が咲いているとのことです。
一度は見たい花の一つです。

    
     滝もあります。

 少し斜度が落ちた斜面まで来ると標高700m辺りです。
しかし、この山はこの標高から山頂まで息も付かせぬ急斜面が続きます。
まずは、浅い沢状のルンゼを登ります。
ここは沢水が少し流れておりグジュグジュした登山道ですので足元を確認しながら登ります。
沢状の登山道は道がはっきりしないところもありますので慎重に登ります。
やがて沢を離れ、狭いリッジをジグザグに登ると、左手に本峰と2峰のコルが見えてきます。
草付きの斜面を右に曲がると最大の難所であるルンゼが見えてきます。
    
    
    
     このルンゼには長いロープが張られています。

 このロープが信頼できるか、十分に張りを確かめて使います。
このルンゼを慎重に登ると胸を突くような登りがあります。
この登りを終えると短いけれど胸が付く様な急斜面があります。
この斜面を登り切り平らになるとほどなく山頂です。

 11:15分、山頂に到着しましたが、辺り一面ガスで何も見えません。
    

 山頂では軽くお腹を満たすだけにして、視界がないのですぐに下山します。

 14:15分、登山口に到着です。
あとは林道を歩き車に戻るだけです。

 ☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★
 
  帰り道で通行止めの現場に行ってみました。
 工事中のため作業員の方がいましたので状況を聞いたところ、落石があり 
通行止めにしているとのことです。
落石以外にも道路に傷んだ箇所があるため工事が長期化しそうなお話でした。

  定山渓天狗岳のように「天狗」の名前がついている山は急峻な山が多いです。
 札幌近郊には朝里天狗岳のありますが、こちらの山頂部は岩場で急峻な山です。

 今回の山女さんは、トレーニングを兼ねてテント一式など重装備で登りました。
 すべては、トムラウシ山に登る訓練を兼ねているからです。
 この急峻な山を重装備で登れたのですから成果は一目瞭然でしょう。
 次は、小屋泊まり1泊の縦走です。

山野井泰史さんの講演を聞きに行く!

2018-09-29 07:19:18 | その他
 札幌でクライマー山野井さんの講演会があるということで聴きに行ってきました。
9月28日の夜でした。

    

 会場は、札幌駅北口にあるLプラザでした。
会場は4階にある研修室、ちょっと狭い会場でしたので椅子席では足らず講演者の真ん前まで体育座りの人たちで溢れていました。
若い人たちの姿が目につきました。

 階上は:30分とのことでしたが、その時間に行きましたが会場はすでに満席の状況でした。
山野井さんは気軽にサインなどに応じられ、サインを求める人たちが列をなしていました。
    

 アットホームな感じの小さな会場で、横にいた妙子夫人もサインに応じていました。
講演は海外登山研究会の会長さんの後、秀岳荘の社長さんの挨拶がありました。
    
     秀岳荘小野社長の挨拶風景です。

    

 公演はスライド上映に合わせて行われました。
山野井さんのヒマラヤやパタゴニアなどでの登山状況についての講演が1時間ほどあり、そのあと30分ほど質疑時間が設けられていました。
私も日頃のトレーニングはどんなことをしているか?質問させていただきました。

 山野井さんは現在53歳、約40年間ほど山に登ってきています。
自分のクライマーとしての最期を迎えつつある(先鋭的なクライマーとしてと感じました。)とき、あと3つほどの山に手を付けて一線を退きたというお話がありました。
なかなか奥の深いお話でした。

 朴訥な人柄そのままに公演は和やかに終了。
とてもいい時間が持てました。

大峯山奥駈道を歩く・その6

2018-09-28 13:45:25 | その他の本州の山
 5月14日

 快適な小屋ですっかり休養を取ってリフレッシュできました。
雨は未明には止み、今日はいい天気のようです。
朝4時に目覚ましで目を覚まし、いつものように出発の準備をして5時に小屋を立ちます。

    
    小屋の前に立っていたのが、この行者堂です。

 あれだけ雨が降ったのも関わらず、奥駈け道はしっとりと濡れているだけで快適に歩けます。
    
    赤が映えます。

 6:20分、笠捨山に到着です。
    

    
     立派な石碑が建立されていました。

    
     葛川辻まで来ました。

 この先の槍ヶ岳から地蔵が岳までが今日一番の核心です。
鎖場が連続する難所なのです。
しかし、この鎖場が楽しかった!!
何回も上り下りを繰り返し、息をも付かせぬ有様です。
写真を撮る余裕もないほどなのです。

    
     やっと、最後の鎖を下ったところで1枚写すことができました。
最後の3mほどは、ほぼ垂直の岩壁でした。

 この難所を歩き終えると、あとは、平凡な登山道となります。

    
     こんな石仏が修行の道を示してくれます。

    
     四阿の宿跡です。 

 8:25分、香精山に到着です。
    

 ここからどんどん下ります。
そして着いたのが塔の谷峠です。
 10:00分、塔の谷峠です。
    
    辺りは杉の人工林です。
すっかり人里近くまで降りてきました。

    
     きれいに手入れされた人工林が美しいです。

 やがて、12世紀の森への分岐点に到着です。
    

    
     如意宝珠岳です。
 立派な名前がついていますが、なんていうことのないピークです。

    
     クモの口です。
ここは交通の要所となっています。

    

 ここから花折峠まで登りになります。
そして、立派な道路と交差するようになります。
こんなところから奥駈け道の古い景色と近代的な道路が交錯し、旅の終わりを実感させられます。

 11:20分、花折峠まで歩いてきました。
    

 ここまで来ると玉置山ももう少しです。

    
     道路の脇を歩くようになると修行の道もむなしい歩きに変わります。
 展望台が見えてくると玉置山の山頂ももう一息です。

 12:00分、玉置山の山頂です。
    
     山頂には何もなく、ペロンとしたむき出しの広場に山頂標識がぽつんと立っています。

 ここから立派な杉木立の斜面を下ります。
どんどん下ると右手の下の方に大きな杉が囲われた物が見えてきます。
    

    
     玉置神社の「玉石社」でした。

さらに5分ほど降ると、やっと、玉置神社に到着です。

 社務所の脇にザックを置いて本堂にお参りします。

 12:20分、玉置神社に到着です。
    
     立派な本堂です。

    

    

 そして、杉の巨木が何本もあります。
    
     夫婦杉です。

    

    
     神代杉です。

この他にも巨木があちらこちらにあります。
これら杉の巨木が玉置神社を荘厳にして神聖な雰囲気を醸し出しています。

 さて、この山の中から里にある市街まではバスが通っていません。
どなたかに乗せてもらわねばなりません。

 本堂前でご婦人2人連れに会いました。
十津川の市街まで乗せてもらえる尋ねたところ快諾していただけました。
しかも、新宮まで行くのでその途中なら十津川の先でもいいと言ってくださいました。
図々しく、熊野本宮まで乗せてもらうことにしました。

 お二人は大学の同級生とのことで一人は宝塚から、もうお一人は東京から来て観光をしているとのことです。
私より少し年上の素敵なご婦人でした。

 熊野本宮前で車を下ろしてもらいます。

    
     いよいよ熊野本宮にお参りです。

    

     この山門を潜ると三山神社がありますが、ここから先は写真撮影が禁止されています。

 熊野本宮をお参りしたので大斎原へ向かいます。
    

    
  
 熊野川の中州にあった旧熊野本宮跡地ですが、こちらの方が静かで霊気が感じられる場所でした。

 さて、これで2年越しの大峰山奥駈け道の歩きを終えたことになります。
昨年は台風のため途中で下山することになってしまいましたが、いろいろな人に助けられ気持ち良く歩くことができました。
このルートは水の補給が困難な道です。
古の人たちも水の補給に耐えながら歩いたことと思います。
まさに、修行の道です。
一番歩きたかった道を歩き終え、まだまだ日本中にある山岳修行の山を尋ねたいと思う気持ちが強くなった奥駈け道でした。     

厚真町で災害ボランティア活動を行ってきた!

2018-09-15 16:44:53 | その他
 9月6日の未明に起きた地震は「北海道胆振東部地震」と名付けられました。
地震の最大震度は、厚真町で7とされ、北海道では経験したことのない直下型の地震でした。
その厚真町における災害ボランティア活動が9月13日から本格的に行われるということで参加してきました。

 今回は、厚真町、安平町とむかわ町の三町に災害ボランティアセンターが立ちあげられました。
私は、厚真町の災害ボランティアセンターにメールで登録し13日から2日間ボランティア活動を行ってきました。

 札幌から厚真町まで車で2時間ほどかかります。
センターにおける受付開始は8:30分からです。
国道274を走り、三川から厚真町に向かいます。
途中で安平町も通ります。
安平町の早来手前から厚真町へ向かう道路は通行止めとなっていました。
そのまま苫小牧方面へ向かい、遠浅(とあさ)という集落から厚真に行くことができました。

 途中の道路はいろいろな車両で混雑しています。
特に目についたのは自衛隊の車両です。
厚真町の町に入りましたが、街並みを見ても窓ガラスが割れたり屋根が崩れたり壁に亀裂が入っているような大きく被害を受けている家は見当たりません。
災害ボランティアセンターに着くと急ごしらえの駐車場が2か所整えられていました。
さすがに車が沢山駐車しています。

 ボランティアセンターの右側にテントが数張り立てられています。
8:30分、受付が始まります。
受付では、事前のボランティア登録をしているか、ボランティア保険に加入しているかの2点を確認されます。
その次は、センター内にてボランティア先を決める作業を待ちます。
椅子が50客ほど並べられた一番前にホワイトボードが3枚ほどあります。
そのホワイトボードにボランティアに行く先が一覧でまとめられているのです。

 担当者からのあいさつがあり、マッチングと称するボランティア先の必要人数に従って割り振りをします。
私は、農家さんの納屋の片付けをする仕事に割り振られました。
その農家さんは町から10kmほど離れたとこにあります。
4人で行きましたが、皆さんこの町の地理は全く不案内です。
車のナビを使い交通止をかいくぐり、目的の家に着くことができました。

 家主の方に挨拶して、さっそく作業に取り掛かります。
2間かける4間ほどの納屋は床一面に雑多なものが溢れかえっています。
この雑多な物を、一旦全部納屋から出します。
この作業に家主も加わって5人で午前中一杯かかりました。

 午後からは、地域ごとに設置された災害ゴミ受け入れの場所まで運びます。
この作業は2tトラックで3回ほど運び何とかゴミの全量を整理できました。
そこで今日の作業は終了となりました。
センターへ戻り作業報告を済ませて一日が終わります。


 翌14日も同じような作業を行いました。
この仕事が早く終わりましたので安平町で倒壊の恐れがあるほど被害を受けた家屋を見に行ってきました。
旧早来町の中心街にそれらの家屋がありました。

 1軒目は石造りの蔵です。

    

    
     札幌軟石と思われる石を積み上げた蔵です。
     壁厚は40cmほどあると思われました。
     正面の開口部が強度を下げたように思われます。
     左の壁にも大きな亀裂が入っています。

 2軒目も石造りの建物です。
1軒目の建物のすぐ近くにあります。
    

    
     こちらも札幌軟石を積み上げた蔵に窓を付けて喫茶店として利用していたようです。
     2階建てとのことですが、2階部分は完全に崩落しており屋根が裏側に崩れ落ちています。
     こちらの建物も1階部分に作った窓が建物全体の強度を落としたように感じます。

 3軒目は2軒目の建物の真ん前にあります。
    

    
     レンガ造りの建物ですが、2階部分のレンガを見ると厚さ10㎝ほどと薄く感じました。

 これらの建物以外では、数軒の建物が玄関のガラス戸や窓ガラスが割れているのを見かけた程度です。
テレビなどではこれらの倒壊した様子が何度も報道されていましたが、隣接する通りをみてもほかの家の外観を見る限り大きな被害は感じ理られません。
ほとんどの家は、ガラス窓なども割れず地震前と同じ姿で立っているようです。

 震源地に一番近い厚真町や安平町の家屋より、札幌市清田区の里塚で起きた液状化現象により傾いた家並みの方が被害が大きいといえます。

 いづれにしても被災地では避難所生活をしている人が千人を超えています。
特に厚真町で避難所生活を送っている人が多いのですが、厚真町では電気はほとんど回復したようですが、未だ断水が続いています。
この断水が続いていると普通の生活には戻れないと思います。
一日も早い水道の復旧が待たれるところです。

 


北海道胆振東部地震を被災して・・・

2018-09-08 06:33:39 | その他
 9月6日の未明(3時8分)に発生した地震により、私が住んでいる札幌市も震度6弱の揺れを感じました。
我が家は、札幌駅から西に向かって車で15分ほどにあるマンションの4階です。

 かなりの縦揺れに襲われましたが、幸いなことに棚から物が少し落ちた程度で何の被害もありませんでした。
しかし、停電になり電燈が付かないので非常用の懐中電灯を使い山用のヘッドランプを探し明かりを確保しました。
この夜に何回かに余震があり、小さく揺れました。

 夜が明けて辺りが見えるようになりました。
窓から見渡しても街はいつもの姿で、特に被害を感じさせるものはありません。
しかし、マンションは停電のためエレベーターが使えなくなっています。
また、停電のため地下にある揚水ポンプが動かないため断水しています。
その状態でもガスは使えました。

 子供たちに連絡を取ってみると戸建ての家は断水していないといいます。
ガスと水が使えるならそれほど不自由は感じないと思い、息子の家に身を寄せることにしました。
冷蔵庫の中から日持ちのしない食品を持ち、子供たち家族の分も一緒に食事を作ることにしました。

 6日は市内の幼稚園や小中学校が休みとなりましたので暇を持て余している孫たちを近くの公園で遊ばせていました。
同じような子供たちが沢山いて、中に孫たちの友達もおり、夕方まで楽しく遊んでいました。
夕食を食べていると息子の家は午後7時過ぎに電気が復旧しました。
これで、ライフラインがすべて復活したことになり。普通の生活がおくれるようになりました。
しかし、我が家に帰るとまだ停電が続いていました。

 翌7日になっても我が家の停電は続いています。
市内にあるコンビニやスーパーなどには食料品を買い求める人の列ができています。
しかし、カップ麺数個と水のペットボトル数本を売ってくれるだけです。
この程度の食料品を買うために並らばなければいけないほど困っているのか?不思議な気がしました。

 我が家の冷蔵庫には数日分は食いつなげる食品がストックされています。
好きな献立を作るわけにはいきませんが、とりあえず食べるものはあるわけですから焦って買いに行く必要はないのです。
また、スタンドにもガソリンを買い求める車の列ができています。
これも不思議な光景に感じました。
車を使い避難しなければいけない状況ではないと感じているからです。
まさに群集心理で食料品の買い出しやガソリンを買い求める行為をしているようにしか見えません。

 札幌での被害状況をみると、清田区(札幌市の西にある地域)で液状化現象により家が傾いたり道路が陥没したり波打ちひび割れなどの被害があるものの、その他の地域ではそれほどの家屋に被害は発生していません。
停電が続いているだけでガスが使え、水道も戸建ての住宅では通水しています。
冷静に考えれば清田区以外の地域だとそんなに慌てる必要のない状況だと思います。

 我が家も7日午後8時過ぎには電気も復旧しました。
これでライフラインがすべて復活したので地震前の生活がもどったことになります。


 しかし、胆振地方の厚真町などで震源地に近い地域は、大規模な地滑りが発生しており農家が何軒も飲み込まれた状況は報道されているとおりです。
未だ行方不明の方が20人ほどいます。
これらの方々が一日も早く発見されることを祈るだけです。

 また、胆振東部の町に対する支援をお願いします。
一番必要なのは、義捐金による支援です。
皆様支援をよろしくお願いします。

大峯山奥駈道を歩く・その5

2018-09-04 19:00:55 | その他の本州の山
5月13日

 持経の宿は居心地のいい山小屋でした。
朝4時に目覚ましが鳴るまでぐっすりと寝ることができました。
窓の外を見ると白く霞んでいます。
どうやら天気は下り坂のようです。
ここまで、携帯が圏外なので天気予報を確認することができなかったのです。

2日前に天気予報を確認したときには、雨の予報があったもののそれは昨夜の予報です。
今日も天気はまあまあのはずです。
しかし、崩れることも予想しながら今日の行程を考えます。

 昨夜考えたのは葛川辻辺りでビバークの予定でしたが、それをあきらめ行深仙小屋まで行くことにします。
そこで、水をどうするか考えました。
水場が遠いならここからボッカしてもいいかと考えました。
結局、4リットルの水を背負って歩くことにしました。

 6:10分、今日の行程は短いのでちょっと遅めの出発です。
    
    小屋の前の林道を少し歩き、左手の山道へ進みます。
 
 ガスガスの登山道を歩きます。
辺りは真っ白で神秘的な雰囲気です。
一登りして降ると平治ノ宿小屋が見えてきました。
7:00分、平治ノ宿です。
    

小さな小屋ですが、小屋の中はきれいに整理されています。
    

    
     小さな祠もあります。

 ここは休まず通り過ぎます。

    
    転法輪岳を通過します。

 鎖場も越えます。
    

 何ていう木か分かりませんが、花が地面に散っておりその白い花がきれいな模様となって心を和ませてくれます。
    

    
    こんな景色が心を洗ってくれます。

 少しずつ霧が深くなってきます。
歩いているとどこからか鈴の音が聞こえてきます。
最初は幻覚?かと思っていると、どんどん鈴の音が大きくなります。
後ろを振り返るとトレランスタイルの人が走ってきます。
登山道の脇に寄って先に行ってもらいます。

こんな所でトレランの人に会うとは思いもしませんでした。
どこからスタートして来たか考えてみましたが、分かりません。

 そうこうしているうちに怒田の宿跡に着きました。
    

 雨粒が大きくなってきます。
しかし、林の中ですので樹木の葉に覆われているため身体には雨が当たりません。
ムシムシする林の中を歩いていると行仙岳に到着です。

 9:25分、行仙岳です。
    

 鉄塔を超えると雨が本降りになってきます。
ここから行仙小屋までは25分くらいですので頑張って歩きます。

 9:45分、行仙小屋に到着です。
    
    とても立派な小屋です。

 誰もいない小屋だと思って戸を開けると小屋の中が温かいのです。
ストーブが炊かれ、小屋には男性がいました。
この男性が「新宮山彦ぐるーぷ」の梶野さんでした。

 雨はいよいよ本降りとなってきました。
ストーブの周りに雨具などの濡れた物をかけて着替えを済ませます。

    

    

 梶野さんは、トレランの選手たちのサポートをするために昨日からこの小屋に詰めているとのことです。
トレランの話を聞くと、奥駈け道を前鬼で1泊し、2日間で走りに抜けるイベントだといいます。
でも、マイナーな大会で例年の参加者も10名ほどと小さなイベントです。
今年は参加者が少なく5~6人とのことです。

 こんな大会があるとは思いもしませんでした。
先ほど抜いていった人もこの大会の参加者でした。
この後の選手が2名ほど来ましたが、雨がひどいのでトレランを打ち切ろうとしていましたが、この山の中ではタクシーを呼べる場所も限られるようです。
結局、この小屋から2時間ほど走らないとタクシーも呼べないようでした。

 お昼頃に梶野さんも下山してしまうと私一人になってしまいました。

 幸いにこの小屋は携帯が使えます。
小屋の西側の窓によるとアンテナが立ちます。
天気予報を確認してみると今夜まで雨が続く予報です。
しかし、明日未明には止むとのことですので停滞することにします。

 水は梶野さんが汲み上げた物もあります。
薪もタップリあり快適な小屋生活ができます。

今日は行仙小屋泊りを満喫することにします。

明日の行程をどうするか考えていました。
心は、明日は玉置神社まで歩いて今回の奥駈けを終えるつもりになってます。
玉置神社からは町に近すぎて林道などの歩きが多いような気がしています。
また、玉置神社での宿泊は困難なようであり、適当な宿泊先が探せないこともあります。
そこで、玉置神社から十津川まで降り、熊野本宮まではバスを使うつもりです。


 ☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★☆彡★

   この行仙小屋は、「新宮山彦ぐるーぷ」が建てた小屋のようです。
 小屋の建設許可については、あの塩じいーこと元塩川大蔵大臣が一役買っていたとの
 ことです。
 
  小屋の建設に当たっては、「新宮山彦ぐるーぷ」の皆さんが地均しから手弁当で
 行ったとのことです。
 その苦労の作業工程を写した写真などが小屋内に展示されていました。
 それらを見せてもらいながらヌクヌクとした時間を過ごしました。