先週末、友人と元町で忘年会をしました。神戸では、年末恒例のルミナリエが始まっていまして、それはもうたくさんの人でした。道々には、交通整理の方でいっぱいいっぱい。最初、見る気はなかったのですが、1軒目を出てから、行ってみようと言うことになりました。それで、見学の列に加わったのですが、それはもう長蛇の列。三宮と元町を1往復半くらい並んで、やっとたどり着けました。旧居留地の西の端あたりの三井住友銀行前から東の端の東遊園地までの間でしたが、なかなかの見応えでしたね。もう長いこと続いているのですが、ちゃんと見るのは初めてでした。でも、ほんとにたくさんの人でしたね。そのあと、三宮でもう1軒行って無事帰りました。
三宮に行きましたので、いつものように中古やさんに寄ってみました。、フランツ・コンヴィチュニー指揮のライピチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるシューマンの交響曲全集を見つけました。1960~1年ベタニア教会での録音です。コンヴィチュニーの演奏、以前にベートーヴェンの交響曲を取り上げましたが、その他はブルックナーくらいしか、持っていませんでした。ブラームスの交響曲なんかも、コンヴィチュニーの演奏で聴いてみたいのですが、なかなか出回っているのを見ることができませんね。このシューマンもHMVなどで見ることはあったのですが、今回、見つけましたので、思わず買ってしまいました。
そのシューマンの4曲の交響曲の中から、交響曲第2藩ハ長調作品61であります。この曲は、1845~1846年にかけて作曲され、1866年にメンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。当時、シューマンは、精神障害に悩まされる状況があり、そのことがこの曲にもよく反映されていると言われています。この曲については、バーンスタインがその死の三ヶ月前、札幌でのパシフィック・ミュージック・フェスティヴァルでのリハーサルと本番を収めたDVDが非常に印象的で、特に第3楽章のリハーサルは感動的なものでした。そんなバーンスタインの演奏とは、対極にあるように思えるが、このコンヴィチュニーの演奏であります。
この演奏は、シューマンの内面的な心情などとはあまり関わりなく、ドイツロマン派の堂々とした交響曲としての演奏であります。その点では、かなり物足りなさを感じる向きもあるでしょうねえ。しかしその反面、ベートーヴェンからのドイツ音楽の衣鉢を継ぐシューマンの交響曲作曲家としての面目躍如の作品とすると、このような演奏も十分に納得のいくものです。そんなコンヴィチュニーの演奏を支えているのが、ゲヴァントハウス管のこれぞドイツの音色とでもいう響きでしょう。コンヴィチュニーの威風堂々とした威厳に満ちあふれた指揮に応えるゲヴァントハウス管は、その伝統に裏付けられた凄さを感じます。第1楽章、序奏から押さえ気味の演奏は次第にアップしていくなかで熱を帯びてくる。それを支えているのが弦楽器の重厚さ。コンヴィチュニーの指揮もそのオケの力を十分発揮させることに終始し、曲をストレートに再現していく。それでスキのない堂々としたシューマンになってくる。第2楽章スケルツオ。不安感に駆られるようではなく、腰の座った演奏からスケルツオ的な曲として再現される。内面的な葛藤ではなく、安定した曲つくりがいいです。 第3楽章アダージョ。哀愁に満ちた旋律を各楽器が歌う。いろいろな楽器による演奏が美しい。それはあくまで健康的なんですね。れほど深刻にならず、伸びやかな旋律が展開される。この楽章はいいですねえ。そんな印象がつよい。そして、終楽章。コンヴィチュニーの雄大な演奏が心地よい。明るく壮麗な演奏。第3楽章で陰鬱さが強調されるならされるほど、この楽章の輝かしさが似合わなかったんです。でもそんなことは、ほとんど考える必要のない演奏ですね。
今年は、忘年会が多く、週末はまた三宮に出掛けることになりそうです。でも、もうCDは買わないつもりであります。これまで買ったCDをしっかり聴きましょう。
(Berlin Classics BC2016 1994 輸入盤)
三宮に行きましたので、いつものように中古やさんに寄ってみました。、フランツ・コンヴィチュニー指揮のライピチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるシューマンの交響曲全集を見つけました。1960~1年ベタニア教会での録音です。コンヴィチュニーの演奏、以前にベートーヴェンの交響曲を取り上げましたが、その他はブルックナーくらいしか、持っていませんでした。ブラームスの交響曲なんかも、コンヴィチュニーの演奏で聴いてみたいのですが、なかなか出回っているのを見ることができませんね。このシューマンもHMVなどで見ることはあったのですが、今回、見つけましたので、思わず買ってしまいました。
そのシューマンの4曲の交響曲の中から、交響曲第2藩ハ長調作品61であります。この曲は、1845~1846年にかけて作曲され、1866年にメンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。当時、シューマンは、精神障害に悩まされる状況があり、そのことがこの曲にもよく反映されていると言われています。この曲については、バーンスタインがその死の三ヶ月前、札幌でのパシフィック・ミュージック・フェスティヴァルでのリハーサルと本番を収めたDVDが非常に印象的で、特に第3楽章のリハーサルは感動的なものでした。そんなバーンスタインの演奏とは、対極にあるように思えるが、このコンヴィチュニーの演奏であります。
この演奏は、シューマンの内面的な心情などとはあまり関わりなく、ドイツロマン派の堂々とした交響曲としての演奏であります。その点では、かなり物足りなさを感じる向きもあるでしょうねえ。しかしその反面、ベートーヴェンからのドイツ音楽の衣鉢を継ぐシューマンの交響曲作曲家としての面目躍如の作品とすると、このような演奏も十分に納得のいくものです。そんなコンヴィチュニーの演奏を支えているのが、ゲヴァントハウス管のこれぞドイツの音色とでもいう響きでしょう。コンヴィチュニーの威風堂々とした威厳に満ちあふれた指揮に応えるゲヴァントハウス管は、その伝統に裏付けられた凄さを感じます。第1楽章、序奏から押さえ気味の演奏は次第にアップしていくなかで熱を帯びてくる。それを支えているのが弦楽器の重厚さ。コンヴィチュニーの指揮もそのオケの力を十分発揮させることに終始し、曲をストレートに再現していく。それでスキのない堂々としたシューマンになってくる。第2楽章スケルツオ。不安感に駆られるようではなく、腰の座った演奏からスケルツオ的な曲として再現される。内面的な葛藤ではなく、安定した曲つくりがいいです。 第3楽章アダージョ。哀愁に満ちた旋律を各楽器が歌う。いろいろな楽器による演奏が美しい。それはあくまで健康的なんですね。れほど深刻にならず、伸びやかな旋律が展開される。この楽章はいいですねえ。そんな印象がつよい。そして、終楽章。コンヴィチュニーの雄大な演奏が心地よい。明るく壮麗な演奏。第3楽章で陰鬱さが強調されるならされるほど、この楽章の輝かしさが似合わなかったんです。でもそんなことは、ほとんど考える必要のない演奏ですね。
今年は、忘年会が多く、週末はまた三宮に出掛けることになりそうです。でも、もうCDは買わないつもりであります。これまで買ったCDをしっかり聴きましょう。
(Berlin Classics BC2016 1994 輸入盤)
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