このところ秘書のことで代議士さんがたいそう困っている???、といった事案が続いていますね。勉強会のあと、代議士を無視して大人数での宴会をするとか、代議士さんの知らぬところで、宴会参加者の費用の一部を代議士の私費で勝手に充当するなどなど。こんな秘書では実に困りますねえ、でも部下がしたことは、上の人間が責任を取るのが筋だから仕方ないねえ、と思いたいのですが、責任は全く取らないようです…。本当に日本の政治は大丈夫でしょうか。
まあ、そんなことはさておき、今回もベートーヴェンであります。やはり、今年は生誕250年ということで話題になることが多かったですし、やはり注目を浴びること多かったですね。それで聴く機会も多かったです。以前、1991年のモーツァルト没後200年も、明けても暮れてもモーツァルトだったように記憶しています。もっとも、モーツァルトのときの方が、その熱気は高かったように思いますがねえ。世間も私もであります。いかがでしょうか。
それで、今現在、最もよく聴いているのは、ピアノ・ソナタであります。ベートーヴェンが生涯をかけて取り組んだジャンル。これまではそれほど聴いて来なかったのですが、じっくり聴いてみると、そのよさと偉大さをしみじみと感じるのでありました。私は若いころの曲がいいな、と思うことが多いのですが、今回は晩年に書かれた三つのソナタの中から、第32番ハ短調作品111であります。
ピアノ・ソナタで最も有名なのは『月光』『熱情』『悲愴』の三大ソナタですね。そして、その頂点となるのは29番『ハンマークラヴィーア』でしょう。この29番を1819年に完成させたあと、このジャンルの最後の作品となる作品109,110,111の作曲に着手し、1822年に出版されています。ちょうど、ミサソレムニスや第九などの晩年の大作に取り組んでいたときに、同時に作曲されたのですねえ。
ということで、この曲の演奏ですが、今回はルドルフ・ゼルキンです。前々回の『悲愴』でもゼルキンでしたが、最近はこの人の演奏をよく聴きます。1967年3月15,16日ニューヨークでの録音です。ゼルキン63才のときの録音。ゼルキンには、最晩年の1987年のウィーンでのライブ録音も残っています。このときゼルキン84才でした。一般的には、最晩年のライブの方が取り上げられることも多いようです。ネットなどで検索でもこっちの方ばかりが出て来ます。
しかし、私は1976年の方が好きなんですねえ。1987年録音は、ゼルキンのやはりお年を感じます。それを円熟と感じればいいのですねえ。ゼルキンの晩年の特にDGへの録音にはアバドとのモーツァルトのピアノ協奏曲もありますが、それまでのゼルキンのピアノのキレや凄味など、ほとんど感じません。ピアノの音色にもゼルキンの年齢を感じるのは私だけでしょうか。とはいうのものの、私的には、ゼルキンの壮年期のピアノの硬さや堅固な造型が、あまり感じられなくなったあたりが物足りないのでしょうね。私は固い演奏、大好きであります。
第一楽章、冒頭からのゼルキンのガチガチのピアノがいいです。そして左手の激しさと勢いも加わり、仰ぎ見る険しい山脈のような厳しさで我々に語りかけています。ピアノの勢いや熱気も迫り来るもののあり、ベートーヴェン最後のソナタに相応しい威容であります。そして第2楽章。例えば「輪廻と解脱」などと形容されるように、対称的な楽章と言われていますが、そこはゼルキン、第1楽章と同じく厳しい演奏。ここでも気を緩めることなく、厳しい峯を登るよう。ゆったりとしたテンポで一音一音を確かめるようなピアノは、実に素晴らしい、私は好きですねえ、こんなピアノ。
しかし、安倍さんの国会での答弁なかなかしんどかったですねえ。野党が「虚偽答弁」だ、と言うと「虚偽答弁」の定義はない、という官房長官。厚労大臣も、「医療崩壊」はないかと聞かれると、何をもって「医療崩壊」というか云々と、ありました。とほほであります。
(SONY SICC-24 2001年 輸入盤)
まあ、そんなことはさておき、今回もベートーヴェンであります。やはり、今年は生誕250年ということで話題になることが多かったですし、やはり注目を浴びること多かったですね。それで聴く機会も多かったです。以前、1991年のモーツァルト没後200年も、明けても暮れてもモーツァルトだったように記憶しています。もっとも、モーツァルトのときの方が、その熱気は高かったように思いますがねえ。世間も私もであります。いかがでしょうか。
それで、今現在、最もよく聴いているのは、ピアノ・ソナタであります。ベートーヴェンが生涯をかけて取り組んだジャンル。これまではそれほど聴いて来なかったのですが、じっくり聴いてみると、そのよさと偉大さをしみじみと感じるのでありました。私は若いころの曲がいいな、と思うことが多いのですが、今回は晩年に書かれた三つのソナタの中から、第32番ハ短調作品111であります。
ピアノ・ソナタで最も有名なのは『月光』『熱情』『悲愴』の三大ソナタですね。そして、その頂点となるのは29番『ハンマークラヴィーア』でしょう。この29番を1819年に完成させたあと、このジャンルの最後の作品となる作品109,110,111の作曲に着手し、1822年に出版されています。ちょうど、ミサソレムニスや第九などの晩年の大作に取り組んでいたときに、同時に作曲されたのですねえ。
ということで、この曲の演奏ですが、今回はルドルフ・ゼルキンです。前々回の『悲愴』でもゼルキンでしたが、最近はこの人の演奏をよく聴きます。1967年3月15,16日ニューヨークでの録音です。ゼルキン63才のときの録音。ゼルキンには、最晩年の1987年のウィーンでのライブ録音も残っています。このときゼルキン84才でした。一般的には、最晩年のライブの方が取り上げられることも多いようです。ネットなどで検索でもこっちの方ばかりが出て来ます。
しかし、私は1976年の方が好きなんですねえ。1987年録音は、ゼルキンのやはりお年を感じます。それを円熟と感じればいいのですねえ。ゼルキンの晩年の特にDGへの録音にはアバドとのモーツァルトのピアノ協奏曲もありますが、それまでのゼルキンのピアノのキレや凄味など、ほとんど感じません。ピアノの音色にもゼルキンの年齢を感じるのは私だけでしょうか。とはいうのものの、私的には、ゼルキンの壮年期のピアノの硬さや堅固な造型が、あまり感じられなくなったあたりが物足りないのでしょうね。私は固い演奏、大好きであります。
第一楽章、冒頭からのゼルキンのガチガチのピアノがいいです。そして左手の激しさと勢いも加わり、仰ぎ見る険しい山脈のような厳しさで我々に語りかけています。ピアノの勢いや熱気も迫り来るもののあり、ベートーヴェン最後のソナタに相応しい威容であります。そして第2楽章。例えば「輪廻と解脱」などと形容されるように、対称的な楽章と言われていますが、そこはゼルキン、第1楽章と同じく厳しい演奏。ここでも気を緩めることなく、厳しい峯を登るよう。ゆったりとしたテンポで一音一音を確かめるようなピアノは、実に素晴らしい、私は好きですねえ、こんなピアノ。
しかし、安倍さんの国会での答弁なかなかしんどかったですねえ。野党が「虚偽答弁」だ、と言うと「虚偽答弁」の定義はない、という官房長官。厚労大臣も、「医療崩壊」はないかと聞かれると、何をもって「医療崩壊」というか云々と、ありました。とほほであります。
(SONY SICC-24 2001年 輸入盤)
さて、ベートーヴェンの最後のソナタですが、あいにく、私は、ゼルキン盤を所有していません。バックハウス、ケンプ、グルダ、グールド、ブレンデル、リヒテル他を持っています。この曲は、なかなか、難しい曲だと思います。29番の後の3曲は、規模も小さく、原点に戻ったかのような、無駄のない旋律が並べられていますが、32番は、第2楽章が、まるで幻想曲のように、聞こえます。中間部には、何やらJAZZっぽいリズムが現れて、びっくりします。ブギウギとでもいうのでしょうか、何か浮かれた雰囲気です。最後は、悟りの境地といった感じも、感じられますが、全体的に、カチッとした曲ではないですが、やはり、ベートーヴェン的な要素が感じられる、名曲ですね。
今年ほど、政治家の不誠実さを、感じたことはありません。特に、安部前総理。選挙民はまだ、こんな人物を選ぶんでしょうか?政治のレベルというのは、まさしく、国民のレベルなんですね。何処かの政治家が、「日本人の民度は、他の国よりも高い!」などと、言っていましたっけ?良いお年を!
ベートーヴェンのピアノソナタをよく聴いている年末なんですが、前期の曲を聴くことが多いのすが、やはり中期後期の曲は、それなりの凄味がありますね。32番もご指摘のとおりの名曲であります。今回はゼルキンの旧盤でしたがほとんど新盤が取り上げられることが多いので、敢えて旧盤ということでした。
コロナも、いつ東京の感染が4桁となるか、ですが、兵庫も多いので心配です。羽田さんのような例もありますし、ひたすら自粛ですが、それ以上に政治がなんとかして欲しいですが、なかなかしんどいですね。
そんなこんなで、よいお年をお迎えください。
いまどき、こんな渋い演奏を聴いている人いるのって
検索したら、ここに到着しました。勝手に安心しました。
たった今、Sony の廉価ボックスで、この曲を聴いて、
いたく感動したところです。
あざとさのカケラも感じられないのが、好み。
左手の野太さ、凄いですね。
それから、厚みのある中・低音に包まれたような
録音も、最高です。
ゼルキン、忘れてはならないピアニストと思います。
また、素敵な演奏、紹介してくださいね ^_^