いよいよGW。昭和の日に京都には行ってきました。醍醐寺と勧修寺、法界寺などなどに詣でました。醍醐寺では上醍醐まで行かなくても、下醍醐で西国三十三ヶ所の御朱印をもらえることになっていました。楽ちんですが御利益はあるのでしょうかねえ。それで法界寺は、非常に立派な阿弥陀如来があります。いやー、いいですねえ。しかし、この時期、銀閣東求堂の同仁斎や東福寺三門などが拝観できるので、そっちの方に行けばよかったかな、と思ったりもしました。とりあへず、五連休であります。
そんなわけで、今回はアントニオ・ヴィヴァルディの四季であります。この四季は、『和声と創意への試み』作品8の第1番『春』から第4番『冬』につけられた呼称であり、言わずと知れた通俗的な名曲であります。このブログでも、イムジチの演奏を一度取り上げたことがありますが、まあ、聴くことの少ない曲ですねえ。あまりに通俗すぎるのでしょうか。LPでは持っていましたが、この曲のCDは買ったことがなく、BOXものの中に入っていたということで、実際に聴くことに鳴りました。でも、イムジチのアーヨの演奏は、CDで欲しいな、と思います。
それで、今回はゴットフリート・フォン・デル・ゴルツの指揮とヴァイオリン、フライブルク・バロック・オーケストラと、アンドリュー・ローレンス=キング率いるザ・ハープ・コンソートとの合同演奏です。1996年12月の録音です。ザ・ハープ・コンソートについては、寡聞にして私は存じ上げませんでした。調べてみると、「独特のスタイルでバロック、ルネサンス、中世音楽の即興演奏することを得意とするアンサンブル」だそうです。この演奏でも「フライブルク・バロック・オーケストラの弦とザ・ハープ・コンソートのカラフルでパワフルな通奏低音の対比と融合が常識を覆す響きを創造!かつてない刺激的で美しいハーモニーはまさに原題「和声と創意への試み」に相応しい!!」とあります。
かのストラヴィンスキーをして「同じ協奏曲を三百回書いた男」と言われたヴィヴァルディですが、四季は、なかなか聴くことは少なく、久々に聴きました。最初は、聴き慣れた旋律でまあなあ、と思っていましたが、この演奏はこれまでの私の親しんだ四季とは、まるで違う。鮮烈で力強く、音楽が心に響く。これまでヴィヴァルディの曲を聴いて心が揺さぶられることは、おそらくなかったのですが、この演奏は揺さぶられます。ですので、これまでの弦の美音で心地よく四季の風情を表現する、そんなイメージとはかけ離れた演奏ですねえ。これがいいのか悪いのかは、別にして、たいそう興味深いですし、耳垢のこびりついた四季とは一線を画す演奏であります。
春の冒頭から、たいそうしっかりとした通奏低音の存在が、分厚い演奏にしている。分厚さや低音がお腹に響く。そして歯切れのいいヴァイオリンの響きを包みながら、聴き慣れた旋律が展開される。独奏ヴァイオリンは古楽でありながら、けっこうねちっこい演奏。それに低音の充実が音楽の奥行きを深くして壮大なスケールを感じる。夏でも、こんな分厚い響きがこれまでなかった。第2楽章でヴァイオリンのねちっこい独奏と弦による稲妻と雷鳴の掛け合いがダイナミックで、それが第3楽章の嵐に発展して、凄まじい迫力に心が揺れる。ここはすごいです。そして、秋、一転して稔りに感謝するような喜ばしい音楽になる。ここでも実に弦の響きはダイナミック。迫力満点。眠りを誘う音楽が繊細に表現されたあと、一転して狩が広大なスケールで展開される。しかし、フライブルク・バロック・オーケストラなうまいオケですよねえ。弦の表情がたいへん豊かです。冬では第1楽章の寒さの身震いは、よく表現しています。ダイハツのCFの旋律は小気味いいほど熱いです。そして第2楽章はラルゴにしては速いですが、響きはねちっこいが、演奏はあっさりめで、少し違う風情があります。そして終楽章。これまでの総決算のように、低音が分厚く響き、弦は勢いよく、快活にそして熱気を帯びて演奏.独奏ヴァイオリンもも勢いあふれ、最後のユニゾンがこれまでにない響きで幕を閉じます。
しかし、もう初夏ですねえ。季節の移ろいは速いものです。この5連休、半分はお出かけしなければなりませんが、ゆっくりしたいですねえ。
((deutsche harmonia mundi 88697 281822/46 2008年 輸入盤)
そんなわけで、今回はアントニオ・ヴィヴァルディの四季であります。この四季は、『和声と創意への試み』作品8の第1番『春』から第4番『冬』につけられた呼称であり、言わずと知れた通俗的な名曲であります。このブログでも、イムジチの演奏を一度取り上げたことがありますが、まあ、聴くことの少ない曲ですねえ。あまりに通俗すぎるのでしょうか。LPでは持っていましたが、この曲のCDは買ったことがなく、BOXものの中に入っていたということで、実際に聴くことに鳴りました。でも、イムジチのアーヨの演奏は、CDで欲しいな、と思います。
それで、今回はゴットフリート・フォン・デル・ゴルツの指揮とヴァイオリン、フライブルク・バロック・オーケストラと、アンドリュー・ローレンス=キング率いるザ・ハープ・コンソートとの合同演奏です。1996年12月の録音です。ザ・ハープ・コンソートについては、寡聞にして私は存じ上げませんでした。調べてみると、「独特のスタイルでバロック、ルネサンス、中世音楽の即興演奏することを得意とするアンサンブル」だそうです。この演奏でも「フライブルク・バロック・オーケストラの弦とザ・ハープ・コンソートのカラフルでパワフルな通奏低音の対比と融合が常識を覆す響きを創造!かつてない刺激的で美しいハーモニーはまさに原題「和声と創意への試み」に相応しい!!」とあります。
かのストラヴィンスキーをして「同じ協奏曲を三百回書いた男」と言われたヴィヴァルディですが、四季は、なかなか聴くことは少なく、久々に聴きました。最初は、聴き慣れた旋律でまあなあ、と思っていましたが、この演奏はこれまでの私の親しんだ四季とは、まるで違う。鮮烈で力強く、音楽が心に響く。これまでヴィヴァルディの曲を聴いて心が揺さぶられることは、おそらくなかったのですが、この演奏は揺さぶられます。ですので、これまでの弦の美音で心地よく四季の風情を表現する、そんなイメージとはかけ離れた演奏ですねえ。これがいいのか悪いのかは、別にして、たいそう興味深いですし、耳垢のこびりついた四季とは一線を画す演奏であります。
春の冒頭から、たいそうしっかりとした通奏低音の存在が、分厚い演奏にしている。分厚さや低音がお腹に響く。そして歯切れのいいヴァイオリンの響きを包みながら、聴き慣れた旋律が展開される。独奏ヴァイオリンは古楽でありながら、けっこうねちっこい演奏。それに低音の充実が音楽の奥行きを深くして壮大なスケールを感じる。夏でも、こんな分厚い響きがこれまでなかった。第2楽章でヴァイオリンのねちっこい独奏と弦による稲妻と雷鳴の掛け合いがダイナミックで、それが第3楽章の嵐に発展して、凄まじい迫力に心が揺れる。ここはすごいです。そして、秋、一転して稔りに感謝するような喜ばしい音楽になる。ここでも実に弦の響きはダイナミック。迫力満点。眠りを誘う音楽が繊細に表現されたあと、一転して狩が広大なスケールで展開される。しかし、フライブルク・バロック・オーケストラなうまいオケですよねえ。弦の表情がたいへん豊かです。冬では第1楽章の寒さの身震いは、よく表現しています。ダイハツのCFの旋律は小気味いいほど熱いです。そして第2楽章はラルゴにしては速いですが、響きはねちっこいが、演奏はあっさりめで、少し違う風情があります。そして終楽章。これまでの総決算のように、低音が分厚く響き、弦は勢いよく、快活にそして熱気を帯びて演奏.独奏ヴァイオリンもも勢いあふれ、最後のユニゾンがこれまでにない響きで幕を閉じます。
しかし、もう初夏ですねえ。季節の移ろいは速いものです。この5連休、半分はお出かけしなければなりませんが、ゆっくりしたいですねえ。
((deutsche harmonia mundi 88697 281822/46 2008年 輸入盤)
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