井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

気のついたこと 2

2006-10-27 23:29:22 | カイラス巡礼・旅行記
自分自身のことで気のついたことがあります。

それは、この巡礼期間中も私が私であり続けられたということです。

英語が話せなくても気負うことなく日本にいるときと同じように
人に接し、人を思いやることが出来たのは新しい発見でした。

私を知る人が誰もいないところでも普段通りの生活が出来るとは
思いもしませんでした。

気負うことなく、萎縮することもなく、
困ったときには素直に助けを求め、
困っている人には手助けする。

こんな何でもないことですが、言葉が通じなくても
自然に出来たことは、新しい発見なのです。

初めての海外旅行だからこそ気づかされたことなのでしょう。

こういうことに気づいただけでも、行った甲斐があるというものです。

同時に、私の心の中にある日本的なものにも気づかされました。

これも収穫の一つです。

気のついたこと!

2006-10-21 22:08:22 | カイラス巡礼・旅行記
 ここからは、初めての海外旅行で気の付いたことを
いくつか書いてみたいと思います。

その1 日本人的なもの

今回の旅を通して、私がいかに日本人であるかということを
思い知らされました。
それは、日本人は相手の立場のことを考えすぎてしまうという点です。

たとえば、名前のことでも日本では「姓・名」であるはずのものを
外国では「名・姓」に置き換えていうことなどが普通に行われています。
でも考えてみてください。
中国人は他国で姓・名を逆にして伝えているのでしょうか?
韓国人は?インド人は?どうなんでしょうか?

 今回の旅では、日本語が通じないことを考えて英語で話そうとしている
自分に気がつきました。
これこそが日本人的な発想なのでしょう。

なぜなら、インド人のおばさんは堂々と私にヒンデゥー語で
話しかけてきますし、チベットの運転手さんもチベット語で話してきます。
フランス人のミッシェルも最初はフランス語で話しかけてきます。
なぜ、日本人だけが相手の言語で話しかけようとするのでしょうか。

これこそが、日本人的な思考の底にあるものの現れだと思います。
一度も日本を出たことのない私にもそういう日本人的な思考を取ることが
すでにイン・プットされているのです。

これを変えることが出来なければ、真の日本を理解してもらうことは
難しいと思いました。


その2 中国(台湾)の若者 

 バンコクの空港でトランスファーの時間潰しにワールドカップの
ライブ映像を見ていました。スイスがどこかの国と戦っているゲームです。

 この放送を待合室で見ていると私に話しかけてくる中国人(台湾)の
若者がいます。
「メイアイ・・・・」と話しかけてきたのですが、
どうやら私の隣に座っている友達と一緒にテレビを見たいので、
私に通路の向こうの席に変わってほしいと言っているようです。

 待合室でテレビを見ているのはほんの数人で、私の周りもガラガラです。
そんなところでこのように席を譲ってほしいといってくるのは失礼だと思い、
「ノー!」とだけ答え知らない顔をしています。

すると、話しかけてきた若者は私の横にいる友達の隣に座り
ノートPCを開きそれを見ながら話しています。

 中国といえば年長者を大事にする国だと思っていました。
その国の人間が、自分の欲求を満たすだけのためにガラガラの待合所で
自分勝手な考え方で席を譲らせようとする感覚が理解できません。

この中国人は私が日本人だからこのようなことを言ってくるのでしょうか?

「舐められるな日本人!」
  
こんな理不尽な要求を受けてはいけません。
 もっと毅然とした態度を取りましょう。

同時に、中国の若者!、君の国は年上の人に敬意を払う国ではなかったのか?
こんな考えしかできないと誰にも相手にされなくなるぞ!

「おごるな中国の若者!」


その3 日本人の若者

 さて、バンコクから関空までの機内でのことです。
私の後ろの席に中年の女性が座っています。
その女性が自分の子供の席のことで話している声が聞こえてきます。

子供の席が3人席の真ん中なので通路側の席に変わってもらったらどうだと
いっています。その方が、トイレなどに行くときに便利だからと話しています。
子供の声は小さくて聞き取れませんでした。

私は、小さな子供が一緒だと思ってこの話を聞いていたのですが、
関空について荷物を取るときにこの子を見ると、
何と20歳過ぎの女性ではありませんか。

20歳過ぎの女性のトイレを心配して通路側に変わったらなどという
お節介な母親がいることが信じられません。
20歳過ぎた成人女性にこんなことまで心配して口に出さなければ
いけないことなのでしょうか?

 日本の子供よ、ネパールやチベットでは4歳5歳の子供でも
労働力として当てにされ、荷物を持って稼いでいる子供が沢山いるのですよ。
成人しているのにこんなに甘やかされてどうなるのですか?

そんなに干渉させないでもっと自立しなさい。

 そのほかにも幾つか、自分自身の中にある日本的なものに
気付かされた旅でした。

初めての海外旅行が巡礼とはいささか無謀でしたが、
「問題ない君」の精神で何とか無事に帰ってくることが出来たのは、
幸運というほかないと思います。

 ここまで、私にブログにおつきあいをいただいた皆様に感謝します。

 ささやかですが、このブログがカイラス山の巡礼を志す方への
情報提供となれば幸いです。

 私も、またいつか、機会があれば、この山の麓に立ちたいと思っています。

日本へ!

2006-10-19 20:51:40 | カイラス巡礼・旅行記
 タクシーが空港に着きます。 
タクシーを降りようとすると荷物を持とうとする男の人がきますが、
「ノー!」といって荷物を自分で持ちます。
この人はタクシーから空港までのほんの少しの距離を運ぶだけで、
なにがしかのお金を要求してくるのです。
面倒ですので断って自分で荷物を担ぎサッサと空港の建物へ
歩いていきます。

 空港の建物にはいると薄暗くガラーンとしています。
さて、さて、タイ航空のカウンターで搭乗手続きをしなければなりません。
ゆっくりと空港の中を見渡します。
しかしそれらしいカウンターが見あたりません。

空港の奥の方へ行ってみると右手の方にそれらしいカウンターがあります。
タイ航空のマークが書かれたカウンタを見つけたので、
航空券とパスポートを渡します。
ここで大きな荷物は預けてしまいます。

搭乗手続きを終えると、係の男性が話しかけてきます。
どうやら航空税の支払いをしてきてほしいと言っているようです。
反対側を指さすので、パスポートだけを受け取ってその窓口へ向かいます。

ガラスで仕切られた小さな部屋に数人の人がいます。
窓口からパスポートを差し出すと「○○△×・・・?」といわれますが、
何を言われたのか分かりません。

航空税の金額だと思い財布から500ルピー札を出すと首を横に振ります。
もう一枚差し出すといらいらした様子で電卓を取り1700と打って
私に見せます。
私は、1700ルピーを支払い、領収書をもらいます。

 最初から電卓で示してくれれば良いのにと思いながら、
タイ航空のカウンターに領収書を差し出します。
 これで搭乗手続きは終了です。

 エスカレーターで2階に上がるとそこが待合所となっています。
思いのほかスムースに手続きが終わったので一安心です。

 ガラーンとした待合室で少しうたた寝をします。
 
 搭乗案内があったので手荷物検査に向かいます。
いかつい係員が手荷物を開けて念入りに見ています。
特に問題なく手荷物検査を終了します。

この時私の後ろにいた外人が私の手荷物のREIのロゴを見て
「REIは私も使っているけれどいいよ!」と話しかけられます。
私も「そうですね!」といって笑顔で返します。

 長い廊下を歩いて聞くとまた待合室があります。
ここが最後の待合室のようです。

 館内放送が入ると待合所の人が一斉に動き出します。
その人の波に付いていくと出口のドアが開き、目の前に駐機している
飛行機のタラップを上がって乗り込みます。
私の座席番号は後ろの方ですので、後ろ側のタラップを上がって
機内へ入ります。

 飛び立つ飛行機からカトマンズの街を食い入るように見ます。
田植えの終わった青々とした水田、大きな樹木に囲まれた煉瓦色の建物、
最後となる風景に別れを告げます。

 これで、ネパールとはお別れです。

 私の巡礼が最後の段階を迎えます。
あとは無事に日本の土を踏むだけです。


 無事に日本へ帰ることが出来ました。
バンコクで5時間ほどのトランスファーを経て関空には
6月20日の朝に到着しました。
札幌にある自宅に電話して予定通り帰国したことを伝えます。


帰国 ・空港へ!

2006-10-18 20:24:53 | カイラス巡礼・旅行記
6月19日

 朝食のために1階にある食堂へ行くと見慣れぬインド人で一杯です。
どうやら、私達のようにツァーをする新しいグループのようです。

ゲリーが私のお土産を買う買い物につきあってくれると言います。
簡単に朝食を済ませて歩いてタメル地区へ買い物に出かけます。

 お土産にしようと思ったのは刺繍のある布製のバックです。
肩から提げるベルトの付いているバックを妻や娘、それからお世話に
なっている人達へのお土産にするつもりでいます。

 8時過ぎにタメルに着きましたが、ここでは、もうお店が開いています。
中心部に向かって歩いていくと間口は狭いのですがいろいろなバックを
売っているお店があります。

そのお店でバックを見ていると、店のおじさんが、こっちへ来いと
合図して店の奥へ誘います。
店の奥へ行くと裏口からでてしまいます。

小さな庭みたいなところを通りバックが一杯壁に掛けられている部屋に
案内されます。
ここの壁に色とりどりのバックが掛けられているので
ほしいバックを捜します。

気に入ったバックを見つけたので次は値段の交渉です。
おじさんが卓上計算機で500と打ちます。
これは500ルピーのことですので日本円で約700円ほどでしょうか。

私は、その計算機で400と打ちます。
おじさんが首を横に振って、480と打ち直します。
何回か計算機上で値引き交渉をして、結局、1個450ルピーで
交渉がまとまりました。

このバックを8個ほどかって3千百ルピーを払います。
 これで一番大変な買い物が終わったので、ゲリーと日本食の店「桃太郎」へ
入ってコーラを飲んでからホテルへ帰ります。

 ホテルから飛行場へ向かおうとしてゲリーと一緒にロビーに降りると
グレゴリーとヴィジュヌーがいます。
どうやら私を見送りに来てくれたようです。

二人は昨晩から別のホテルへ泊まったようです。
どおりで、ゲリーが二人の部屋に電話しても繋がらないはずです。

ここで3人とはお別れです。
ゲリーはもう少しカトマンズにいるようですが、
グレゴリーとヴィジュヌーは明日カトマンズを離れると言っています。

私は3人とそれぞれ握手をして、タクシーに乗ります。
ホテルの玄関で手を振って見送ってくれる3人とはこれでお別れです。

あとはいよいよ日本へ向かって帰るだけです。
タクシーがカトマンズの雑踏の中をクラックションを
けたたましく鳴らしながら走っていきます。
なぜか、このけたたましい無法地帯のような交通事情が
急に愛おしくなってきます。

この雑踏ともしばらくお別れかと思うと無性に別れがたく寂しくなってきます。


無事にカトマンズへ・・・!

2006-10-17 19:04:34 | カイラス巡礼・旅行記
 やっとネパールへ戻ってくることが出来ました。
でも、嬉しい気持ちはしません。
この先も何があるか分からないので、まだまだ油断は出来ません。

 昼食が用意されているレストランへ行きますが、
インド人の人達で一杯です。
座る場所がありません。

仕方がないので違う店へ行きます。
ここではコーラーを飲んで一息つきます。
時計の時刻が変わっていることに気がついたので、
ここでネパール時間に時計を合わせておきます。

 バスに乗るために道を下っていきます。
目印はエコトレックのダッフルバックを担いで降りていく人達です。
彼らの後ろを歩いていくと100メートルほど下ったところに
私達の乗るバスが止まっています。

ここまで、ネパール人の女性や子供達が荷物を担いで運んできます。
小柄で細い女性が20キロもあるプロパンボンベを一人で運んできます。
また、まだ5~6歳にしか見えないような子供でもインド人のおばさんの
手荷物を持って降りてきます。

彼らは、この荷物を1個運んでいくらの収入を得るのでしょうか?
小さな子供は荷物を引きずるように頑張って運んできます。
荷物を降ろすと大きな息をして、また、歩いてきた道を戻っていきます。 

14:00分、満員のバスがゆっくり動きます。
バスの中は人息れで暑いのですが、窓を開けて外の風を入れると
少しは和らぎます。

少し下ると渓谷の斜面に段畑が見えてきます。
トウモロコシが枯れかかっていますので、収穫が終わったようです。
でも、下の方の畑では田起こしをしているようですので、
これから田植えのようです。

 途中の集落では大きな集会が行われています。
どうやらマオイストの集会のようです。
かなりの人が集まっていることから、マオイストの勢力は確実に
住民の支持を受けているのでしょう。

 しばらく走って大分下ってきました。
川を渡る橋がある街へ来ましたが、ここは来るときマオイストに
バスを止められた街です。

街を通り抜けるかと思うと、また、バスを止められます。
バスに乗り込んできた男を見ると、あの若い少年のような男でした。
どうやら、また通行料の交渉のようです。

バスが道の横に止まって運転手が車から降りてしまいました。
道路の横でマオイストの男と何か話しています。
マオイストの男がケイタイ電話でどこかと話をしています。
長くなりそうです。
ミッシェルやジョーがバスを降りて涼んでいます。

バスの中は風が入らず暑いのですが、我慢して外に出ないようにしていました。
20~30分ほどして、バスの運転手がようやく運転席に戻ってきます。
ようやく、バスが動きます。

バスの窓を全開にして風を車内へ入れます。
やっと涼しい風が入り、身体にまとわりついている熱気を払ってくれます。

バスが山肌を登っていきます。
周りの段畑には稲が植えられているところが多くなってきます。
ネパールのこの季節は、田植えの時期なのでしょう。
この緑色を目にしながら、暑さと疲れのためうつらうつらと寝てしまいました。

 しばらくして目を覚ますとカトマンズの市街に入ってきたいるようです。
道路の交通量がドンドン増えてきています。

あの、交通ルールのないような追い越し合戦が始まっています。
少し走ると前方が渋滞しているようです。
バスの運転手がUターンして脇道を抜けるようです。
郊外を走っていると煉瓦工場が数軒目に入ってきます。
ここで作られた煉瓦がカトマンズで使われているのでしょう。

飛行場の脇を走り、しばらくするとやっとホテルへ着きました。
ホテルの入り口を入るときバスの中から歓声が沸き起こります。
インド人に人達か声をそろえてかけ声のような言葉を発しています。

19:00分、ホテルギャンジョンに到着です。
部屋に荷物を入れると早速シャワーを浴びることにします。
食事はそれから食べることにしてゲリーが先にシャワーを使います。
私はこの時間を利用してホテルの隣にあるスーパーへイラムティーを
買いに行きます。
ほしい数がそろわなかったので、明日の朝までに用意してもらうことにしました。

 ゲリーのあとにシャワーを使います。
頭から温かい水を浴びると疲れが水の流れと一緒に身体から
取れていくような感じがします。
あ~あ!やっとネパールへ帰ってきたんだ!

ホテルのシャワーを浴びていると、本当にこの旅が終わったんだという実感で
頭の中が一杯になり、目頭が熱くなってきます。
良かった、無事に帰ることが出来たんだ。
その思いが、心の中を駆けめぐっていきます。

 今晩はベットで真新しい白いシーツに包まれて寝ます。
カトマンズの夜はチベットとは違って暑いです。
下着だけで寝るのは久しぶりです。
シーツの中で思い切り背伸びをすると身体のあちらこちらで
軋むような感触があります。
今晩はゆったりと手足を伸ばして寝ることが出来ます。
今晩はこんなことだけで幸せな気持ちになれるのです。

ネパールの入国管理事務所で・・・

2006-10-16 20:00:43 | カイラス巡礼・旅行記
  グレゴリーの番が来ます。
グレゴリーも申請書に写真を貼っていません。
係官がグレゴリーのパスポートと申請書を見て何か話しかけますが、
グレゴリーが何も言わないのです。

どうしたのかと思ってグレゴリーの顔を見ると彼は自分の口を指さして、
カウンターの上にある紙に何か書きます。
どうやら口がきけないと言っているようです。

さらに係官がグレゴリーに話しかけますが、グレゴリーは
知らない顔をしています。
どうなるか、じーっとこの様子を見ていると係官が仕方がないという
ような顔をしてパスポートの裏にスタンプを押してから
顔でグレゴリーに左手の部屋へ行くように合図します。
グレゴリーはちょっと首を折って係官にお礼をします。

結局、グレゴリーは1円も払うことなく入国の手続きを
終えたことになります。
 
これにはちょっとビックリしました。
と同時に、グレゴリーのしたたかさに脱帽です。
さすが旅慣れたグレゴリーです。
私はこの目の前で起こったこのグレゴリーのしたたかさを生かすために
私も頑張ることにしました。

私の番が来たのでパスポートと申請書を係官に渡します。
係官が申請書を見て写真が貼られていない申請書を私に見せながら
「ピクチャー」といいます。
私は、「ノー!」といって黙っていました。

何回か係官が私の顔を見ますが知らない顔をしていました。
すると係官がぶつぶつ言いながらパスポートにスタンプを押します。
お金も要求されません。

私は心の中で「ヤッター!」と叫びましたが、そのことを顔には出さずに、
係官がパスポートを返してくれて左の部屋に行くような仕草をしたので
「サンキュー!」といってそちらへ行きます。

左手には小さな部屋があり、その部屋一杯に据えられている大きな机に
若い事務官が座っています。
彼がこの事務所の責任者なのでしょう。

電話を掛けながらビザに押されたスタンプのところに彼がサインをします。
これで入国手続きが終了しました。

事務所の外で先に手続きが終わっていたゲリー達3人と握手をします。
そしてゲリーから借りた15ドルを返します。

 さて、さて、グレゴリーの荒技には感心してしまいました。
これが西欧人のしたたかなところなのでしょうか?
私には真似の出来ないことです。

こういったことが出来るのはグレゴリーにはいろいろな経験が
あるからこそかもしれませんが、口がきけない振りなんて
なかなか出来ることではありません。
ウーン!人種の違いかな?

入国管理官事務所で不思議な光景を目にしました。
それはカウンターに並んで待ったいるときのことなのですが、
ビザ発給の時にゲリーが払った15ドルは机の引き出しに
入れられました。

その引き出しには他の人が支払ったお金も入れられています。
係官がそのお金を取り出して数えると無造作に自分のワイシャツの
ポケットに入れて部屋を出て行ってしまいました。
ビザ発給のお金は公金のはずです。

そのお金をこのようにポケットに入れてしまうことにビックリしました。
まるで自分のお金のような扱いをしているからです。
ビザ発給のお金に公金という意識がないのでしょうか?

いよいよ、ネパールへ!

2006-10-14 19:15:00 | カイラス巡礼・旅行記


ザングムの街です。いよいよこの街ともお別れです。

 ザングムの町から15分ほどで国境へ到着です。
ここでウェイさんとは本当にお別れです。
グレゴリーが私達4人からの気持ちだといって封筒に入った
お金を渡します。
ウェイさんが嬉しそうな顔をして受け取ってくれます。

ウェイさんと最後の記念写真を撮ります。

 友誼橋の手前にある検問所では、何を確認するでもなく
簡単に通してくれます。
4人で友誼橋を渡ります。
これでチベットとはお別れです。
 感傷に浸るまもなくネパール側の入国管理事務所へ行きます。

実はネパール側の入出国管理事務所の存在を忘れていました。
入国するときには道路の反対側にあるゲートをくぐって入ったために、
この事務所には立ち寄らなかったのです。
インド人はビザがいらないので素通りしていきます。

私達のようにインド人以外の外国人はここで再入国手続きを
しなければいけません。
部屋の中で手続き中の人がいるのでその様子を見ていると、
パスポートを見ただけで裏面のビザ欄にスタンプを押す人と、
ビザの申請書を渡される人がいます。

どう違うのか分からないのですが、パスポートを係官に渡さなければ
どちらになるか分かりません。

私のパスポートを見た係官がビザの申請書をくれます。
さて、さて、この申請書は東京のネパール大使館へ送ったビザの申請書と
同じものなのですが、何を書いたのか忘れているところがあります。

ゲリーが書いたものを見せてもらいながら何とか書き上げます。

 この申請書には写真を貼る欄があるのですが、私は写真を持っていません。
写真は、パスポートが盗まれたりしたときのために用意していたのですが、
大きな荷物の方へ入れてありますので、今は持っていないのです。

どうしようか考えたのですが、ゲリーも写真を貼っていないので
とりあえずこのまま係官へ渡すことにして列に並んでみることにします。

 ゲリーの順番になりパスポートと申請書を係官に渡すと、
案の定、係官が「ピクチャー!」といって写真が張ってないことを
指摘します。
ゲリーが何か言っているのですが何を言っているのか聞き取れません。

結局、ゲリーが15ドル払うことになりそれで入国管理の
手続きが終わります。
最後のサインをもらうために左側にある小部屋にいる人の方へ
行くように指さします。

ミッシェルも、ユーロで支払いをしています。
写真がないことに対するペナルティーで15ドルの支払いがいると
思った私は、別室でサインをもらってきたゲリーから15ドルを借ります。


また、また国境です!

2006-10-13 19:50:34 | カイラス巡礼・旅行記
9:30分、ニャラムの町とお別れです。

 大渓谷をドンドン下っていきます。
狭い道ですのでトラックなどが登ってくるとすれ違うのが大変です。
そういったときにはお互いに交わせる場所で待機し合います。
この辺の呼吸は見事としかいいようがありません。

 1時間ほど下るとザングムの町に着きます。
ザングムの町はニャラムからの車で渋滞しています。
狭い道ですのでなかなか下へ降りていくことが出来ません。

 国境の事務所前へ来るのに30分はかかったでしょうか。
事務所前にはすでに2百人ほどの人が待っています。
さてさて、ここで出国事務を終えるのにいくら時間がかかるか
分かりませんが、ただただ流れに身を任せるしかありません。

入出国管理事務所の前で記念写真です。
エコトレックのシェルパの人達とインド人のおばさんです。
このおばさんは人なっこく、楽しい人でした。

来たときと同じようにグループごとに出国手続きを取ります。
今回はエコトレックのグループも一列になって並んで待っているのですが、
横入りをしようとする人達もいて騒然とした雰囲気になってきます。

警備兵に横入りをとがめるように言うのですが、
さっぱり効き目がありません。
またしてもグチャグチャの中でやっと出国審査の窓口にきます。

パスポートを渡すとコンピューターに名前を入力しているようです。
パスポートの顔写真と私の顔を何回か見較べてパスポートを返してくれます。
これで出国管理の手続きが終わります。

やれやれと思ったら、今度は防疫の手続きです。
こちらが、またまた、手際の悪さから係官が怒ってしまいました。
どうやら私の前で審査しているマリアのパスポート番号と
提出している名簿のパスポート番号が違うと言っています。

係官が怒って私達の名簿を後回しにしようとします。
ヴィジュヌーがエージェントのブダイを呼びます。
何人かが「ブダイ!ブダイ!」と呼ぶと、ブダイがやってきて
事務所の係官と話を始めます。

怒っている係官をなだめてやっと事務が再開されます。

 結局、出国事務の手続きを終えるのに2時間半ほどかかってしまいました。
それから、ランクルを捜しながら坂道を歩いて下ります。

ランクルは木陰に止められており、そこでみんなが来るのを待ちます。
30分ほどでみんながそろったようです。
ようやく、ランクルに乗って国境へ向かいます。

さようなら!ニャラム!

2006-10-12 19:22:09 | カイラス巡礼・旅行記
6月18日

 今日はいよいよチベットを離れる日です。
ニャラムの天気は上々です。さてさて、中国からの出国は
どうなるのでしょうか?
ネパールへ入国するまで気が抜けません。

 私は、ウェイさんやエコトレックの若いポーター君達に
何かプレゼントをしたいと思っていました。
 ウェイさんには、ビクトリノックスのナイフを
プレゼントすることにしました。

そして、ポーター君達には私が来ていた登山用のシャツと
薄手のフリース、それに帽子をプレゼントしようと思い
準備してました。

 ウェイさんにはランクルの前でちょうどウェイさんが
一人でいるときに渡します。
他の人達がどうするか分からず、私一人がプレゼントするなら
他の人達のいないところで渡した方が良いと思ったのです。

ウェイさんに、「これを!」といった顔で差し出すと
プレゼントだということが伝わったようです。
嬉しそうな顔で受け取ってくれました。

その時、後ろでゲリーがこの様子を見ていたのです。
ゲリーが「MIKO、ナイス!」といって、親指を立てます。

 ポーター君達は仕事が忙しいのかなかなか姿を見せません。

部屋に戻って荷物をまとめているとグレゴリーが私に封筒を渡します。
何かな?と思って受け取ってみると、どうやら、外国人グループで
エコトレックのスタッフへ感謝のプレゼントをしようと
いうことのようです。
封筒にはお金が入っています。

グレゴリーが、「自分の気持ちで良いよ!」といったので、
財布から小額の紙幣を取り出して全部その封筒へ入れます。

 窓の外から駐車場となっている下を見るとウェイさんが
私がプレゼントしたナイフを手にして他の運転手に見せています。
とても嬉しそうな顔をしているので、このプレゼントを
本当に喜んでくれているようです。
私にとってこの笑顔はとても嬉しかったです。

私がウェイさんやエコトレックのポーター君達にお金でなくて
形のあるものを残したかったのは、チベットから離れがたい気持ちから
でたものだと思います。
私かこの地にいた証として何かを残しておきたかった。
ウェイさんに贈ったナイフは、ウェイさんが大事にしてくれる限り
この地に残ります。
そして、ウェイさんの記憶の中にこのナイフの贈り主である私のことが
少しでも、思いとして残ることを望んだからです。
ウェイさんの喜んでいる姿を見たとき私の願いが叶ったと思いました。
これで思い残すことなく、このチベットを離れることが出来ます。

 駐車場でランクルに荷物を積んでいるとリタさんが話しかけてきます。
リタさんからは、「今度ネパールへトレッキングなどで来ることがあれば
是非ガイドとして雇ってほしい。」といわれました。

私も、「日本語が堪能なリタさんと是非一緒に歩きたい。」と話し、
名刺をもらったので日本へ帰ったらメールすることを約束しました。
横にいたガイドに二人の写真を撮ってもらいます。

左側の人がリタさんです。
このブログを見ている方でネパールへトレッキングなどに行こうとしている方が
おりましたら紹介しますので、ぜひ、リタさんにガイドを頼んでみてください。
そのときには、私にメールをお願いします。

 エコトレックのスタッフは、このニャラムで新しい客を
受け入れるようです。
ポーター君達へのプレゼントを渡していないのですがランクルが
出発してしまいます。

左右の窓を見ながら私がプレゼントをしようとしたポーター君を
見つけましたので、それぞれ窓から呼んで手渡しします。
やっと、プレゼントを渡すことが出来ました。

ランクルがニャラムの街を走り抜けます。
さて、さて、この街に再度来ることができるのか?
「神ぞのみ知る!」です。


帰路・ニャラムへ 4

2006-10-11 21:05:53 | カイラス巡礼・旅行記




ニャラムへの途中にある峠です。
マニ車が風邪の力で回りように風車が取り付けられています。



 ニャラムの手前でミネレパが終業をしたというお寺を見に行きます。
道路から谷に沿った斜面を下っていきます。
その時、目の下には段畑の水田が谷の奥まで広がり、
その先には白銀の峰が輝く光景に出会いました。

谷に沿った段畑は緑一色で生命感にあふれていますが、
そこからほんの少し離れただけで植物の育たない茶色の
岩だらけの大地が広がります。
この光景を見て、これこそ桃源郷ではないかと思いました。


 ニャラムの街に着きましたが、今回泊まるのは3階立ての招待所です。
ヴィジュヌーがトイレから帰ってくると、ここのトイレは水洗だと言います。
私も見に行きましたが、本当に水洗トイレでした。

トイレの仕切りは胸ぐらいの高さかありませんが、1個1個が仕切られており、
今までのトイレと格段に違います。
でも、部屋の方は昨夜泊まったサガの方がきれいで気持ちが良かったです。

 今晩の夕食は、4人で街へ食べに行くことにしました。
実は、前回泊まった宿の隣にある食堂で手延べ麺を出しているのを
見ていたのです。
この麺を食べるために食堂へ行くことになったのですが、
食堂へ行ってみると丼の麺ではなくてスパゲッティーのような
麺であることが分かりました。

そこで、いろいろなメニューがありそうな神山食堂という食堂へ
行くことにしました。
2階へ上がり食堂へはいるとエコトレックのスタッフが2人で
麺を食べています。

私達も同じような麺を頼むことにして、私はヤクヌードルを頼みました。
まずはビールで乾杯します。
サガで飲んだのと同じような軽いビールです。
アルコールが適度に回ってくると気持ちが良くなってきます。

私はもともとお酒は弱い方ですが、それでも、大瓶1本を飲んでしまいました。
ヤクヌードルはヤクの干し肉を戻したものがのっています。
ヌードルは、日本で言うと乾麺のうどんのようなものですが、
適当にダシが利いて美味しかったです。
辛みがないのが一番でした。
でも、丼の中に野菜らしいものはほとんどありませんでした。

 今晩も立派な宿ですので気持ちよく寝ることが出来そうです。