先日の兵庫県知事選挙。当選した前知事を支持するみなさん、どんどん増えていきました。なぜそれだけ支持されたのか。自分でいろいろ調べたら、マスコミは誤った報道ばかりであることに気が付いた。前知事は既得権益を切り崩した。公約達成率98%。改革を断行しようとしたため、嵌められた…云々。SNSでの波状攻撃のような記事や映像、そして反対勢力とされる人らに対する凄まじい攻撃。これらを見るとポピュリズム?この熱狂とも言える支持、どこかの国のことが思い出されました…。
まあ、それはさておき、今回はブルックナ。交響曲第7番変ホ長調であります。レコ芸なきあと、毎月拝読している『MOSTLY CLASSIC』。今年になって、6月と12月はブルックナー特集。あっ、そうか、今年はブルックナー生誕200年になるんですねえ。1824年にお生まれになった。この雑誌に連載されている小菅優さんの「弾く曲、聴く曲」。私は小菅さんのファンなので、いつも興味深く拝読しています。最近発売された1月号ではブルックナーの交響曲第7番が取り上げられていました。ここで小菅さんは、「間」の重要性をのべられています。そしてこの曲の演奏として、ジュリーニ・VPO盤やヨッフム・SKD盤に言及され、最も好きな録音としてフルトヴェングラーの1949年ライブをあげておられました。へー、そうなんや、ってところですねえ。
この曲の有名な演奏はたくさんありますね。シューリヒト、カラヤン、ヴァント、チェリビダッケ、マタチッチ、朝比奈さん、などなど。これまでいくつかの演奏を取り上げてきましたが、私が最もいいな、と思っているのは、クルト・ザンデルリンク指揮シュトゥットガルト放響の1999年リーダーハレでのライブ録音であります。ザンデルリングは2011年に98才で逝去されましたから、この演奏は87才のときのものですね。高齢ですねえ。そして、ザンデルリングのブルックナーの演奏は、それほど多くなく、1964年LGOとの3番、1994年バイエルン放響との4などがある程度かな、と思います。もっと演奏を残しておいて欲しかったものですね。
そしてこの演奏、まずは非常にゆったりとしたテンポ。全曲で71分ほど。先述のフルトヴェングラーは約62分、ヨッフムは約68分。最近の演奏ではティーレマンも約68分。やはりザンデルリング、冒頭から最後まで非常にゆっくり。それもあってか鋭角的なところはまったくなく、非常に穏やかに全編が進む。たいそう息の長いフレーズ。全曲実に丁寧ですべての音を慈しむように、やさしく大らかに、着実に歌い上げていきます。加えて、「居眠りして起きたけれど、まだ同じ音楽が流れていた」的なブルックナー評は、この演奏でも言えるかもしません。しかし、そんな演奏であるとしても、決してダレない、退屈しない。どころか永遠に続いて欲しい、と確信できる演奏なのでありました。ザンデルリング、最晩年の渾身の熱演であるます。それにシュトゥットガルト放響も同じく大熱演。このオケ、よく聞くがそれほどの印象はあるようでない、そんな感じでしたが、ザンデルリングのゆったりにもしっかり呼応。全曲を通じて派手さはありませんが、たいそう手堅い演奏。ドイツの伝統的なオケの底地方を存分に発揮していますねえ。
第1楽章、ゆったりと物静かに主題が歌われます。弦や木管が穏やかな響きで歌い上げ、それで実に生気に満ちた、伸びやかで、また祈りに満ちたフレーズ。これらが実によく心に染み込んでくる。これほど心が籠もった演奏があるだろうかと思う。決して先を急いだり、荒立てたり、虚勢を張ることなく、ザンデルリングの穏やかな心情とブルックナーの祈りの音楽がうまく融合して入魂の演奏であります。第2楽章ではそれが一層鮮明に。ゆったりと弦が奏でる永遠の世界。約25分の長丁場に耳を傾ける。その世界にとっぷりと身を委ねる至福の時間であります。シュトゥットガルト放響もこの息の長い演奏にしっかり浸かっていますね。第3楽章スケルツォ。力強いスケルツォ。中間部は再びゆったりと黙想の世界が戻る。しっとりとゆっくり語りかけてくれます。そして終楽章。ここでも第1楽章からの穏やかで深長な世界が続く。そして、この世界から抜けられなくなりそう。そんなことは無視するかのように続いていく演奏。この世界が次の次元に高められるような気持ちになりました。ザンデルリングとシュトゥットガルト放響の大熱演でありました。
職員の四割が見聞きしたパワハラ、達成と手をつけた公約98.8%が、パワハラはなかった、実現した公約98.8%。不倫が明らかになって自死、外国人参政権を認める対立候補などなど、ネットではいろんな情報が飛び交いました。見ていた私も、ああそうだったんか、と思わず思ってしまう。興味がわいて見ていると、そんな動画がどんどん出てくる!。ああ、恐ろしいSNSであります。
(Hanssler Classic CD93.027 1999年 輸入盤)
まあ、それはさておき、今回はブルックナ。交響曲第7番変ホ長調であります。レコ芸なきあと、毎月拝読している『MOSTLY CLASSIC』。今年になって、6月と12月はブルックナー特集。あっ、そうか、今年はブルックナー生誕200年になるんですねえ。1824年にお生まれになった。この雑誌に連載されている小菅優さんの「弾く曲、聴く曲」。私は小菅さんのファンなので、いつも興味深く拝読しています。最近発売された1月号ではブルックナーの交響曲第7番が取り上げられていました。ここで小菅さんは、「間」の重要性をのべられています。そしてこの曲の演奏として、ジュリーニ・VPO盤やヨッフム・SKD盤に言及され、最も好きな録音としてフルトヴェングラーの1949年ライブをあげておられました。へー、そうなんや、ってところですねえ。
この曲の有名な演奏はたくさんありますね。シューリヒト、カラヤン、ヴァント、チェリビダッケ、マタチッチ、朝比奈さん、などなど。これまでいくつかの演奏を取り上げてきましたが、私が最もいいな、と思っているのは、クルト・ザンデルリンク指揮シュトゥットガルト放響の1999年リーダーハレでのライブ録音であります。ザンデルリングは2011年に98才で逝去されましたから、この演奏は87才のときのものですね。高齢ですねえ。そして、ザンデルリングのブルックナーの演奏は、それほど多くなく、1964年LGOとの3番、1994年バイエルン放響との4などがある程度かな、と思います。もっと演奏を残しておいて欲しかったものですね。
そしてこの演奏、まずは非常にゆったりとしたテンポ。全曲で71分ほど。先述のフルトヴェングラーは約62分、ヨッフムは約68分。最近の演奏ではティーレマンも約68分。やはりザンデルリング、冒頭から最後まで非常にゆっくり。それもあってか鋭角的なところはまったくなく、非常に穏やかに全編が進む。たいそう息の長いフレーズ。全曲実に丁寧ですべての音を慈しむように、やさしく大らかに、着実に歌い上げていきます。加えて、「居眠りして起きたけれど、まだ同じ音楽が流れていた」的なブルックナー評は、この演奏でも言えるかもしません。しかし、そんな演奏であるとしても、決してダレない、退屈しない。どころか永遠に続いて欲しい、と確信できる演奏なのでありました。ザンデルリング、最晩年の渾身の熱演であるます。それにシュトゥットガルト放響も同じく大熱演。このオケ、よく聞くがそれほどの印象はあるようでない、そんな感じでしたが、ザンデルリングのゆったりにもしっかり呼応。全曲を通じて派手さはありませんが、たいそう手堅い演奏。ドイツの伝統的なオケの底地方を存分に発揮していますねえ。
第1楽章、ゆったりと物静かに主題が歌われます。弦や木管が穏やかな響きで歌い上げ、それで実に生気に満ちた、伸びやかで、また祈りに満ちたフレーズ。これらが実によく心に染み込んでくる。これほど心が籠もった演奏があるだろうかと思う。決して先を急いだり、荒立てたり、虚勢を張ることなく、ザンデルリングの穏やかな心情とブルックナーの祈りの音楽がうまく融合して入魂の演奏であります。第2楽章ではそれが一層鮮明に。ゆったりと弦が奏でる永遠の世界。約25分の長丁場に耳を傾ける。その世界にとっぷりと身を委ねる至福の時間であります。シュトゥットガルト放響もこの息の長い演奏にしっかり浸かっていますね。第3楽章スケルツォ。力強いスケルツォ。中間部は再びゆったりと黙想の世界が戻る。しっとりとゆっくり語りかけてくれます。そして終楽章。ここでも第1楽章からの穏やかで深長な世界が続く。そして、この世界から抜けられなくなりそう。そんなことは無視するかのように続いていく演奏。この世界が次の次元に高められるような気持ちになりました。ザンデルリングとシュトゥットガルト放響の大熱演でありました。
職員の四割が見聞きしたパワハラ、達成と手をつけた公約98.8%が、パワハラはなかった、実現した公約98.8%。不倫が明らかになって自死、外国人参政権を認める対立候補などなど、ネットではいろんな情報が飛び交いました。見ていた私も、ああそうだったんか、と思わず思ってしまう。興味がわいて見ていると、そんな動画がどんどん出てくる!。ああ、恐ろしいSNSであります。
(Hanssler Classic CD93.027 1999年 輸入盤)
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