こんなCDを買った!聴いた!

最近購入した、または聴いたCDについて語ります。クラシック中心です。

Des Knaben Wunderhorn

2011年02月13日 18時38分07秒 | マーラー
もう一ヶ月以上もCDを買っておりません。ここ2~3年はあまりに買いすぎたな、っ思って、今年は自粛気味。ネットでも、今月の末に注文したものが入るくらいで、もっぱらHMVのポイント15倍のときを見計らって注文しています。ここ数ヶ月の注文はこのときに限ってのもの。その結果、ポイントはたくさん貯まりますよ、と以前にも述べました。とは言っても、家にあるCDで日常に聴くのは十分。家にあるCDをごそごそ取り出して、聴いています。なかなかうーん、たくさんありますねえ、とヘンに喜んでいます。この三連休も、家で思いだしたように仕事をして、またごろごろとCDを聴いておりました。こんな生活、けっこう好きです。

以前にも述べましたが、最近マーラーを聴くことが多く、加えて年末からマーラーのCDをたくさん買いました。まあ、マーラーの曲は、交響曲と歌曲しかないわけで、その中から、今回は『Des Knaben Wunderhorn』、つまり『子供の不思議な角笛』であります。この曲もいくつかの演奏が家にあるのですが、クラウディオ・アバド指揮のBPO。前回取り上げたトーマス・クヴァストホフのバリトンとアンネ・ゾフィー・オッターのメゾソプラノによるものです。1998年2月ベルリンのフィルハーモニーでの録音。

しかし、こんな歌曲の演奏ってのは、指揮者と歌手のどちらが主導権をもってのものなんでしょうか。ピアノとによる演奏とは違って、オケとの共演ですからねえ。まあ、年齢や立場によって、どちらが発言力を持つか、変わってくると思いますがね。カラヤンとソリストの関係は、完全にカラヤンが主導権を握っていたといいますし、ある指揮者はソリストの思うように演奏させて、それをサポートするのに徹していたという話もありますよねえ。このCDの場合は、キャリアから言ってもアバドのリーダーシップによるものなんでしょうねえ。ふとそんなことをこの演奏を聴きながら思いました。というのも、特に前半、オケは雄弁なんですが、なんだかふたりの歌手、特にクヴァストホフさんは、あっさりめの印象を持つんです。まさか、アバドが意図したこと、なんてことはないでしょうねえ。後半には、内容的にもヘヴィーな曲が多いためか、そうでもなくなるのですが…。

この『子供の不思議な角笛』は、19世紀初頭に出版されたドイツの民衆歌謡の詩集なんですが、それゆえの歌曲とする難しさもあるんでしょう。そのもとの詩集の素朴さは、よく感じられる演奏です。そして、アバド指揮によるBPOの演奏、これがまずいいですね。クヴァストホフの曲では、オケが非常に目立った印象。まあオッターの方は、私の贔屓の歌手なんで、そっちの方に耳が奪われているので…。しかし、このBPO、音は繊細で、きめ細かい響きを感じます。それに加えて、マーラーの音楽の表現も限りなく濃い。多少直線的な感じもしますが、マーラーを振るアバドの自信がみなぎる演奏ですよねえ。クヴァストホフは、終始彼の持つ美声が堪能できます。ただ、前述の如く少々淡泊なところは、素朴さを表すとすればそれはそれで解釈なんでしょう。12曲目「少年鼓手」では、アバドの指揮とうまく呼応しての深い味わい深い歌唱が聴けますね。そして、オッターなんですが、曲によっての表情の変化などはさすがであります。この人の理知的な歌声はほんとに好きです。特に、11曲目の「トランペットが美しくひびくところ」は、深い内容の曲ですが、このオッターの優しく包み込むような歌は、こころに染み込みます。そして、最後の「原光」。これも素晴らしい。深い表現力とオッターの巧さに感動します。ゆったりとしたテンポの消え入るような、ほのかな歌唱に限りない美しさに陶酔させられます。BPOも実にいい。それぞれの楽器の巧さが光ります。

最後に「原光」が収められているのは嬉しいのですが、やはり、『復活』の中で聴く方が感動は増幅されるのでしょうかね。特に静かな終わりとあとに、オケの爆発がないのが寂しい気分になります。オッターの歌う『復活』は、まだないですよねえ?
(DG 459646 1999年 輸入盤)

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