GW真っ只中です。言いつけ通り在宅GWであります。緊急事態宣言発令からは、出勤も週2回程にしています。まあ、メールを使えば連絡も出来るし…。そんな中で、私はひのき花粉がどうもダメで、かなり苦しんでいます。朝起きると頭にキーン、ぼーッとして、目が腫れぼったい。そして体が重く、独特のしんどさ。最近は飛散も少なくなったといいますが、まだまだダメ。毎日10㎞ほど走っていることもいかんのでしょうねえ。たまに病気か、と思うこともしばしば。先週も思わず体温を測りました。すると35.9。あれではないな、と安心したのでありました。
ということで、今回はバッハの平均律グラヴィーア曲集であります。よく無人島の1枚としては、絶対にこれを持参したい、と思っております。ただ、演奏を選ぶのが難しい。私はどうもチェンバロの演奏は好みではない(といってもコープマンとレオンハルト、ヴァルヒャくらいしか、聴いたことない。因みにレコ芸の5月号の「名曲名盤500」では、エガーが1位でした。)。ピアノによるものでは、ヒューイットの生は、大変よかったが、やはりリヒテルが一番いいかなあ。ただ、SACDになって少しましになったが、独特の籠もったような音がねえ。車の中ではナビにグルダを録音していて、これをよく聴くので、けっこうこの演奏も刷り込まれている。グールドは、私は基本的にはこの人のピアノは苦手。で、最近聴いたのではメジューエワのもの。先日も聴きました。特有のガツンとくて、骨格がしっかりしている。おそらく生で聴いたら、さぞいいだろうなあ、と思う。この人の平均律の演奏会があったら、東京でもまた必ず行くぞ、と思っているんです。しかし、家で聴く平均律のベストではないなあ、と言うことなんです。
それで、聴くたびにいいなあ、といつも思うのが、ウィルヘルム・ケンプの演奏なんです。二枚のCDがあり、1枚目(第1巻が12曲)は1975年5月、2枚目(第1巻が7曲、第2巻が5曲)は1980年2月の録音です。今回はこの中から1枚目であります。この1枚目の演奏にはいろいろと問題がある。第一に全曲ではないこと。第1巻は19曲で、18~20番と24番がない。特に、24番は痛いなあ。第2巻がもっと少なく5つしかない。もうこの上ない残念。なんで全曲録音してくれなかったのか。そして、第二に、このCD、順番がおかしい。のハ長調からはじまってロ短調で終わるのが普通。しかしケンプは1枚目では、1.2.17.3.8.7.15.16.21.22.6.5とまあ、バラバラ。何でなんでしょうねえ。普通は順番に演奏されているから、この曲の次はこれ、と刷り込まれている。なのにこれは異なる。次の曲に行くときに、意外に新鮮さもあるが、たいそうな違和感の方が強い。これにはケンプのなにがしかの意図があるんですかねえ。
とはいえ、ケンプの平均律、70才後半の最晩年の録音です。全体的に非常に穏やかで、落ち着いた趣きが漂っています。テンポもゆったりめ。グールドなどの演奏に慣れた耳で聴くと、物足りなく、不完全燃焼を感じるよう。若いときは、少々ついて行けないところもある。また、ときおりピアノの音がもつれたようになるところもあったり…。しかし、今聴くと、一音一音がしみじみとした余韻を持ちながらしっとりと心に入って来る。他の演奏では、素通りしていた曲が、ハッとするような美しさに満ちていることを実感させてくれるのです。いったんそんなことに気づくと、他のすべての曲でも、何気ないフレーズや一音がすべて心に染み込んでくるのです。
12曲の中で、短調は5曲。短調のフーガがいい。変ホ短調と変ロ短調、心穏やかにゆったりとしたフーガ。その波が幾度となく押し寄せる。そして、ピアノの澄んだ音色が、悠久のときを刻んでいくように、しっとりと語りかけてきます。ほんとにいいです。
さて、緊急事態宣言も延長されるようです。経済がほんとに心配。政府はいろいろと支援策を打ち出すようですが、その財源は赤字国債。日銀が上限なしで買い受けるらしいです。これもまたまた心配であります。
(DG POCG-90105 ケンプ名盤1000 1998年)
ということで、今回はバッハの平均律グラヴィーア曲集であります。よく無人島の1枚としては、絶対にこれを持参したい、と思っております。ただ、演奏を選ぶのが難しい。私はどうもチェンバロの演奏は好みではない(といってもコープマンとレオンハルト、ヴァルヒャくらいしか、聴いたことない。因みにレコ芸の5月号の「名曲名盤500」では、エガーが1位でした。)。ピアノによるものでは、ヒューイットの生は、大変よかったが、やはりリヒテルが一番いいかなあ。ただ、SACDになって少しましになったが、独特の籠もったような音がねえ。車の中ではナビにグルダを録音していて、これをよく聴くので、けっこうこの演奏も刷り込まれている。グールドは、私は基本的にはこの人のピアノは苦手。で、最近聴いたのではメジューエワのもの。先日も聴きました。特有のガツンとくて、骨格がしっかりしている。おそらく生で聴いたら、さぞいいだろうなあ、と思う。この人の平均律の演奏会があったら、東京でもまた必ず行くぞ、と思っているんです。しかし、家で聴く平均律のベストではないなあ、と言うことなんです。
それで、聴くたびにいいなあ、といつも思うのが、ウィルヘルム・ケンプの演奏なんです。二枚のCDがあり、1枚目(第1巻が12曲)は1975年5月、2枚目(第1巻が7曲、第2巻が5曲)は1980年2月の録音です。今回はこの中から1枚目であります。この1枚目の演奏にはいろいろと問題がある。第一に全曲ではないこと。第1巻は19曲で、18~20番と24番がない。特に、24番は痛いなあ。第2巻がもっと少なく5つしかない。もうこの上ない残念。なんで全曲録音してくれなかったのか。そして、第二に、このCD、順番がおかしい。のハ長調からはじまってロ短調で終わるのが普通。しかしケンプは1枚目では、1.2.17.3.8.7.15.16.21.22.6.5とまあ、バラバラ。何でなんでしょうねえ。普通は順番に演奏されているから、この曲の次はこれ、と刷り込まれている。なのにこれは異なる。次の曲に行くときに、意外に新鮮さもあるが、たいそうな違和感の方が強い。これにはケンプのなにがしかの意図があるんですかねえ。
とはいえ、ケンプの平均律、70才後半の最晩年の録音です。全体的に非常に穏やかで、落ち着いた趣きが漂っています。テンポもゆったりめ。グールドなどの演奏に慣れた耳で聴くと、物足りなく、不完全燃焼を感じるよう。若いときは、少々ついて行けないところもある。また、ときおりピアノの音がもつれたようになるところもあったり…。しかし、今聴くと、一音一音がしみじみとした余韻を持ちながらしっとりと心に入って来る。他の演奏では、素通りしていた曲が、ハッとするような美しさに満ちていることを実感させてくれるのです。いったんそんなことに気づくと、他のすべての曲でも、何気ないフレーズや一音がすべて心に染み込んでくるのです。
12曲の中で、短調は5曲。短調のフーガがいい。変ホ短調と変ロ短調、心穏やかにゆったりとしたフーガ。その波が幾度となく押し寄せる。そして、ピアノの澄んだ音色が、悠久のときを刻んでいくように、しっとりと語りかけてきます。ほんとにいいです。
さて、緊急事態宣言も延長されるようです。経済がほんとに心配。政府はいろいろと支援策を打ち出すようですが、その財源は赤字国債。日銀が上限なしで買い受けるらしいです。これもまたまた心配であります。
(DG POCG-90105 ケンプ名盤1000 1998年)
そんなこんなで、ケンプ盤ですが、わたくしも所有しており、「若いときは、少々ついて行けないところもある。また、ときおりピアノの音が・・・」と同意見でして、20年ほど聴いていませんでした。
私はリヒテル盤を愛聴しています。
新型コロナが沈静化しましたら、川崎に戻り、聞き直します。ご教示ありがとうございます。
経済が心配です。赤字国債も我々からの借金ですので、この際、つなぎ融資として、ためらうことなく、発行すればと思いますが、そうすると、感覚的ですが、5公5民に近づいている気がします。
楽しい話は、パイオニアのピュアモルトスピーカーを購入(中古)しました。家人には内緒ですが、当地で、楽しんでいます。(笑)
ブログ楽しみにしております。時節柄、ご自愛ください。
さて、少しづつ、日常を取り戻さなくてはならないコロナの影響ですが、まだ、見通せませんね。普通は、いつになったら、やってくるのでしょうか?
コロナ禍、感染者も大分減少してきましたね。自粛も終わりが近づいたようですかね。韓国ではまた増加しています。いつまで続くのか!ですねえ。