しかし、東京都知事の辞職、まあ当然と言えばそうでしょうが、なんともセコい話でありました。選挙資金としてばらまくために不透明な金が、ではなく、完全に私腹を肥やすか、私的な買いものやぜいたくのために公金を使う、とは開いた口がふさがりませんでした。少し前まではこの人、総理候補だったんですからねえ。どうも最近の日本の政治家の質があまりに低下していませんか。クレヨンしんちゃんくらい自分のお金で買って下さいよね。ほんと。
開いた口がふさがらないあいた口を塞げて、今回はマーラー。交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」であります。まあ、交響曲と言ってますが、マーラーがそう言ったからであって、これが交響曲なら『大地の歌』も交響曲だろうと思います。まあそれはともかく、マーラー、畢生の大作であります。この曲、私的にはマーラーの曲の中では、もっとも取っつきにくいものでした。と言いながらも、高校生のころにバーンスタインとロンドン響とのLPを買いました。このジャケットに写っている演奏風景で、本当に千人おるんかな、と思って数えてみたことがありました(笑)。
とにかく、交響曲というより、特に第2部などはゲーテの『ファウスト』第二部から最後の場を
テキストとして用いたオラトリオのような曲です。歌詞は知らなければ知らなくてもいいと思っていても、気になります。このファウスト、まあかなわんお話ですよねえ。「時間よ止まれ、きみは美しい」というとか、救済についてとか、うーん難しいこと等であります。でも、そんなことはまったく関係なく、ただ聖なる女性に導かれて、罪深き男が昇天するという、ただそれだけで、ファウストとか特にまったく関係なくそれのみを意識しておれば十分であり、極めて祝祭的な音楽であります。
それで、この曲の演奏はそれなりにたくさんありますが、今回はラファエル・クーベッリック指揮バイエルン放響の演奏。1970年6月ミュンヘンでの録音。8人の独唱者は、マーティナ・アーロヨ(ソプラノI & 罪深い女)、エルナ・スポーレンベルク(ソプラノII &栄光の聖母)、エディット・マティス(ソプラノIII & 贖罪の女)、ヨリア・ハマリ(アルトI & サマリアの女)、ノーマ・プロクター(アルトII & エジプトのマリア)、ドナルド・グローベ(テノール & マリア崇拝の博士)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン & 法悦の教父)、フランツ・クラス(バス & 瞑想の教父)です。
このクーベリックの演奏、独唱や合唱などがいろいろと絡む演奏を、非常にわかりやすく、それぞれのバランスも秀でているのです。私は第2部が好きなんですね。まず序奏のようにオケのあと二重合唱、そしてそのあとフィッシャ=ディースカの法悦の教父、クラスの理想の教父が続く。やはりDFDがいると締まりますねえ。そしてしばらく少年合唱を含む合唱。そして、罪の女・サマリアの女・エジプトのマリアが次々に登場し独唱のあと、三人でカノン風に歌い回す。特に女声が登場してからが一層よくなります。そのあと、マティスのグレートヒェンの贖罪の女。聴き慣れたマティス。いいですねえ。少年合唱をはさんで再度マティス。そして栄光の聖母をスボーレンベルクの澄んだソプラノが美しく響きます。いやー、この女声の場面は実にいいですよねえ。でも、このソプラノはここだけでの登場ですよ。これは効果的です。そして終結部に続きます。クーベリックは、激情したりすることもなく、たいそう冷静にこの巨大な交響曲をまとめていきます。音楽の凝縮度が高く、すべてにおいて、密度の高い演奏を聴かせてくれます。
しかし、この曲は生で見るといいでしょうねえ。効果抜群ですよねえ。一度見たいなと思うのですが…。十年ほど前に岡山で岡山フィルがやったのがチャンスだったんですがねえ…。残念でありました。家人は、これをたいそうさとひつこさで辟易としていますが、それがいいんですがねえ。
(DG FG3520083)
開いた口がふさがらないあいた口を塞げて、今回はマーラー。交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」であります。まあ、交響曲と言ってますが、マーラーがそう言ったからであって、これが交響曲なら『大地の歌』も交響曲だろうと思います。まあそれはともかく、マーラー、畢生の大作であります。この曲、私的にはマーラーの曲の中では、もっとも取っつきにくいものでした。と言いながらも、高校生のころにバーンスタインとロンドン響とのLPを買いました。このジャケットに写っている演奏風景で、本当に千人おるんかな、と思って数えてみたことがありました(笑)。
とにかく、交響曲というより、特に第2部などはゲーテの『ファウスト』第二部から最後の場を
テキストとして用いたオラトリオのような曲です。歌詞は知らなければ知らなくてもいいと思っていても、気になります。このファウスト、まあかなわんお話ですよねえ。「時間よ止まれ、きみは美しい」というとか、救済についてとか、うーん難しいこと等であります。でも、そんなことはまったく関係なく、ただ聖なる女性に導かれて、罪深き男が昇天するという、ただそれだけで、ファウストとか特にまったく関係なくそれのみを意識しておれば十分であり、極めて祝祭的な音楽であります。
それで、この曲の演奏はそれなりにたくさんありますが、今回はラファエル・クーベッリック指揮バイエルン放響の演奏。1970年6月ミュンヘンでの録音。8人の独唱者は、マーティナ・アーロヨ(ソプラノI & 罪深い女)、エルナ・スポーレンベルク(ソプラノII &栄光の聖母)、エディット・マティス(ソプラノIII & 贖罪の女)、ヨリア・ハマリ(アルトI & サマリアの女)、ノーマ・プロクター(アルトII & エジプトのマリア)、ドナルド・グローベ(テノール & マリア崇拝の博士)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン & 法悦の教父)、フランツ・クラス(バス & 瞑想の教父)です。
このクーベリックの演奏、独唱や合唱などがいろいろと絡む演奏を、非常にわかりやすく、それぞれのバランスも秀でているのです。私は第2部が好きなんですね。まず序奏のようにオケのあと二重合唱、そしてそのあとフィッシャ=ディースカの法悦の教父、クラスの理想の教父が続く。やはりDFDがいると締まりますねえ。そしてしばらく少年合唱を含む合唱。そして、罪の女・サマリアの女・エジプトのマリアが次々に登場し独唱のあと、三人でカノン風に歌い回す。特に女声が登場してからが一層よくなります。そのあと、マティスのグレートヒェンの贖罪の女。聴き慣れたマティス。いいですねえ。少年合唱をはさんで再度マティス。そして栄光の聖母をスボーレンベルクの澄んだソプラノが美しく響きます。いやー、この女声の場面は実にいいですよねえ。でも、このソプラノはここだけでの登場ですよ。これは効果的です。そして終結部に続きます。クーベリックは、激情したりすることもなく、たいそう冷静にこの巨大な交響曲をまとめていきます。音楽の凝縮度が高く、すべてにおいて、密度の高い演奏を聴かせてくれます。
しかし、この曲は生で見るといいでしょうねえ。効果抜群ですよねえ。一度見たいなと思うのですが…。十年ほど前に岡山で岡山フィルがやったのがチャンスだったんですがねえ…。残念でありました。家人は、これをたいそうさとひつこさで辟易としていますが、それがいいんですがねえ。
(DG FG3520083)
8番はクーベリックのDGのマーラー全集の中では一番録音がよさそうです。録音場所もこれだけがドイツ博物館だったかと。
確かに生で聴きたいですね~。一生に一度でいいですから。
この公演は確か、ミューザ川崎の10周年記念行事だったと思います。何かの記念公演には、この曲などは相応しいのでしょうね。
音の洪水にノックアウト! 特に曲の終結部の盛り上がり方は、本当に驚くほどです。感動しました。
バルビでした。すみません。