『鎌倉殿の13人』、毎週見ています。三谷さんの作品っておもしろいですねえ。それぞれの人間描写が実に鋭い。中間管理職みたいな北条義時はどう支配者に成長するんですかね。頼朝の人間らしい苦悩もいいし、ワル義経もおもしろい。八重が義時の妻となるのには驚きましたが、そんな伝説があるらしいですね。まったくのフィクションではない。しかし、上総介広常が成敗されましたたが、これから梶原景時、畠山重忠、和田義盛、比企能員など、有力御家人が滅ぼされていきますね。いやいや大変であります。ほんとに大変。
そんな中、ロシアのウクライナ侵略は出口が見えませんねえ。マウリポリの攻防もどうなっているのか。黒海の北岸一帯をモルドバまで占領する目論見ですかねえ。犠牲者が増えるばかりで、早くなんとかしないとと思うばかりです。そんなこともあって、チャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調作品17『小ロシア』を聴きました。最近、チャイコフスキーってほとんど聴いていないので、どれほど振りだろうと思うのでありました。なぜこの曲を。それは言うまでもなく小ロシアとはウクライナのことだからでありました。私がこれを聴いたからってどうなることでもないのですがねえ(笑)。
チャイコフスキーの交響曲の6曲の中、1~3番ってあまり演奏されないですねえ。4~6番に比べると、ロシアの色合いが強く、個性も強い。その分親しみ安さはあるのですが、飽きっぽいのであります。この2番も、3つのウクライナ民謡を引用しており、親しみやすい。そのことから、モスクワの著名な音楽評論家ニコライ・カシュキンから、「小ロシア」という愛称を進呈されることとなったのですね。
この曲、いろんな演奏があります。以前にスヴェトラーノフの東京でのライブ演奏を取り上げましたが、今回はカラヤンによる演奏。カラヤンは悲愴を中心に4~6番は幾度か録音していますが(幾度どころか悲愴に至っては7回でしたか)、1~3番は、1977~79年の録音が唯一のものですかね。実際には実演での演奏はないそうです。全集を作る目的だったんでしょうかね。カラヤンの演奏って、最近はあまり話題にならないし、私もほとんど聴いていないのですね。去る者日々に疎しですかねえ。
そうは言うものの久しぶりに聴くカラヤンとBPOの演奏、大したものであります。1979年といえば、前年に脳梗塞を患ったのですが。その影響は感じられないですね。からヤンはチャイコフスキーは得意にされており、この演奏でも自信に満ちた、実に堂々とした演奏を展開しています。やはりBPOとは、細部に至るまで緻密であり、また豪快なオーケストラの響きは実に爽快でもあります。このような曲の難しさは、曲のもつ民族性云々がありますが、まあそんな土臭さとは無縁のもので、それが聴きたいという向きは、ロシア系の演奏を聴けばいいのですよね。カラヤンは彼の絶対音楽的な演奏であり、それをどれだけ受け入れるかということでしょうね。
第1楽章、冒頭からウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」をホルンが歌う。それから進む中でBPOの揺るぎない、そして引き締まった演奏に耳が釘付けされる。そして勇壮な第2楽章でも弦が力一杯奏で、それが怒涛のように感情を高ぶらせる演奏。第2楽章、一転して援徐楽章かと思えば、まあ堂々とした佇まい。中間部の民謡「回れ私の糸車」も含めて感傷的ではなく、スケールの大きさは驚くほど。第三楽章スケルツォ。やはりBPOの弦の充実振りが遺憾なく発揮。低弦と金管の迫力はさすがです。 久々に聴くと、やはりすごい。そして第4楽章。これまでの演奏に加えて、一層の迫力と威力で終楽章を大団円に向かって駆け上がっていく。時折の優しさも含めながら、それでも有無を言わせぬ勢いと引き締まった響きがとても凄まじいです。カラヤンとBPO、立派ですね。
今日は佐々木朗希くん登板でしたが、勝ちはつきましたが、これまでほどではなかったですね。まあ、いいときばかりではないでしょう。しかし、球審が感情的になってはね。大人げないですね。それとバファローズのユニフォームってたくさんありますねえ。あまりに変わりすぎて、すこし戸惑いますね。
(DG 459 518-2 2002年 輸入盤)
そんな中、ロシアのウクライナ侵略は出口が見えませんねえ。マウリポリの攻防もどうなっているのか。黒海の北岸一帯をモルドバまで占領する目論見ですかねえ。犠牲者が増えるばかりで、早くなんとかしないとと思うばかりです。そんなこともあって、チャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調作品17『小ロシア』を聴きました。最近、チャイコフスキーってほとんど聴いていないので、どれほど振りだろうと思うのでありました。なぜこの曲を。それは言うまでもなく小ロシアとはウクライナのことだからでありました。私がこれを聴いたからってどうなることでもないのですがねえ(笑)。
チャイコフスキーの交響曲の6曲の中、1~3番ってあまり演奏されないですねえ。4~6番に比べると、ロシアの色合いが強く、個性も強い。その分親しみ安さはあるのですが、飽きっぽいのであります。この2番も、3つのウクライナ民謡を引用しており、親しみやすい。そのことから、モスクワの著名な音楽評論家ニコライ・カシュキンから、「小ロシア」という愛称を進呈されることとなったのですね。
この曲、いろんな演奏があります。以前にスヴェトラーノフの東京でのライブ演奏を取り上げましたが、今回はカラヤンによる演奏。カラヤンは悲愴を中心に4~6番は幾度か録音していますが(幾度どころか悲愴に至っては7回でしたか)、1~3番は、1977~79年の録音が唯一のものですかね。実際には実演での演奏はないそうです。全集を作る目的だったんでしょうかね。カラヤンの演奏って、最近はあまり話題にならないし、私もほとんど聴いていないのですね。去る者日々に疎しですかねえ。
そうは言うものの久しぶりに聴くカラヤンとBPOの演奏、大したものであります。1979年といえば、前年に脳梗塞を患ったのですが。その影響は感じられないですね。からヤンはチャイコフスキーは得意にされており、この演奏でも自信に満ちた、実に堂々とした演奏を展開しています。やはりBPOとは、細部に至るまで緻密であり、また豪快なオーケストラの響きは実に爽快でもあります。このような曲の難しさは、曲のもつ民族性云々がありますが、まあそんな土臭さとは無縁のもので、それが聴きたいという向きは、ロシア系の演奏を聴けばいいのですよね。カラヤンは彼の絶対音楽的な演奏であり、それをどれだけ受け入れるかということでしょうね。
第1楽章、冒頭からウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」をホルンが歌う。それから進む中でBPOの揺るぎない、そして引き締まった演奏に耳が釘付けされる。そして勇壮な第2楽章でも弦が力一杯奏で、それが怒涛のように感情を高ぶらせる演奏。第2楽章、一転して援徐楽章かと思えば、まあ堂々とした佇まい。中間部の民謡「回れ私の糸車」も含めて感傷的ではなく、スケールの大きさは驚くほど。第三楽章スケルツォ。やはりBPOの弦の充実振りが遺憾なく発揮。低弦と金管の迫力はさすがです。 久々に聴くと、やはりすごい。そして第4楽章。これまでの演奏に加えて、一層の迫力と威力で終楽章を大団円に向かって駆け上がっていく。時折の優しさも含めながら、それでも有無を言わせぬ勢いと引き締まった響きがとても凄まじいです。カラヤンとBPO、立派ですね。
今日は佐々木朗希くん登板でしたが、勝ちはつきましたが、これまでほどではなかったですね。まあ、いいときばかりではないでしょう。しかし、球審が感情的になってはね。大人げないですね。それとバファローズのユニフォームってたくさんありますねえ。あまりに変わりすぎて、すこし戸惑いますね。
(DG 459 518-2 2002年 輸入盤)
私、生まれ育ちが神奈川なものですから、鎌倉は少々詳しいです。幼少の頃、祖父に連れられて、鎌倉を散策しておりました。
まるで、つい昔のように、三浦一族の終焉を語る祖父を懐かしく思い出しています。皆さん一族滅ぼされるのです。最後は北条もですが。
恥ずかしながら、私、亀・八重姫を訪ねる頼朝を我が若年を回想し、反省の限りです。ほんと、恥ずかしいです。
佐々木君は素晴らしいです。異次元です。中学の野球チームに社会人が投げているようです。
ウクライナは心痛みます。私のやるべきことを模索するしかないです。一所懸命働いて税金を納めること、定期的に献血をすること、家族に反戦を訴えることなのでしょうか?
さて、小ロシアです。
私チャイコフスキーがクラシックの入門でした。映画音楽のようで、ダイナミックで楽しいです。子供の私は、心奪われました。
小ロシアについては、40年前に、スベトラーノフのLPを愛聴していました。オーマンディー盤もよいです。カラヤンの演奏は実は知らなかったです。カラヤンの4~6はいずれの全集も素晴らしいですが、1~3については、存じていませんでした。
小ロシアは、素朴で、少々騒々しいが印象です。
カラヤン盤を探し、じっくり聞いてみたいです。
ご教示ありがとうございました。
私の勉強不足で、なかなか、投稿ができませんでした。
今回は、はまりましたので投稿できました。毎月曜日の朝は楽しみにしています。
私はウェブ会議で何故か多忙です。本当は現場に行って、若い方と話をしたいのです。
新年度、何かと気ぜわしいですが、くれぐれもご自愛ください。