大阪の高校で、部活動中の顧問教師からの体罰が原因で自殺するという、なんともやりきれない事件がありました。暴力をふるった教師は、いい先生だったという議論が今だに聞かれるのに驚きます。いい先生だったけれども、熱意のあまり暴力に及んだんだということでしょうか。いい先生だったが、女の子にセクハラをする教師はほとんど擁護されないと思うのですが、こと暴力に関しては、どうもある程度容認する風潮があるようですね。困ったものです。そういえば、大阪市長さんも容認する発言を繰り返してましたね。ほんとうに困ったことであります。
さて、三連休。うれしいお休みでした。そんな中で、二日間は家でごろごろ、一日は仕事で出ておりました。それで、マーラーの交響曲第6番イ短調『悲劇的』であります。演奏は、サー・ジョン・バルビローリ指揮ニューフィルハーモニー管弦楽団。1967年9月ロンドンでの録音です。定評のあるバルビローリのマーラーですが、現在では8番以外はライブも含めてすべて聴くことができます。この6番のライブも1966年BPO、1967年のNPOとのライブでTESTAMENTから、二種類の録音がありますね。
このバルビローリの演奏、私的にはたいそう気に入っています。もしかすると、6番のベストかもしれません。というのも、非常にわかりやすい演奏、つまり、わけわからん曲やなあ、という感想は全く持たず、曲の木から森がよくわかるのです。この曲、あまりわかりやすいとは思わないし、けっこうやっかいなんですね。それなら、わかるとはどういうことか。まず曲を聴いて、違和感がない。曲が気持ちの中に素直に入って来る、そして曲のよさを理解できる。まあそんなところでしょうか。そうなってくると、曲の内容について、ひいてはマーラーが曲を書いた心情までもわかってくるような気がします。そんなことを感じさせる演奏なんです。
それでは、なぜそう思うのか。まず、オケの大変充実した演奏です。すべての楽器が至極美しい音色でマーラーの音楽を忠実に再現していることです。また、バルビローリの指揮です。この曲に大きな共感を持って演奏している、そんな彼のこの曲への愛情をいっぱいに感じるのです。たくさんのフレーズを思いっきりの表情で、甘く演奏していきます。そして、 雄大なスケールとダイナミックレンジの広さ、それが曲に聴かせどことを的確に表現していくのです。これらが、この曲がぐいぐいと心の中に入ってくる理由と思うのであります。
第1楽章、冒頭からゆったりとしたペースで、リズムを大胆に刻むような演奏が展開。ところどころで大見得を切るような表情が実にいいですねえ。第2楽章アンダンテ、叙情的な曲が時には艶っぽく、甘く、思い入れ一杯に流れていく。実に美しい。気持ちのこもった美しさがあふれます。第3楽章スケルツォ、雑な表情はまったくなく、緻密に起伏に富んだ曲がいい。表現が先鋭的なんですが、前衛的にならないところもいいですねえ。そして終楽章、ゆったりと噛み締めるような演奏ゆえに、この楽章のよさがよく理解できます。曲がまっすぐに入って来ます。それぞれの楽章、充実した演奏で、最後までいい曲だなあ、と思います。
最後に、この演奏は第2楽章がアンダンテ・第3楽章スケルツォなんです。こういった曲の構成は、最近増えてきたのですかね。ラトル、ジンマン、ゲルギエフ、アバド(ルツェルン)などもこの順番です。バルビローリは、かなり早い時期にこの形を取っています。しかしねえ、どうもこれは馴染めません。スケルツォが第2楽章の方が落ち着く。終楽章には、第3楽章にアンダンテがあった方がうまく繋がるように思います。もしかすると慣れの問題だけかもしれませんが…。
大阪の高校、来年度は募集停止まで考えているそうです。ほんとうに大変です。
(EMI 569324 double fforte 1996年 輸入盤)
さて、三連休。うれしいお休みでした。そんな中で、二日間は家でごろごろ、一日は仕事で出ておりました。それで、マーラーの交響曲第6番イ短調『悲劇的』であります。演奏は、サー・ジョン・バルビローリ指揮ニューフィルハーモニー管弦楽団。1967年9月ロンドンでの録音です。定評のあるバルビローリのマーラーですが、現在では8番以外はライブも含めてすべて聴くことができます。この6番のライブも1966年BPO、1967年のNPOとのライブでTESTAMENTから、二種類の録音がありますね。
このバルビローリの演奏、私的にはたいそう気に入っています。もしかすると、6番のベストかもしれません。というのも、非常にわかりやすい演奏、つまり、わけわからん曲やなあ、という感想は全く持たず、曲の木から森がよくわかるのです。この曲、あまりわかりやすいとは思わないし、けっこうやっかいなんですね。それなら、わかるとはどういうことか。まず曲を聴いて、違和感がない。曲が気持ちの中に素直に入って来る、そして曲のよさを理解できる。まあそんなところでしょうか。そうなってくると、曲の内容について、ひいてはマーラーが曲を書いた心情までもわかってくるような気がします。そんなことを感じさせる演奏なんです。
それでは、なぜそう思うのか。まず、オケの大変充実した演奏です。すべての楽器が至極美しい音色でマーラーの音楽を忠実に再現していることです。また、バルビローリの指揮です。この曲に大きな共感を持って演奏している、そんな彼のこの曲への愛情をいっぱいに感じるのです。たくさんのフレーズを思いっきりの表情で、甘く演奏していきます。そして、 雄大なスケールとダイナミックレンジの広さ、それが曲に聴かせどことを的確に表現していくのです。これらが、この曲がぐいぐいと心の中に入ってくる理由と思うのであります。
第1楽章、冒頭からゆったりとしたペースで、リズムを大胆に刻むような演奏が展開。ところどころで大見得を切るような表情が実にいいですねえ。第2楽章アンダンテ、叙情的な曲が時には艶っぽく、甘く、思い入れ一杯に流れていく。実に美しい。気持ちのこもった美しさがあふれます。第3楽章スケルツォ、雑な表情はまったくなく、緻密に起伏に富んだ曲がいい。表現が先鋭的なんですが、前衛的にならないところもいいですねえ。そして終楽章、ゆったりと噛み締めるような演奏ゆえに、この楽章のよさがよく理解できます。曲がまっすぐに入って来ます。それぞれの楽章、充実した演奏で、最後までいい曲だなあ、と思います。
最後に、この演奏は第2楽章がアンダンテ・第3楽章スケルツォなんです。こういった曲の構成は、最近増えてきたのですかね。ラトル、ジンマン、ゲルギエフ、アバド(ルツェルン)などもこの順番です。バルビローリは、かなり早い時期にこの形を取っています。しかしねえ、どうもこれは馴染めません。スケルツォが第2楽章の方が落ち着く。終楽章には、第3楽章にアンダンテがあった方がうまく繋がるように思います。もしかすると慣れの問題だけかもしれませんが…。
大阪の高校、来年度は募集停止まで考えているそうです。ほんとうに大変です。
(EMI 569324 double fforte 1996年 輸入盤)
僕もこの演奏が一番好きですよ。ベルリンPOとのLIVE盤もありますが、こちらのほうがずっと好きです。
ちなみに以前の国内盤では2楽章スケルツォ、3楽章アンダンテの順になっていました。このほうが絶対に自然に感じられますよね。
お礼が遅れましたこと、申し訳ありません。お許し下さい。
国内盤と輸入盤で、順序が異なるというのの、おもしろいですねえ。第2楽章スケルツォの方が、私も断然良いと思います。でも、これは最初に聴いた演奏がかなり影響スルノかも知れませんね。またご教示下さい。