九月とともに、神戸は涼しくなったようですね。ここんところ風も涼しく過ごしやすい気候になりました。そんな中、8月になってから、毎日ウォーキングに励んでいます。まあ、歩けない日もあるんですが、毎日一時間弱歩いています。加えて、8月下旬から昼ご飯を、パン1個とかとこれまでとは違ってかなり小食にしました。メタボリック対策でもないのですが、少し痩せたいなあと思いまして…。しかし、そんな毎日を送っているのですが、体重はほとんど変わらないのですね。なんでですかねえ。まあ、何時まで続くか分かりませんが、頑張ります。
ウォーキングの最中、iPodで音楽を聴いているんですが、そこで、チャイコフスキーを聴きました。久しぶりに聴きましたが、久しぶりに聴くといい曲ですねえ、と思ってしまうのです。まあその分飽きっぽいですが。それとたまに顔を見せるロシアの土臭さもいいときもありますが、辟易としてしまうときも少なくないです。昔から一番よく聴いたのは交響曲第6番「悲愴」でした。いい曲ですね。しかし、今回聴いたのは第5番です。彼の曲で、第1に挙げるのはこの曲でしょうか。これほど全曲聴かせどころが多く、親しみやすい曲もないと思えるくらいの曲ですね。
今回の演奏は、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルであります。チェリビダッケの演奏では、「悲愴」もあり、これがまた非常にテンポのゆっくりといたもので、それのあと5番を買いました。その5番、これまたテンポがゆっくりで全曲が55分ほどかかります。普通は40分台の後半ですから、速い演奏に比べると10分も遅いのですね。このテンポのゆっくりというのは曲者です。最近私は、遅くゆっくりと旋律をうたわせると、それにはまってしまって、普通のテンポの曲を聴くと、何をせかせかしてんねん!、と思ってしまう。チェリビダッケの演奏は、特に晩年のミュンヘンフィルとのEMIから出ている演奏は、テンポが遅いのです。
遅いのを好ましく思う私には、なんとも魅力的なんですね。しかし、この遅さは、作曲家が楽譜に書いたものとは違う場合もありますから、いいのか悪いのか微妙であります。
しかし、この演奏はほんとに聴かせますね。最初のクラリネットからたっぷりと美しい旋律をうたわせてくれます。それから、一時間近くチャイコフスキーの美しい旋律をこれでもか、ゆったりと聴かせてくれます。第1・第2楽章ともに木管がきれいで、それを弦がしっかりと受けとめていますね。この二つの楽章がいいです。そしてワルツを経ての第4楽章では大いに盛り上がり、曲が終わります。チャイコフスキーの曲がよく分かり、一時間ずっと耳を傾け、曲に浸りきってしまう演奏です。
ウォーキングの最中、iPodで音楽を聴いているんですが、そこで、チャイコフスキーを聴きました。久しぶりに聴きましたが、久しぶりに聴くといい曲ですねえ、と思ってしまうのです。まあその分飽きっぽいですが。それとたまに顔を見せるロシアの土臭さもいいときもありますが、辟易としてしまうときも少なくないです。昔から一番よく聴いたのは交響曲第6番「悲愴」でした。いい曲ですね。しかし、今回聴いたのは第5番です。彼の曲で、第1に挙げるのはこの曲でしょうか。これほど全曲聴かせどころが多く、親しみやすい曲もないと思えるくらいの曲ですね。
今回の演奏は、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルであります。チェリビダッケの演奏では、「悲愴」もあり、これがまた非常にテンポのゆっくりといたもので、それのあと5番を買いました。その5番、これまたテンポがゆっくりで全曲が55分ほどかかります。普通は40分台の後半ですから、速い演奏に比べると10分も遅いのですね。このテンポのゆっくりというのは曲者です。最近私は、遅くゆっくりと旋律をうたわせると、それにはまってしまって、普通のテンポの曲を聴くと、何をせかせかしてんねん!、と思ってしまう。チェリビダッケの演奏は、特に晩年のミュンヘンフィルとのEMIから出ている演奏は、テンポが遅いのです。
遅いのを好ましく思う私には、なんとも魅力的なんですね。しかし、この遅さは、作曲家が楽譜に書いたものとは違う場合もありますから、いいのか悪いのか微妙であります。
しかし、この演奏はほんとに聴かせますね。最初のクラリネットからたっぷりと美しい旋律をうたわせてくれます。それから、一時間近くチャイコフスキーの美しい旋律をこれでもか、ゆったりと聴かせてくれます。第1・第2楽章ともに木管がきれいで、それを弦がしっかりと受けとめていますね。この二つの楽章がいいです。そしてワルツを経ての第4楽章では大いに盛り上がり、曲が終わります。チャイコフスキーの曲がよく分かり、一時間ずっと耳を傾け、曲に浸りきってしまう演奏です。
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